つぶやき①

みなさん、
2年間応援をありがとうございました。

私のカラダ

2006年01月31日 | つぶやき日記
 

       ベビーシッター(とんすけ)

いつも読んでくださっているみなさんへ

私の身体についての記録です。
私の病気はこちらをお読みください。

自己紹介バトン・知ってるつもり?の補足です。

おやすみ(ジミニー)

あたま・・・ありがたいことに壊れませんでしたが、手術前後の記憶はありません。
ずっと夢を見ていたようで、現実と夢の区別が付きませんでした。

面会謝絶ながらも、親しい人を部屋に通してくださったため、
脳への刺激が多かったことが良い結果を生んだと思います。

息子の歳を20歳と婦長さんに言った。そして、婦長さんは妹に
「お姉さんは息子さんの歳を間違えているからちゃんと教えてあげて」と。

高校2年生・17歳でした。

・・・コンタクトを使っていたけれど、握力がなくなり目にレンズが入れられず眼鏡。
手術後は眠っている間に眼球が乾くと「失明」の恐れがあるという理由から
「アイパッチ」。だから目覚めてからも光が眩しくラジオを聴いていた。

まつげ・・・点滴の威力はすごい。
まつげが伸びだし、看護婦さんに「CMに出られるよ」とうらやましがられた。
長くってクルンとしていたらしく、娘も「いいなあ」といったほど。

お断り:まつげの長さだけがかわいかったのです。

だから看護婦さんに病気をしてよかったことは、
「まつげが伸びたことだけ」と言っていたらしい。
「まぼろしのまつげ」です。(写真なんて考えられませんでした)

はな・・・臭覚はすごい。料理も匂いで当てる。

みみ・・・元気なころは褒め言葉は、特に良く聴こえる耳を持っていた。
シカシ、命を助けるためのありとあらゆる強い薬の副作用か、
徐々に聴力を失う。今ではテレビの音はまったく消音状態。


   

くち・・・7カ月人工呼吸器が入っていたため、
ろれつが回らず、まるで子どものしゃべり。
しゃべるしかリハビリはなく、ハーモニカを吹く練習も取り入れた。
今では、ずいぶんと回復した。(聞いてくださる人が私のしゃべりに慣れてくれた)

て・ゆび・・・グーの状態で、垢が溜まるほど動かなかった指。
リハビリのマッサージと両手の指を伸ばす装具着用で
右手はほぼ、パーの状態にまでのびた。
でも、顔を洗うのはねこよりも下手。(指が完全に伸びなかったから)

食事は下品、お茶碗を両手でもてないから、行儀が悪い。
「気にすることないよ」と友達はみんな言ってくれます。
元気なとき上品でもなかったし、気にすることないか・・・とも。

お箸は使えますが、それよりも便利な介護用品使用中。
給食用の先割れスプーンの真ん中が開いているもの。
これひとつでつかむ・すくう・きる・・・ができる優れもの。
握力なくても使えます。

お味噌汁・スープはストロー。水やお茶はペットボトル
普通のマグカップは重くて難しい。
握力がないので手が震えるとこぼれてしまいます。

ペットボトルのふたも緩めていないと開けれません。
幼児と一緒の力しかないのです。


おなか・・・端から端まで一直線に切ってある。
傷口は手術後の治療のため、開腹のまま縫わず、自然治癒。
手術後211日目で傷口がふさがった。(2000.05.30)

あし・・・歩けなくなった足は作り物のように細い。腿の筋力強化が鍵。
両足、ロングブーツのような装具着用。筋肉は使わないと痩せるんですね。

身体は太っても足は細いんですね。 


ボール遊び(イーヨー)作成日:2006.05.26ボール遊び(イーヨー)




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