徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

日本の食材

2008年08月30日 | サバイバル in America
アメリカで暮らす上で、一番気になるのが、食事事情です。
フィラデルフィア郊外に引っ越すにあたり、日本食料品店を調べたのは言うまでもありません。

郊外にある「MAIDO」と言うお店に行ってみました。
こじんまりとしていますが、必要な日本の食料品は手に入ると思います。また、古本も売っているのが嬉しかったです。
土曜日の午前中は日本語補習校を往復してくれるシャトルバスを運行しています。それ以外の時間でも、6名以上であれば、無料でバスを運行してくれるそうです。(くわしくはサイトをご覧下さい)

自宅から2時間ほどの「Mitsuwa」にも行きました。
もちろん食材だけでなく、電化製品から本まで何でもあるけれど、時間とガソリン代がかかります。

フィラデルフィアのセンターシティーにも日本食やさんがあるらしいし、チャイナタウンに行けば、ある程度の物もあるかも知れません。どうしてもと言う時には、MAIDOMitsuwaがあるからねと思っていました。

アメリカでの生活なんだから、不便は当たり前。「アメリカの食材を駆使して、日本食を作ってこそ主婦の鏡!」と決心しました。
引っ越してから、子供達の送り迎えもなく、毎日家で"おとなしく"している日々。自称料理嫌いの私ですが、パンを焼いたり、お菓子を作ったりしています。今までインテリアに近かった調理器具も、日の目を見ています。
その調子で、日本食材は最低限で頑張ろう!と思っていました。

 

時間もあるので、ネットサーフィンしていたら、フィラデルフィア近郊にお住まいの日本人の方々のサイトなどから、韓国人街があるらしいという情報をゲットしました。ありがとうございます。
そこは、H Martと言うお店です。Fairfield Avenue Station‎の駅の近くで、"69th street"とでかでかと表示してある場所の近くなので、分かりやすいと思います。
このお店、意外や意外、とっても広くて何でもある! このお店があれば、Mitsuwaまでのドライブは必要ないなと思ってしまいました。(営業妨害をするつもりはありませんが)
韓国の食料品はもちろん、以前中華食料品店で買っていた物も、そして日本の食品もあるある・・・。お刺し身や、薄切りのお肉もありました。
この日、我が家は焼き肉用のお肉を買いました。柔らかそうで、とっても美味しそうだったのです。
このH Martは、全米にチェーン展開していて、Mitsuwaのようにアメリカの主要都市には必ずあるようです。

 

最初の決心はどこへやら、これでここでも生きていけると大げさな事を言いながら、ドーンとたくさん買い物をして来ました。
とても主婦の鏡にはなれそうもありません。

H Martの向かって右隣には、化粧品や雑貨を売っているお店もありました。お決まりのように、キティグッズと和の小物がありました。
また、向かって左隣はビデオ屋さん。「日本のドラマもあるはず」と張り切って店内に入ったのですが、韓国の物ばかり・・・。韓国語も読めないので、お店の人に声をかけられる前に、すごすごと退散しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェロとNHKのど自慢

2008年08月29日 | お気にいり、色々
ジェロ・・・と言っても、アメリカのデザートの定番ではなく、日本の演歌歌手のジェロ
今年の夏に一時帰国して、「すごーい!」と感動した事の一つだ。

いつも通る駅にでかでかと看板があって、「あ~、ウィル・スミスね。」と、「ウィル・スミスちょっと痩せた?」と思った程度でなんの疑いもなかった私。
友達から、「ジェロ、知らないでしょ。黒人の演歌歌手だよ。あちこちに出てるから、きっとポスターとか見てるはず。」と言われ、あの痩せたウィル・スミスの看板はジェロだった事が判明。

