花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

葛城山・役行者と一言主神

2011-01-27 11:49:16 | 神社・神話
猶見たし花に明 行神の顔(なおみたし はなにあけゆく かみのかお)
この句は松尾芭蕉の「笈の小文・おいのこぶみ」芳野紀行のものです。

葛城山の祭神の一言主神(ひとことぬしのかみ)の神様は、大変醜い顔立ちで、その昔、役の行者が葛城山から金峰山に橋を作っていた時、この神は容貌を恥ずかしがって夜間だけ手伝ってくれたという伝説を踏まえた句で「恥ずかしがらずに顔を見せてください、一言主神さま。この山の桜は全山満開、その美しいこと。あなたもきっと美しいに違いありません。」という意味があるそうです。

大和葛城山(やまとかつらぎさん)は、奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境に位置する山で標高959.2m、金剛生駒紀泉国定公園内にあり、北の二上山、南の金剛山とともに連峰をなしている金剛山地の山の一つです。

葛城山には、吉野山、修験道の開祖とする役 小角(えん の おづの /役行者)がいたとして有名です。

役 小角の祖先の出自は、出雲の鴨族(賀茂)とされ生まれたのは御所市の吉祥草時がある芽原の地で母は巫女さんで、生まれつき賢く、博学の面では近郷の第一人者でした。少年の頃に母と別れて葛城山に入り山中で修行を重ね、仏法を心から信じ、修行につとめていました。
修行を重ねたことで役 小角は、いつも心の中で、五色の雲に乗り、果てしない大空の外に飛び、仙人の宮殿に集まる仙人たちと一緒になって、永遠の世界に遊び、百花でおおわれた庭にいこい、いつも心身を養うなどし、初老を過ぎた四十余歳の年齢でも岩屋に住んでいたといか。。。葛(かずら)で作ったそまつな着物を身にまとい、松の葉を食べ、清らかな泉で身を清めるなどの修行をし、これらによって種々の欲望を払いのけ、不思議な験力(げんりょく)を示す仙術を身につけることができ、また鬼神を駆使し、どんなことでも自由自在になすことができたと言われており、全国的に役 小角の開創と伝える古社寺は多いです。

小角は、しばしば吉野から熊野までの大峰奥駈道を往来しており、葛城山から吉野までは登り下りに難儀していましたが、葛木山には難所が多く、小角は吉野の金峯山と葛木山との間に岩橋を架けようとしました。(岩橋というのは川に石を投げ込んで、その石を伝わって渡れるようにする事です。)

橋を架ける工事の為に、小角は、一言主神や鬼神を呼び集めて橋を架ける仕事を命じました。鬼神たちは仕方なく嫌々ながらも仕事にかかりましたが、工事の進み具合が悪いので様子を見ると、鬼神たちは昼間は作業をせずに夜だけしか働いていなかったのです。何故かと問うと、自分たちの顔と格好が醜いので里の人に見られたくないというのです。でも、小角は日中も働くようにと言いつけ、それでも工事の進みが悪いので調べて見ると一言主神が鬼神と示し合わせて怠けている事がわかりました。小角は大変怒り、呪術をつかって一言主神が身動きできないように金縛りの刑にしました。一言主神は恐い顔に似合わず大きな声を出して泣き叫びますが、小角は藤のツルでぐるぐる巻きにして谷底に投げ込んでしまいました。

