人の間・時の間・空の間:B面

今日も 【 間 】 を縫って進もう、自分の港へ。

“沼”が消えた

2009-06-27 06:36:05 | 時の間:B面
息子が部活を引退しました。
したがって“ 沼 ”も消失しました。
毎日持ち帰る砂と汗にまみれた衣類は、帰りのバッグの中でほどよく発酵熟成され
次の朝の洗濯時には、えもいわれぬニオイを発していました。
それを下洗いのため洗面のシンクに浸けたものを“ 沼 ”と呼んでいました・・・

「社会人になっても、こんな苦しみはそうそう味わえないぞ!」
「これに耐えられれば、将来大概のことは乗り越えられるぞ!」
とOBから励まし?続けられた魔の3年間。
よくがんばったと思います。

一度だけ練習を見たことがありますが、ウワサどおり軍隊なみのスパルタでした。
むなぐらをドツキ回されて、なおへこたれない子どもたちに逞しさを感じました。

この時代、生徒や親におもねる教師が多い中、
徹底して厳しくご指導してくださった顧問の先生には感謝の心でいっぱいです。
見えない部分に様々な軋轢があるのだと思いますが、
それを跳ね除け、まい進する姿勢を尊敬しています。
体力気力の充実したこの時期に、貴重な経験だったと思います。
息子のこの3年間は、必ずこれからの人生を生き抜く糧になると信じています。

あんなに悩ましかった“沼”も今となっては懐かしいほどです。
砂と汗にまみれたあのニオイも、もう2度と嗅ぐこともないのでしょう。
あっさりと、どこかもの足りない毎朝の洗濯をしながら、
「時は戻せないんだなぁ・・・」と感慨にふけるのでした




音に会いたい

2009-06-23 05:20:49 | 時の間:B面
自宅リビングの壁に掛かっているSEIKOSHAのボンボン時計です。
インターネットでいろいろ探してやっと買いました。
「アンティーク時計」と検索すると、
とんでもなく昔のゴーカな時計が出てきたりして苦労しました。

私の欲しかったのは・・・
昭和初期~中期のもの
振り子、文字などができるだけシンプルなもの
文字盤はぜったいモスグリーン
ガラス面はトーメイか幾何学模様入り
・・・やっと理想のものが見つかったのですが、
ただひとつ残念なのは『日付の窓』がついていないこと。
これがあれば完璧なのだけれど・・・でもほぼ満足しています。
ボーン、ボーンとなんとも言えぬいい音がします。

その昔、親戚が時計屋をしていて、よく泊まりに行かせてもらっていました。
時間になると店じゅうの時計が様々な音で
ボーン、ボーン、ポーン、ポーンと何十個も重なって鳴っていました。
夜などは、少し怖いような、別の世界へ引き込まれるような
どこか不思議な気持ちで聞き入っていたのを思い出します。
叔父や叔母に優しくしてもらったこと、
いとこと遊んで楽しかったこと、
朝食の卵焼きが美味しかったこと・・・様々な思い出と共に。

ああぁ・・・もう一度、あの音に会いたいな。


マイブーム

2009-06-21 05:09:34 | 時の間:B面
なぜか???学生時代の夢は『 山に籠って画家 』でした。
芸術家を目指していたわけでもなく、
それどころか美術部に所属したことさえなく、
絵を描いたり創作することが好きかと問われれば口ごもるしかなく・・・
何段論法くらいすると、そんな夢にたどり着くのか
いったい何を考えていたのだろう・・・いまだに深いナゾです


そんな私が・・・始めたんです!ついに創作活動を!
月に2回『ガラス胎七宝』というのを習い始めました。
簡単に説明しますと、ベースとなるガラス板に
粉状の色ガラスや銀線、金箔などを乗せて
炉で溶かして全体を融合させるというものです。

それが、めっちゃ楽しいんです!
デザインは、ほぼ図案どおりに出来上がるのですが、
色合いや融合の仕方などは、その時の炉の温度などにより違うので
突発的で曖昧な部分が多分にあって、そこがまたオモシロいのです。
炉から出てきて「ワァァ」または「ワァァ」という感じです。

しばらくハマリそう!
そのうち本腰入れて、ゆくゆくは『 山に籠って作家 』にでもなりますか




終わりが「脳死」なら始まりは?