連日「SMAP×SMAP」の話題で申し訳ないのですが、そのジェロ、3月に出てました。
好きな食べ物はホッケ。好きな歌手は坂本冬美。もぉ~、どこまで外見とのギャップが激しいのでしょう。
でも、そのギャップは天然と言うか、売り込もうとして作った物ではないと言う所がすごい。もちろん、プロダクション的にはそこが美味しい所なんだろうけれど。
彼なら、氷川君に対抗出来ますね。

ジェロの経歴を調べてみたら、おばあちゃんは日本人。出身はペンシルバニア州ピッツバーグ。
デビューのきっかけがなんと「NHKのど自慢」と言うから素晴らしい。

この「NHKのど自慢」実は一時帰国していた時に、私の実家の町からの生中継があった。実家の母から電話がかかってきて、「これから見に行くから、テレビに映るかもぉ~」と言う。生放送だったので、子供達と一緒に目を皿のようにしてテレビを見て、会場で見ているかも知れない母の姿を探したっけ。(笑)

そう言えば、私は「NHKのど自慢」を見に言った事があります。
当時母の勤めていたおそば屋さんの向いの八百屋の兄ちゃんが、お店のハッピを着て一番バッターで登場したのを未だに覚えています。ゲストは、村田英雄と誰だっけ? あれはかれこれ30年も前です・・・。

各地を回るこの番組。各地の特色が斉所に紹介されますが、なんとも懐かしくて、ちょっとウルッとしてしまいました。
「笑点」ともども、ずっと続いて欲しい番組です。

それにしても・・・、今日も時代遅れのブログになってしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェーン・バーキン

2008年08月28日 | お気にいり、色々
エルメスのバッグ・バーキンと言えば、ブランドに詳しくない私でも知っています。
(密かにエルメスは私の憧れのブランドだったりして・・・。分不相応で手が届かないけど。)
そのバーキンが、女優ジェーン・バーキンの名前をとった物だなんて、私は知りませんでした。

私は日本のテレビ番組「SMAP×SMAP」が大好きで、録画した物を時々見るのだけれど、昨日たまたま見た「SMAP×SMAP」のビストロスマップのコーナーにジェーン・バーキンが出演していました。
彼女はイギリス生まれ、女優でもあり歌手でもあります。恥ずかしながら、そんな彼女の事も私は全然知りませんでした。

どうしてバックに彼女の名前が付いたのか?と質問されると、身振り手振りを交えて話し始めました。
「飛行機の中で手帳をね、こうして落としちゃったのよ。(ドサーッと実際に落として見せる)横にいた男性に、『バックには中に仕切りが無いんだもの。』と言ったら、『じゃあ、どんなのがいいですか』と言うから、ササッと書いてみたの」と、実にさらっと話してのけた。
その横に乗り合わせた男性が、当時エルメスの社長であった、ジャン・ルイ・デュマ・エルメス氏だったのです。

番組にも、パンパンに荷物が詰まった大きなバーキンを持って現れ、じゃらじゃらと付けたキーホルダーの中から、ハーモニカの飾りを取りだし、吹き始めました。もう、その辺にいる面白いおばさん状態。でも、持ってるバッグはバーキン。(笑)
番組の冒頭のジェーン・バーキンの写真は若くて奇麗な頃の写真ばかりだったので、私は「だまされた」と思ってしまいました。番組の中でハーモニカを吹いていたジェーン・バーキンは、すでに年齢は60才を越えています。

でも番組を見ていたら、彼女の飾らない人柄に引き込まれていくようでした。
バーキンバックでもじゃらじゃら飾りを付けて、自分だけのバックにしなくっちゃと言う彼女の言葉に、彼女の生き方が現れているようでした。ビストロスマップの勝者にプレゼントしたバーキンバックも、踏んだりけったりして「こうして使うのよ」と言ってました。
SMAPのメンバーが作った料理を食べる時には、本当に美味しそうに食べていました。初めて食べる物でも、好奇心旺盛で、その食べっぷりは見ていて気持ちよかったです。

