茶道の初稽古は1/7だった。皆、居ずまいを正して大先生へ御挨拶を申し上げた。点心(軽食)は若先生の御手製。濃茶御点前の若先生の凛としたお姿に息を呑んだ。
掛軸は淡々斎(先々代家元)筆の「五雲繞蓬莱」で祝賀の気分。炉縁は摺漆に慎ましい桐蒔絵。木地は秀吉御手植えの朝鮮唐松、という。
秀吉の命令で朝鮮へ出兵した誰かが、苗木を秀吉に献じたのだろうか・・ 老木となって処分されるとき、その材から5組の炉縁が作られた。その内の一つ、と大先生が明かして下さった。淡々斎の箱書(証明)が待合に置かれていた。
連行されてきた朝鮮陶工の多くは、各地の陶芸興隆の師となり、茶道そして日本の伝統文化の発展に大きく寄与することとなった。歴史の複雑性を思わずにはいられない。
濃茶を戴いた後、「員茶(かずちゃ)」(ゲーム感覚の「花月」の一種)で薄茶を、皆が替わるがわる戴き、かつ点てた。私は「札元」の隣の「目付」役。いつもながらの無作法を連発しながらも、快い緊張感が楽しかった。
私が田舎暮らしに憧れる要素は揃っています。違うのは経験があるかないかでしょう。やっぱり仕掛けは早くないと成功しないでしょうね。私はいつもお客さんの目で、生活者にはなれないだろうな。[E:cancer]
大正から昭和初期=大正ロマンティシズムそしてアールデコの時代には、淡い憧れの気持があります。S区の旧庁舎別館もこの時代の建築、懐かしいです。でもこの時代は戦争の時代へ、雪崩れを打つように押しやられてしまいました[E:think]
有機無農薬農業を推進する方々は、昭和30年代の農法に学ぼう、と言います。知力・体力ともに衰えた現代人でも頑張れば何とか近付くことが出来る時代、という訳です。農法を含めた暮し方について、風土に合った伝統に少しでも学びたい、と私も思うのですが、なかなか・・・
茶道の稽古を突然始めて3年弱、おかげさまで続いています。茶道のチャにも全く関心が無かった、というよりもむしろ否定的だった私が、どうしてこんなにのめり込んでしまったのか、自分でも理由がよく分かりません。やはり伝統の力、というものでしょうか?