それからというもの一言主神の大きな泣き声が峰中に響きわたり、一言主神は恨みが積もって、その魂を賀茂の社の神官の身に乗り移らせ、神官は気が狂ったようになってしまいました。社の前を人が通る大人にでも子供にでもかまわずに叫び続けました。
「賀茂の役の優婆塞(役 小角)が国を傾ける。謀反だ!早く捕まえて牢屋へ入れろ!今に国が滅びるぞ」といって叫び、一言主神の魂が乗り移った神官たちの言葉をそのままにしておく訳に行かず、役人が小角を捕える為に立ち上がりました。大勢の役人が小角を取り押さえようとしても、金縛りの術などをつかったり空へ飛び上がったりしてなかなか捕まえられず、小角の評判はいっそう高くなり、役 小角の母を捕らえると、出てて来て捕まり、伊豆の島に流されたとの言い伝えがあります。そのとき、体が海上を浮かび走ること陸を歩くがごとく、高い山にいて飛ぶごとは鳳がかけるようで、島に流されてからは、昼は天皇の命に従い島で修行し、夜は富士の山で修行したそうです。

一言主神は、大国主神の子であり葛城の土地神でした。「古事記」には460年、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見つけ、天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答え、天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げたとあります。
その名から「一言で物事の善悪を判じる託宣神」と言われ、その神様を使用人のようにした、役 小角は、真言密教の空海より約100年ほど前の人物で、活躍したのは7世紀頃だそうです。

ところで皇位継承をめぐって、天智天皇の子・大友皇子と対立した大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱「壬申の乱」(じんしんのらん672年)のとき、小角は大海人皇子に味方して勝利に導いたとされています。
結果?一言主神の言ったように、国の流れが変わったようですが、一言主神が昼も働いていたらどうなっていたのだろう。恨まれるようなことはするものじゃないですね。役 小角は顔を気にするほど醜くないから…と言ったつもりかもしれないけどね。昼も夜も働かされたら、疲れるよ(^_^;)

701年、役 小角は島に流されて3年が過ぎると、恩命が下り朝廷の近くに帰され、ついに仙人となって空を飛んだとされています。仙人は霞を食べるって言うけど、どうなんだろう~。

役 小角って、仙人というか七福神の寿老人のようです。
一言主神(ヒトコトヌシ)は未だ、呪術をかけられたまま解けないで山中にいるとされています。
鬼神を工事するために使っていたのですよね。一言主神はその鬼神のリーダーだったのかしら?「一言で物事の善悪を判じる託宣神」が悪そうな鬼神と共にいたのは、鬼にも「善き心」があったからでしょうかね。
一言主神は能の演目では女神であったとされています。

まだ、一言主神は山の谷底にいるとも言われていますが、働いていたのに短気な役 小角に金縛りの刑にされて気の毒です。役 小角も赦されたのだから一言主神も解いてくれたのかしら?
仕事しないからってヒドイけど、仲良くできたらよかったのに。

物語にできそうな神話でした。

今日もご訪問をありがとうございます。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして。 (たか子)
2011-01-27 12:57:24
花ぷりん と言うお名前を想像しながらお邪魔しましたら、ガラッと今日のお話がイメージとは違い、少し戸惑いましたが、でもとても実直な信頼の置けるブログだと思いました。

きっと、偽りのない気持ちを聞かせて頂ける気がしました。

今回のお話しは、神世の時代の事は私たちに転写されていると云う事を今更ながら思ったことと、神様だから全て善では無くて、なんでもありっこなんだな~っと・・・

だから、気負う事無く私たちは生きていけるんだな~と思いました。
けっこう昔の神様って我侭だった ?
おっと、その転写を受けているのが私たちでした・・・?
すみません (たか子)
2011-01-27 13:01:40
花ぷりん ではなく、花はなぷりんさんでしたね。
ごめんなさ。
たか子さん (花ぷり)
2011-02-06 10:52:09
ご訪問をありがとうございます。
遅くなってすいません。
丁寧な文が、また、嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
大変面白かったです。 (えんのぎょうじゃ)
2011-08-08 13:38:36
吉野山に住み3年ほど、芭蕉の句や句碑、歌碑の意味を調べていてたどり着きました。
葛城山や役行者、一言主神と見覚えのあることばかりで大変興味深く拝見致しました。吉野山は修験道の聖地、役の行者はその開祖としか知らず違った一面を知り面白かったです。思わずコメントさせていただきました。お邪魔しました。

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