人の間・時の間・空の間:B面

今日も 【 間 】 を縫って進もう、自分の港へ。

ツバメ

2006-05-29 12:51:35 | 今日の俳句
「畦焼きのツバメ印の燐寸かな」 阿部 静雄


飛び交うツバメが目に付くようになりました。
軒先にツバメが巣を作ると、その家は栄えると聞いたことがあります。
わざわざ台座などを作って燕を迎える家や商店なども見かけます。

あのツバメも、
昨年のスマトラや今回のジャワ島の地震を見てきたのかな・・・
と思うと何だか とても切なくなります。

南国から来たツバメを、優しい気持ちで迎えてあげられる
今の幸せに感謝したいと思います。

大切な味。

2006-05-26 11:25:36 | 人の間:B面
昨年秋の【中越ひこばえ展】でお世話になった山古志のAさんから
ワラビををたくさん頂いたので、新鮮なうちにアク抜きして味噌漬けにしました。

お礼のお電話をすると
「いやぁ~、昨日 山に行ってみたら出てたからさぁ!」
池谷集落にあったAさんのご自宅は、中越地震で全壊してしまいました。
Aさんは、どんな気持ちでこのワラビを採ったのかなぁ・・・
と考えると とても粗末にはできません。
おひたし、味噌汁の具、タタキワラビ、味噌漬け・・と今日からワラビ三昧です。
ねばりと苦味がたまりません。

さえずりの聴こえるころ

2006-05-24 16:12:56 | 今日の俳句
「囀に またも目がゆく厨かな」 阿部 静雄


鳥の声というのは不思議なもので、
一瞬のうちに高原や森の中へ連れていってくれます。

むかし・・・
浦佐の新幹線のりばで流れている
“カッコー カッコー”をはじめて聞いた時、
本物だと勘違いして大感激したのを思い出しました。
よく考えたら、いくら自然がいっぱいでも
駅でカッコーまでは鳴かないですね・・・



越後を詠う俳人 阿部静雄さんについてはこちら。

瞽女さん ①

2006-05-20 16:03:28 | 人の間:B面
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」

最後の瞽女といわれ、
昨年105歳で亡くなられた小林ハルさんの言葉です。

瞽女(ゴゼ)とは・・・
三味線を片手に各地を巡る盲目の女旅芸人のことで
まだテレビやラジオがなかった時代、
新潟県や東北地方の主に豪雪地帯の村落などを巡り歩き、
語り物、はやり唄、民謡などを歌って娯楽の一端をになっていました。

瞽女さんたちは皆、幼い頃に親方に弟子入りし、
完全な口伝で唄を習得したそうです。
中でも民話や実話を一段目、二段目・・・というふうに分けて唄う
“段物”といわれるものには2時間にも及ぶものもあったそうです。
テープレコーダーや点字などもない時代に、
すべて口承で覚えるわけですから、
想像を絶する努力と、忍耐力が必要だったことでしょう。

瞽女さん達の中でも特別に苦難が多かったといわれる
小林ハルさんの冒頭の言葉は、
諦めではなく、自分の運命を受け入れて生きる力強さを感じます。










さまよいの果て波は寄せる

2006-05-14 08:18:54 | 我が心のユーミン
泣いて かけてゆけばそこに きらめく海原
けれど 受け入れはしなかった 私の弱さを
        [さまよいの果て波は寄せる] 松任谷由実

風が気持ちいい季節になりました。

高校時代、その日の風によって
急に海が見たくなることが度々ありました。

初夏や晩夏の、ちょっと軽めの曇り空の日には
学校をサボり、小千谷駅から上越線・信越本線へ電車を乗り継ぎ、
青海川(オウミガワ)という小さな駅へよく降り立ったものです。
この駅はホームのすぐそばが もう海!という無人駅。

ユーミンの歌詞のように、
特に悩みがあったわけではなく
ただ何となくボーッと海を眺め、
母が作ってくれたお弁当を食べて帰ってくる・・・
というイケナイことを時々やっていました。
ゴメンナサイ