きっとそんな行いは、彼女だから素敵に見えるのだと思います。
それまでの何十年かのバックグラウンドがあるからこそ、そんな少女のような彼女が素敵に見える。ここ何年かでそうなる物ではないのでしょう。
そんじょそこらのただのおばちゃんが、急に彼女のように奔放に行動したら「大丈夫?」と思われるかも知れませんね。
でも、彼女のように会った時に、人をハッピーにしてあげられる力を備えられたら言いなと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Pod

2008年08月27日 | Philadelphia周辺情報
ペンシルバニア大学(U-Penn または、単にPennと呼ばれる)の近くのPodと言うレストランに行ってきました。
お店の外から見ても、内装が非常に現代的で、まるでインテリア雑誌そのもので興味津々でした。
どうも和食もあるらしい・・・という事で、勇気を振り絞って(笑)行ってきました。

 

途中、Schuykill川沿いのI-76を通る時に、フィラデルフィア美術館が見えました。現在外装工事中とやらで、シートが張ってあるのですが、そのシートにも美術館の外観が描かれていて、違和感がありません。
U-Pennのキャンパスを抜け、レストランへ。
まだ夏休み中にも関わらず、キャンパス内にはたくさんの学生(?)が居て、活気がありました。

さて、Podは中に入ると、私にはちょうど雑誌「Real Simple」のイメージでした。
シンプルでモダンなインテリア。色使いも、白・赤・オレンジといった原色を使っている。回転寿司のコーナーもありました。トイレはまるで飛行機の中のトイレのように男女の区別なく一個一個区切られている個室がずらーっと並んでいました。
店内の様子はPodのWebsite(こちら)で見られるので、ご覧下さい。



メニューはアジアンからアメリカンまで、たくさんとは言えないけれど、創作的な印象を受けた。
本日のお勧めはと説明してくれたのだれれど、何にでも"crispy"と付くので、よっぽど歯ごたえのある物が好きなシェフなのかなぁ・・・と笑いそうになった。デザートまで"crispy"が付いたので、とうとう「crispyがたくさん」と指摘してしまった私。
アペタイザーにレタスラップとチキン餃子、私は無難にパッタイ。娘はお寿司を注文。夫はお勧めメニューからオーダーしていた。アペタイザーはまずまず。盛りつけも奇麗でした。
パッタイはやはり、無難で外れ無し。お寿司と夫のオーダーした物は、ちょっと難ありのような気がしました。

このPodは、STARR Restaurantsという系列の一つのようです。STARR Restaurantsの多くは、フィラブルフィアにあるようですが、New Yorkに店を構えるアメリカ版料理の鉄人「Morimoto New York」STARR Restaurantsの一つのようです。

でも、同じ料理の鉄人による「Morimoto」はフィラデルフィアにもあって、この違いがよくわかりません。先にオープンしたのは、2001年フィラデルフィアのレストランの方らしいです。ニューヨークの店舗は2006年にオープンしました。日本にも六本木にお店があるようですね。
彼の活躍の場は、日本ではなく元々アメリカだったらしく、1998年に「ニューヨークからやって来た鉄人」の触れ込みで番組に登場したそうです。アメリカでは、和の料理の鉄人と言えば、まさしくこの森本氏なのでしょうね。
私にとっては、六さんこと道場六三郎さんなのですが。

料理の鉄人はアメリカでは「Iron Chef America」と言って、とても人気のある番組です。私も時々見る事がありますが、「Queer Eye for the Straight Guy」のTed Allenが審査員をしていた事もありました。彼は最近、「Food Detectives」と言う番組をやっていて、これも面白いです。

と、どんどん話はそれた所で、Podに話を戻します。
お値段は少々高めですが、インテリア好きな人にはお勧めです。若いカップルから、子供連れ、親子、様々な人達が来ていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィラデルフィアについて

