北沢方邦の伊豆高原日記【80】
Kitazawa, Masakuni
今年は梅雨入りが遅い。ウツギをはじめ樹々の白い花が、蒼空を背景に陽差しを受けて輝いている。早朝からホトトギスの声がかまびすしい。
内閣総理大臣への手紙
菅直人氏が総理大臣に就任した。祝意として下記の手紙を送った。プライヴァシーに触れることはなにもないので、激励の意をこめてここに公表することにした(ごく一部は手直ししてある):
総理大臣ご就任おめでとうございます。 思えば社民連および21世紀クラブ以来の長いおつきあいで、そのときどきにかなり辛口のご意見などを申しあげ、失礼を重ねてまいりました。また昨年十一月には妻青木やよひの死去にあたりご丁重な弔電を賜り、心より感謝しております。そのお礼を申しあげねばと思いながら、副首相やその後の財務大臣など要職のご多忙を慮り、また私も彼女の死後の雑事に追われ、これも失礼いたしました。近くイスラームに関する私の翻訳書も刊行されますので、青木の遺著『ベートーヴェンの生涯』とともにお贈りしたいと思います。もちろん激務でお読みになる時間などおありにならないとは存じますが。
まだ組閣の最中であるにもかかわらず、各社の世論調査で支持率60パーセント台という驚くべき数値が公表され、菅内閣の門出を祝福する民意に私も共感しております。いうまでもなくその最大の原因のひとつは、「政治と金」の問題で辞任した前幹事長の影響を大胆に排除し、自民党のきわめて古い体質へと先祖がえりしつつあるかにみえた党の体質を開かれたものへと刷新し、党の役職や内閣の要に清新な顔触れを配置し、これならば民主党本来の方向や政策を実行できるのではないか、という大きな期待が生まれたからにほかなりません。
仙谷由人さんは私も旧知で気心が知れ、将来を期待していた方です(ご病気も全快なさったようで、きわめてお元気な映像をいつも拝見し、安心しています)。また枝野幸男さんは、私は面識ありませんが、亡くなった青木が、昔女性グループとともに政策懇談会でお会いし、きわめて政治的センスがよく、問題の所在を的確に判断できるひとだ、民主党(旧)にはいい人材がいると激賞していました。こうした方々が中心に位置するのですから、これでもし菅内閣が将来駄目になるとすれば、わが国の政治から希望というものがまったく消失することになります。高い支持率に押されてしばらくは沈静しているかもしれませんが、今後党内で葛藤が生ずるとしても、世論を味方にこの方向を堅持し、諸問題の解決にあたっていただきたいと思います。
現在世界は様々な難問に直面しております。いうまでもなくその根本は、ベルリンの壁崩壊後、IT革命により瞬時に世界をかけめぐる巨大流動資金と金融工学によって経済的世界制覇を意図してきたグローバリズムが、その内在的矛盾により崩壊し、金融のみならず経済全般の危機をもたらしたことです。メカニズムの矛盾が露呈したことにより、もはやグローバリズムの復活はありえません。現在進行中のユーロ危機も、グローバリズム崩壊の衝撃がもたらした副産物であり、各国の金融・財政政策が独立しているのに通貨だけを統合するというこれも大きな内在的矛盾が、いまとなって露呈しただけです。
また高度成長をつづけている新興諸国にしても、グローバリズムがもたらした貧富の格差拡大や潜在的不動産バブルなど、それぞれに深刻な内在的矛盾を抱え、いつかかならずその矛盾が露呈され、世界に新しい危機を生みだすにちがいありません。しかもそれらの危機はすべて連鎖し、連動するのです。
経済だけではありません。世界の安全保障も、冷戦時代の負の遺産をまったく整理できず、NATOなどの軍事同盟や軍事同盟化されつつある日米安保など、いわゆる力の均衡政策によってしか安全保障は維持できないという無意識の信仰がいまだに支配しています。国内のいわゆる平和勢力も、憲法第九条を守れと主張するだけで、日本の安全保障についてなんの代替案も示すことができません。日米安保の軍事同盟化こそが中国や北朝鮮を刺激しているという現実さえも見えないようです。日米軍事同盟の現実を踏まえながら、それを長期の安全保障政策の中にどう位置づけ、どう徐々に変え、日米中韓ロそして最終的に北朝鮮をも巻き込んで東アジアの集団安全保障をいかに構築していくか、という課題のなかで普天間問題をはじめ、当面の問題を位置づけていくしかありません。
国内的には、グローバリズム崩壊後の日本をどのように再建するかが課題です。グローバリズムに乗り遅れるな、国際競争に敗れるなら日本は衰退する、などといった先入観、あえていえばグローバリズムの亡霊は振り棄てなくてはなりません。なぜなら資源やエネルギーの無限の消費にもとづく経済体系や経済合理主義、そしてそれが生みだした肥大化する幸福追求の権利や欲望といった近代文明の病理そのものが問われているからです。それらを放置するかぎり地球環境の変動による人類の滅亡さえそう遠い将来ではないでしょう。
そのためには「環境立国」をひとつの柱としなくてはなりません。農林漁業の再建、自然エネルギーの徹底的開発、および自然そのものの回復をはかり、そのための産業や技術革新への大規模投資を図り、それが大量生産・大量流通・大量消費という現在の産業構造を変革させるような回路を創りだすことなどです。わが国が環境最先進国となれば、その技術革新や諸製品が新しい輸出産業となることはいうまでもありません。
もうひとつの柱は「知と文化立国」とでもいうべきものです。生涯教育や職業転換教育などを含む教育体系や制度を充実し、労働条件や環境を徹底的に改善し、社会保障を現在と違う形で充実し、それによって労働を創造の喜びに変え、余暇に知や芸術や伝統、あるいはポピュラー・カルチャーなど多様な選択の中で充実した人生を送れることを目標にし、そうした長期の視野のなかで、当面の問題の改革や改善を図ることだと思います。
菅内閣に期待するあまり長々と書いてまいりましたが、もちろん一引退知識人の寝言として無視してください。とにかくこれから大変な仕事が待ち受けていますが、身体と健康にはくれぐれもお気をつけください。私のほうはヨーガと自然食のお蔭で(ご関心があれば私のヨーガの本もお贈りしてもいいのですが)、かなり健康に暮らしています。少しでも暇があれば、身体を動かすこと、少なくとも呼吸法でもなさるといいと思います。
以上とりあえずの祝意、おくみとりください。
二〇一〇年六月七日
北 沢 方 邦
菅 直人 様