2009-06-17 10:48:13 | 人の間:B面
明日18日、臓器移植法改正4案の採決が行なわれる予定です。
大きなニュースではありませんが私は行方に注目しています。

臓器移植に一縷の望みをつなぎ、
なんとしても生きたい、なんとしても家族を生かしたいと
切実に望む方々がいらっしゃるのも知っています。
当事者でもない私が、軽々しくものを言ってはいけないということは
十分承知しているのですが・・・とても不安なんです。

仮に脳死が“人の死”であると決定した時は、
つまりは心臓死を待たずに臓器を取り出すのを許すということです。
身体のすべてが停止しないうちに人体を解体し、
パーツとして扱うことにとても違和感を感じます。

ココロは身体に宿り、身体はココロに動かされていると信じる私は
身体のすべてが止まった時こそが「人(としての)の死」であると考えます。

仮に、脳死が人の終わりとするなら“ 人の始まり ”はいつからなのでしょう?
脳の完全形成が「始まり」だと考える時、
それ以前は「まだ人ではない」「まだいのちではない」
たとえ心臓が小さく鼓動していたとしても。
・・・なんてことにはなりはしないのか?・・・不安です・・・


ある物事を法律として成立させるのには、
それを必要とする人々(力)が必ずはたらいています。
それは光と同時に“闇の子供たち”へと続くような影をも生み出すのです。

「人の始まり」を法律で決めるような
そんな恐ろしいことにだけはならないことを切に祈ります。






2時間じゃ彼の魅力は語れない

2009-06-10 05:36:11 | 時の間:B面
映画「カゲタカ」を観てきました。
今はなんでもDVDやビデオで観れてしまうので、
あえて劇場へなんてこともメッキリなかったのですが・・・
さすがに大ファンである土曜ドラマ「ハゲタカ」の映画と聞けば
行かないわけには・・・いかないっしょぉ~

結果、うぅぅぅ~ん・・・なんだろう・・・・
ミスキャストなのかなぁ?
急ぎすぎなのかなぁ?
詰め込みすぎなのかなぁ?
以前の登場人物の“その後”が唐突で軽薄なのかなぁ?
それともただ、私の期待が勝手に大きすぎたのかなぁ?
「金返せぇ!」とまでは言いませんが、ちょっとばかりガックシきています・・・

テレビドラマでは6時間かけて、じっくりじんわり魅せてきた鷲津雅彦の魅力を
2時間で表現しようってのは、ちょと無理なのかもね・・・

いずれにしてもNHKテレビドラマの「ハゲタカ」はこんなもんじゃないですよ!
もう逸品中の逸品!秀作中の秀作です
日本人の真実の魂が知りたい人は!ぜひみて下さい!
大森南朋のファンの人も!是非みて下さい!

苦しみの両面

2009-06-07 06:54:13 | 人の間:B面
足利事件で服役していた菅家利和さんが釈放されました。
身に覚えのない罪で拘束された彼の17年の歳月を思うと本当にやりきれない思いです。

その間、息子の無実を信じながら亡くなったご両親・・・
そして、その死を知ったときの菅家さんのお気持ち・・・

到底我々には、理解できようもない過酷な日々だったことでしょう。
それを思うと怒りや憤りを通り越して、
無常感というか脱力感というか
あまりに重過ぎて虚ろな気持ちになってしまいます。
他人の心を思いやることには限界があると感じてしまうのです。

ただひとつ、たったひとつ強く念じるのは
菅家さんを、そのような立場に追いやった人々の17年もまた
後悔と慙愧と恐怖の歳月であったことを願います。
菅家さんと真反対から、苦しみを凝視していたことを念じます。

そうであってくれなければ。