2008年08月26日 | Philadelphia周辺情報


フィラデルフィアは、ペンシルバニア州の中でもっとも大きく、2007年7月1日の時点でアメリカの中で6番目に人口の多い市です。
通称フィリーと言われる事も多いです。日本の神戸とは、姉妹都市です。
ニックネームは"the City of Brotherly Love(兄弟愛の市)"と言われますが、"フィラデルフィア"とはギリシャ語で、まさしく兄弟愛と言う意味だそうです。映画「フィラデルフィア」の舞台がこの町だったのも、それに由来するそうです。

まだアメリカがイギリスの植民地だった頃、フィラデルフィアは、商業・教育・文化の中心地で、ロンドンに次ぎ二番目の都市で、植民地アメリカ13州の中心都市でした。18世紀には、政治上また社会的重要さにおいて、ニューヨークに断然勝っていました。これには、ベンジャミン・フランクリンの働きが大きかったと思われます。
また、アメリカ独立戦争においても重要な役割を担い、1794年、独立後のアメリカの最初の首都となりました。
独立宣言書が署名されたペンシルバニア議事堂は、その後「独立記念館」と呼ばれるようになり、世界遺産に指定されています。また、リバティーベルパビリオンには、「自由の鐘」が展示されています。

フィラデルフィアには、映画「ロッキー」のトレーニングの場面で使われた、フィラデルフィア美術館、ロダン美術館などたくさんの美術館があるので、ゆっくり見に行ってみたいです。
また、町を歩いていると、よく壁画も見つけます。これは、1984年にDepartment of Recreation's Mural Arts Programが
美しい町づくりをめざし、落書きをしていた人にその発散の場として、壁画を指導したのが始まりだそうです。今では、プロの画家やボランティアの手によって、2700以上の壁画があるそうです。
たまたま信号待ちで停まった時に、横に壁画を見つけたので、カメラに収めてみました。

歴史も芸術もある町ですが、ニュースを見ていると毎日のように発砲事件もあります。
道を走れば、明らかにここから先は危ないと分かるような通りもあります。昔は栄えて奇麗だったんだろうなと思わせる、今は寂れてしまった町並み。色々な物を抱えている町なんだなぁという印象を受けています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アウトレットがたくさん?

2008年08月20日 | Philadelphia周辺情報
フィラデルフィア郊外に引っ越した時、「我が家から高速道路で20分位の所に大きなアウトレットモールがある」と聞いた時、心の中でガッツポーズをした私。
それが、Philadelphia Premium Outletsで、Webサイトには150店舗と書いてありす。
時差ボケでヘロヘロの時に一度行ったが、確かにたくさんお店がありました。残念ながら「見に行った」だけではあったけれど、この距離ならいつでも行けると実感しました。

 


そして、この週末、オハイオのPrime outletにも大きく店舗を構えている、Potterybarnに行く事になり、やっぱりアウトレットを探しました。
近くに大きなショッピングモールがあるのに、実際にはアウトレットに足が向いてしまうのはどうしてなんでしょうね。
出掛けに自分たちの着ている服を見て、そのほとんどがアウトレットで買った物だと気がつき、「庶民だなぁ~」と笑ってしまいました。

向かった先は、Lancasterと言う町。そこには、Tanger Outletsと、Lockvale outletsという二つのアウトレットがあります。
たまたま、その日はLockvale outletsの方で、アメリカで人気のディズニー番組「Hannah Montana」の主人公のHannahの友人役の子が来てサイン会をしていたので、子供達がたくさんいました。Disney store
のアウトレットもあるのですが、そこは大変な混雑でした。

先日Harrisburgに行くのに別の高速道路を使った時にも、あちらこちらに「Outlet」の看板を見つけました。
ペンシルバニアに引っ越す事が決まった時、「洋服にかかる税金が無い」とは聞いていましたが、そのせいかどうかわかりませんが、ここペンシルバニア州にはアウトレットモールがあちらこちらにあるような気がします。

アウトレット目的で出かけたLancasterですが、行く途中や渋滞のために迂回した道路に大きな農場や、アーミッシュの家、実際に走っているアーミッシュの馬車を見つけました。馬に乗って畑で作業している女の子や、小馬に芝刈り機を引かせているアーミッシュの人も見かけました。


