人工股関節とともに

身体の中の異物という存在でありながら、末永く仲良くしたい人工股関節。前向きに生きよう。

トイレ

2007-06-28 | 人工股関節
 今日はお恥ずかしいお話で。でも股関節のブログとして公開している以上は恥をしのんで、こんなこともありましたということを・・・。

 長姉の見舞いに出かける。この事については後日書くとして、電車移動中にどうやらお腹の具合がおかしくなってきた。やれやれ目的の駅に到着。改札を出てすぐのトイレに駆け込む。小さいトイレであいにく和式が二つしかない。乗降客も多く結構大きい駅なのに屋外トイレみたいな小ささで、衛生的ではない感じ。

 ともかく背に腹はかえられない。
 我々股関節組にはにっくき和式トイレ。
 さてどうやって用を済ませたと思うかな?

 無事脱臼もせずに、トイレを汚すこともなく、涼しい顔で出てきましたが。
 やはり左足に一瞬ズーンという重い違和感を感じた。
 背伸びをしてストレッチ。
 よっぽどのことがない限り、やはり避けたほうがよさそうだ。

 ところが和式トイレの方が用を足すのに楽だというお人がいる。
 わが夫は、数日大○が出ないときは、わざわざそれがある病院や施設に出かける。その方がお腹に力がはいって快調だとか。
 食事中の人は失礼しました。

~~~~~~~~~~~~~
ランキングへの参加を始めました。
ジャンルは「健康・ダイエット」です。
↓一日一回クリック→ENTERで投票お願いします

健康・ダイエットランキング


人間関係

2007-06-26 | 日々の生活
 いやなことに蓋するつもりはない。
 かといって相手の行き場がなくなるまでの議論もしたくない。
 私は私の正義を出し、ある程度以上の理解がなされなけれ致し方ないと思うしかないだろう。
 そのかわりもうあとは言うまい。
 黙して語らずである。
 自分らしく前に進んで歩いていこう。

夏目漱石「草枕」より
 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
 情(じょう)に棹(さお)させば流される。
 意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。
 とかくに人の世は住みにくい。

美容院へ

2007-06-22 | 日々の生活

 髪がうっとうしくプールに入る時もじゃまなので、思い切って短めにカットしてもらった。そこは1人で開業しており、カットがお上手で評判の小さな美容院。
 顔が面長なのでショートカットが似合わないとずーっと思い込んでいた。その面長も最近は太ったせいか顔が丸くなりあてにならない。美容師さんは「そんなことありませんよ~」とお世辞を言ってくれるが、もう似合うとか似合わないとかではなく、さっぱりとしたいただそれだけ。

 髪が真っ黒なのでちょっと重たい印象を受ける。でも髪を染める勇気はまだない。髪の毛は細くて芯が弱く、量も少ない。だからカットではボリューム感を出すようにしてもらっている。雨の中帰ってきたので、ぬれたり自分でさわったりしてグチャグチャになってしまった。

     

 玄関をはさんで右側にくちなしの花、左側にはビックリグミの根元に紫陽花が。 
 今日は一日中雨、花もお化粧直しをして一層きれいである。


あやめ祭り

2007-06-20 | 日々の生活


    

 東京から姉が遊びに来て、一緒に潮来のアヤメ祭りに出かける。
 茨城に住んで数十年経つが、この時期にしっかりアヤメ園を見学したことはなかった。
 だから、アヤメは実は5月頃に咲き終わり、今咲いているのは花しょうぶであるということを初めて知った。
 ならばあやめ祭りではなく菖蒲まつりでしょうよ~・・・という言葉を飲み込んで認識をあらたにした。
 ま理屈はともかくとして、むし暑い一日をさわやかな薄紫や蒼などの色に心癒され、気分だけでも涼しい気持ちになれたことはうれしい限り。

 アヤメやしょうぶは葉の形もいい。全体に細長いのでカメラのアングルが難しく、思うような写真が取れない。 カンカン照りのアヤメより雨にそぼぬれた花の方が風情があってよさそうだ。
 途中潮来簡保の温泉にひたり、昼食に海鮮丼とお蕎麦をいただく。
 量が多いように見えるが、半蕎麦・半丼であります。


温泉へ

2007-06-19 | 日々の生活

 最近未術の右足が痛いので、休養と友人とのおしゃべりをかねて温泉に出かける。果たして効果のほどは分からないが、2・3日滞在できたらいいな~と思うのは、贅沢だろうか?・・・・(うん無理でしょうと神の声)。

 帰ったらプーがおなかをこわし下痢をしてマットを汚したとの事。
 やはり家を空けるのは無理か・・・。

 久しぶりの宿の食事。写真をとったあと次々とお料理が追加される。
 茶碗蒸し・フルーツ(メロン)・キンメダイの煮物・ジャコ飯とお吸い物。
 食べきれなかった。
 目は食べたい、でもお腹は一杯。
 年とともに一度に入る量が少なくなった。