【0】と【1】との間には

2006-05-14 06:32:08 | 中越地震
中越地震で家を失い、
仮設住宅に入居している家族が、 いまだに2.312世帯もあるそうです。
そのうち、生活再建のメドがたたない人々が約40世帯。


これがゼロにならない限り、数字に意味はありません。
【0】と【1】との間には 深くて大きな河があるぅ

たとえ、この数字がどんどん減っても
最後の1世帯が残っているうちは、それまでと何ら変わりません。
2.312世帯だろうが、1世帯だろうが
ひとつひとつは、かけがえのない家庭なのですから。


自分のために

2006-05-13 04:45:53 | 空の間:B面
あした自分が生きている保証はどこにもありません。

怠りなく努力を積み重ね・・・

どんなに健康な身体をつくっても
どんなに資産を蓄えても
どんなに綿密に将来を設計しても

10分先にも生きている保証はどこにもありません。

だから、大切なことは・・・

身体を鍛えることでも
お金を貯めることでも
夢を描くことでもありません。

ただ目の前にあることを精一杯
ひとつひとつ丁寧に、誠実に、優しい心で行なうこと。

それは、後悔しないために。
最期の一瞬に、走馬灯のように流れるという自分の人生のために。

他人のためではなく。

ショックなこと

2006-05-11 05:44:32 | 中越地震
ゴールデンウィークに帰省した折
古い友人にバッタリ会いました。
中越地震の直後にメールで連絡取り合って以来でした。

「地震に大雪と大変だったねぇ」
「う~ん・・・いろいろあってさぁ。やんなったて!」

ほんの短い立ち話のなかにも、心身の疲れが見え隠れ・・・

その後 メールが来て
「地震は私にとって予想以上にストレスだったようで自分でもコワいです。
2年も続けて大雪だしさ、小千谷が少し嫌いになりました。」

・・・そうだろうなぁ・・・嫌いにもなるよ・・・・
これでもか!これでもか!と苦難が降りかかっちゃね・・・
これ以上中越の人たちを苦しめないでと祈るしかなかった日々を思い出して
また泣けてきた・・・

彼女は『当たって砕けろ!』が口癖のとても強い人だったし
若い頃から仲間の中でもダントツに郷土愛のある人でした。
高校卒業後、いったん東京に出た後も
何年かしてキッパリ小千谷に帰って農家に嫁いだ人です。
そんな彼女が小千谷を嫌いになるなんて、よっぽどのこと。

雪に閉ざされている冬は 《何もできない》から、
ある意味 落ち着いているのかもしれない。
春になって雪が消え、目の前にやることがいっぱい見えてくる。
家の修復、崩れた田んぼのこと道路のこと・・・
ボヤボヤしていれば、また次の雪が来る。

一年半以上たっても、やっぱり終わっていない。
見えない部分でずっと続いている。
いいえ、むしろジワジワ忍び寄って来てさえいる。

身近な友人の話も聞いてあげないで、
いったい自分は何してたんだろう・・・

今からでも遅くない。
今度帰ったら、いっぱい いっぱい話をしよう。
あの頃のように星野屋の たこ焼きを食べながら。(冬季限定だったかな?)



黒の美しさ

2006-05-06 06:44:14 | 人の間:B面
新潟県胎内市へ鉛筆画家 木下晋氏の作品展をみに行ってきました。
木下氏のモチーフで、昨年105歳で亡くなられた 最後の瞽女(ゴゼ)小林ハルさんを偲んで開催されたものです。

9Hから9Bまでの鉛筆だけで表現される人の肌のツヤ。
105年間の軌跡ともいえる皺の深さ。

最も美しいと思ったのは
白いケント紙に塗りつぶされた 【黒】の放つ光です。
なんと表現したらよいのでしょう?
鋼のような、または石のような・・・

陰があるからこそ、光の存在を認識できるのだと強く感じました。


今回は、新潟県の広さを思い知らされた遠出でしたが、
全く後悔のない素晴らしい1日になりました。