 


そんな景色を見て癒されていた私。電気などの文明を持たないアーミッシュのような生活が、本当は人間らしいのかなぁと思ってみたりしていました。でも、そんな生活はもう私には出来ないし・・・と思っていたところに、交通量の多い道路で馬車を走らせているアーミッシュの人を見かけ、彼等のように生活するのも大変だなぁと同情するとともに、私は車を走らせ彼等の生活に踏み入る方の側なんだなぁと、少し寂しく思ったりもしました。

そう言えば、2006年秋に起きたアーミッシュの学校の襲撃事件が起きたのが、このLancasterでした。
アーミッシュ達が、5人を殺害しその場で自殺した容疑者の葬儀に参列し、容疑者の遺族に心からの許しを表明したことは、容疑者の遺族でだけでなくそのニュースを聞いた全ての人が感動した出来事だっだと思います。
そんな彼等が暮らす場所に、大きなアウトレットがあり、トウモロコシ畑の迷路やWonderlandといった娯楽施設があるのは、ちょっと不思議な感じでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペンシルバニア州の州都は?

2008年08月19日 | Philadelphia周辺情報
 

所用のため、ペンシルバニア州の州都に出かける事になりました。
ペンシルバニア州の州都は、すっかりフィラデルフィアだと信じて疑っていなかった私。
それが、ハリスバーグ(Harrisburg)と聞き、正直「どこ、それ?」と思ってしまいました。

西に車を走らせる事1時間半、ハリスバーグは、ペンシルバニア州第四の都市だそうです。
サスケハナ川と言う川が流れていて、その川沿いをたくさんの人が歩いていました。
このハリスバーグは、歴史的にも重要な役割を担っていたらしいのですが、1950年大を境に衰退してしまったらしいです。でも、最近では再開発が進み、再生しているそうです。
そんな奇跡が、町のあちらこちらに見られました。昔は栄えていたであろう、町並み。たくさんの人が住んでいたであろう町並み。
少々道に迷った事もあって、そんな住宅地を抜けると、急に州会議事堂の前までまっすぐ延びる道に出て、人もたくさん歩いている活気のあるダウンタウンが開けました。
国立南北戦争博物館やペンシルバニア州立博物館、ホワイテイカー芸術科学センター等もあり、この町を本拠地にする交響楽団もあるらしい。今回は、時間が無くて通るだけだったけれど、いつかまた訪れてみたいみたい町の一つになりました。

これもまた、迷い込んだのだけれど、途中スチールトン(Steelton)と言う町を通りました。
川沿いに大きな工場があって驚きました。今もそこは稼働しているのかどうかわかりませんが、昔は活気に満ちた町だったんだろうなと思いました。さすがに、スチールトンと言う名前だけ合って、鉄の町なのだろうなと思っていたら、やはり、その町には、鉄道のレールを作る会社があるそうです。もしかしたら、私達が見たのはその工場だったかも知れません。

話は飛びますが、ロードアイランド州にニューポートという町があります。
そこには、お城のようなマンションが建ち並んでいて、Bostonに住んでいた頃に見に行った事があります。そのマンションのツアーの時に「鉄道王が建てた」という話を聞いたような気がします。もしかしたら、この鉄道産業でリッチになった人が、近場のリゾート地としてニューポートにマンションを建てていたかもしれないなぁ~と、私の思考はどんどん加速してしまいました。
ニューポートのマンション情報はこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新たな担当医

2008年08月12日 | アメリカ歯科・医療事情
引っ越したと言う事は、新たな担当医も探さなければならないと言う事です。


私の場合、一番の気掛かりがやはり「歯医者」なのですが、幸い(?)夫の方が先に歯医通いが必要になりました。
歯の詰め物がとれたのです。

まず、保険会社のサイトでその保険の使える歯医者を検索し、家からの利便性も考えて自宅から来るまで10分足らずの所に決めたようです。
そして、彼の受けた印象が良かったので、私もその歯医者に通う事に決めました。
オハイオで通っていた歯医者から、クリーニングを7月にするようにと言われていたので、さっそくクリーニングと健診の予約をする事にしました。すでに8月でしたが・・・。

電話では、面倒な事は英語でうまく伝えられないので、夫が診察を受ける時に一緒について行って予約を入れる事にしました。
行ってみて驚いたのですが、そこは大人の一般歯科だけでなく、小児歯科・矯正歯科・根管治療専門歯科もかねた大きな歯医者でした。
クリーニングを早くしたいと受付の人に言ったところ、10月までは予約がいっぱいだとの事。キャンセル待ちのリストに追加してもらおうと相談していたら、受付の奥に陣取っていた女性が「私が入れてあげるわ」と出てきて、あいている時間に予約を入れてくれました。
夫いわく、スケジュールなどに関わる事は彼女が仕切っているそうです。
そこで予約をとり、必要書類をもらって家で記入する事にしました。
この書類の記入が、病名や専門用語などがあり結構面倒なので、私は出来るだけ事前にもらって家で書くようにしています。

ついでに末娘の歯も見てもらおうと相談した所、最後に健診を受けたのはいつか聞かれ、6月と応えると、12月に予約を入れれば良いので、9月に入ったら電話するように言われました。
後で気付いたのですが、最後のクリーニングは6月では無く3月でした・・・。また、新たに予約入れてもらう相談をしなきゃです。


そして、末娘の転校のための書類が必要なので、小児科の予約もしなくてはなりません。
こちらも、やはり保険会社のサイトで調べました。末娘も12才だし、どうせなら大人も見てくれる所が良いなぁ・・という事になり、やはりこれも車で5分ほどの所にしました。
やはり行ってみて、自分の目で確かめてから予約をしてきました。
大人の患者さんが何人かまっていましたが、「最近引っ越してきて、子供のために医者を探している。」と言った所、「学校に提出する書類もあるのよね。」と言ってくれたので、その旨を話し、予約をし、診察のための書類をもらって帰ってきました。


とりあえず、歯医者と病院は決まったので、ちょつと安心しています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体験入学と予備校入学

2008年08月12日 | アメリカ学校/教育事情
この夏、日本にひと月滞在した主な目的が、長女と長男の本帰国・予備校入学と末娘の体験入学でした。

長女と長男の予備校の入学申し込みをしたのは、ぎりぎり6月に入ってからでした。
実際、帰国子女クラスが始まるのは、早い予備校で7月末ですが、予備校の申し込みは、すでに冬くらいから出来ます。
早く申し込めば得な事もあるようなので、各予備校のサイトでチェックする事をお勧めします。

我が家の二人は、それぞれ彼等自身で通う予備校を選びました。
自分の進みたい学科、それぞれの予備校の特色などを考えての結果です。
長男は50分弱、長女は1時間強の時間をかけて電車で一本の予備校に決めました。
ここには詳しく書きませんが、通い始めると予備校によって本当に様々な先生がいて、特色もあります。
周りの環境に流されやすい人は、ガンガン課題を与えられ、きっちり勉強させてくれる所が良いし、周りに流されずにやって行ける人は、予備校の特色や立地だけで選んでもいいかも知れません。

予備校の事だけでなく、彼等は私がアメリカに戻ってから、祖父母が近くに居るとは言え、彼等二人で生活して行く事になります。
そのための環境作りが私の最後のお勤めと言う感じでした。
四年前に渡米した時のままだったガラクタを捨てたり、掃除する事から始めました。不燃ゴミ・可燃ゴミ・リサイクル・粗大ごみと分類し、日本でゴミを捨てる事の大変さを実感しました。
必要な物の買い物、まずは電気製品の購入から。冷蔵庫・炊飯器・掃除機等々、必要な物は意外にたくさんありました。
電気屋さんのポイントカードを駆使したり、値引き交渉をしたりして、楽しくお買い物をしました。

幸い、自炊に関しては、祖母の協力も得られます。そして、お総菜の豊富な日本。近くのスーパーやコンビニでも溢れるお総菜の数々。お弁当屋さんや、気軽に入れるラーメン屋さんもあります。
ただし、頭を使って栄養のバランスを考える事は大事ですが。
最初のうちは、楽しんで買い物したり、自炊したりしていましたが、だんだん嫌になってしまうかも知れませんが。
とにかく、受験の終わる春まで、体調に気をつけて頑張ってほしい物です。


末娘の体験入学は地元の中学で、二週間ほどさせていただきました。
日本での義務教育を小学校二年生まですごし、その後アメリカの現地校と補習校しか知らない末娘にとって、ハラハラドキドキの体験入学になりました。
春ごろから中学宛てにFAXを送り、体験入学したいということと、こちらの連絡先を伝えました。これに中学の校長先生から返事があり、担当の先生とのやり取りをし、期間・時期・クラスなどを決めました。
特にクラスは先生の配慮で、英語の先生が担任で小さい頃の友達の居るクラスに入れていただきました。

教科書はコピーした物を使い、制服も持ち物も、何も買う必要は無く、ある物で良いですよと言われましたが、上履きは「学校指定」の物を買いました。
制服とかばんは幸い長女がその中学に通っていたので、長女の物を使えました。
体操服も最初の一週間は長女の物を着ていましたが、デザインが変わっていて、末娘の希望で二週目には新しい物を買いました。

初日はさすがに疲れたようでしたが、結局二週間嫌がる事なく通いました。
日本の学校で大変な事は、「冷房が無い事」と「掃除を自分でする事」だそうな。
でも、合唱コンクールの練習をする時期でもあり、朝練にも参加しました。たくさん友達が出来て、うちにも連れてきたりして楽しそうにしていました。
改めて中学の先生方、クラスメイトの皆に感謝です。


そして私はこの他に、たくさんの友人との再会を楽しんだり、実家に帰ったり、ビザ申請をしたりしてあっという間に一時帰国は終わっていまいました。アメリカでは行けない、居酒屋にもよく足を運びました。

そんなこんなで、日本の暑い夏を満喫した一ヶ月でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タングルウッドとミツワへの旅

2008年08月08日 | 旅行記
家の中もきちんと片づかないまま、二拍三日でマサチューセッツ州の西・タングルウッド音楽祭に出かけてきました。
ボストンに住んでいた時には、毎年出かけていた森の中での演奏会です。

オハイオに住んでいた時にも行きましたが、コンサートが始まる前に夕立に遭い、屋根の無い芝生席のチケットだった私たちは、演奏を聴かずして断念した事がありました。
その教訓もあり、今回は奮発してKoussevitzky Music Shedの座席を購入しました。
しかも、ソリストがヨー・ヨー・マなので、このチケットを予約したのは2月でした。自分でも用意周到なのに笑ってしまいます。

ブログラムは、三曲。
一曲目が、スペインの作曲家アルベニス作曲の組曲「イベリア」。これは、もともとピアノ曲だったらしいがそれをオーケストラ用に編曲されたものらしいです。
二曲目は、フランスの作曲家ラロ作曲、チェロ協奏曲。このソリストがヨー・ヨー・マだったわけです。
インターミッションを挟んで、三曲目が、ロシアの作曲家ラフマニノフ作曲、Symphonic Dance(日本語ではなんというのでしょう?)でした。

コンサートの間中、シェッドの中に入り込んだ鳥かピーピー鳴き、オーケストラの音楽に合わせて歌っていました。
これも、野外コンサートならではでしょう。
ヨー・ヨー・マが楽章の間で、それを指摘し、観客の笑いを誘うなんて言う場面もありました。
そうそう、チェロコンチェルトの間に、予想通り(?)雨がザーザー降ってきました。今回奮発してシェッドの中の席を買ったかいがありました。

コンサートの後、まっすぐニュージャージーのホテルまで移動。
次の日はミツワマーケットへ。

現在住んでいる所は、日本食材店が少ないのですが、オハイオに住んでいた時に何度か行ったシカゴのミツワよりは近くなりました。
車で二時間と言う距離なので、きっとこれからもお世話になると思います。
ちょっと偵察・・・と思って寄ったわりには、あれもこれもとたくさん買込んでしまいました。
なんだか、日本食料品が乏しい場所で、今回買込んだ日本の食料品はとても貴重な物に思えてしまいます。

午後から用事があったため、ミツワマーケットから自宅直行となりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初ドライブとスピリッツ

2008年08月02日 | サバイバル in America
フィリー郊外に引っ越してから1週間が過ぎました。
しばらく片づけ物ばかりしていましたが、昨日は初めて一人で運転して買い物に出かけました。

目的地は、自宅から10分程度のショッピングセンターにあるスーパー。
以前住んでいたオハイオと違って、地形に起伏があり道路もくねくねしているので、道の先に何があるのか予測出来ず、初めて走る道という事もあり運転は慎重にならざるを得ません。
改めてオハイオの住みやすさを実感しました。

ペンシルバニア州(PA)に来て気付いたのですが、普通のスーパーにお酒が売っていない!
あのTrader Joe'sにさえワインがなく、店内はなんとなくガラァ~ンとした感じでした。

そんなわけで、この一週間というもの、一日の終わりに泡の出る物で「かんぱーい!」としたくても、それが叶わないでいたのです。
一時帰国した日本で、ざんざん飲み歩き、最初に一杯は生ビールで乾杯!というのが常識になっているので、なんとなく日々物足りなく感じてしまっていました。
幸い(?)オハイオからの引っ越しの荷物の中に、ワインが数本はいっていたのでそれで乾杯していたものの、やっぱり夏はビールだなぁ・・・と思っていた私。
そんなわけで、昨日の買い物の時にも、「ビール調達」と言う目的が頭の片角にありました。

スーパーでの買い物を終え、ショッピングセンターを見回した時に、「Wine & Spirit」の文字が・・・。
当然、そのお店に入ってみました。

恥ずかしながら、私はこの「Spirit」を日本語の「魂」と言う意味しか知らず、「ワインを飲んで魂を悪魔に売り渡すほど酔っぱらうって事かなぁ・・・」と、すごい名前の酒屋さんもあったもんだと信じて疑わなかった時期があります。
それもかなり長い間・・・。この場合の「Sprit」が蒸留酒 を差す物だと知ったのは、つい最近のような気がします。

ともあれ、初めて足を踏み入れたお店にはワイン、ウイスキー、ブランデーなどのお酒がずらり! でも、泡の物は見つかりませんでした。
そもそも、ビールはSprit・蒸留酒ではないのですよね。

そこでひるまず、お店の人に「ビールはどこで買えますか?」と聞いた所、同じショッピングセンターのデリショップで買えると教えてくれました。
そのデリでは、食品も一緒に売っていたので、なぜに普通のスーバーでビールを売っていないのか、新たな疑問が出来てしまいました。
ともあれ、ビールをしっかりゲットして帰路につきました。めでたし、めでたし。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰って来ました

2008年08月01日 | サバイバル in America
日本でひと月の一時帰国を終え、アメリカに戻りました。
と言っても、以前住んでいたオハイオに一泊しただけで、新天地フィラデルフィアへ・・・・

フィラデルフィアと言っても、我が家の住まいはそのダウンタウン(ここでは"センターシティー"と呼ぶ)から車で30-40分ほどの郊外。緑と歴史の有る町です。そうそう、大きなショッピングモールアウトレットモールもあります。

引っ越してから、はや一週間が過ぎました。
この間、荷物整理と新たな生活に必要な買い物ばかりしておりました。
今朝から、インターネットがようやく繋がり、情報収集もしやすくなりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする