一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【119】

2012-03-07 10:12:48 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【119】
Kitazawa, Masakuni  

 例年なら1月の末か2月初めに満開の梅が、ようやく5分咲き程度になっている。わが家の遅咲きの紅梅もやっとほころびはじめた。昨日は冷たい雨だったが、今日は晴天に一転、強い南風とともに4月並みの暖かさだ。植物たちも驚いているだろう。強風に乗ってカラスたちが文字通りのウィンド・サーフィンをしている。風上に向けて羽ばたき、身を翻して風に乗って流され、繰り返し楽しんでいる。

物理学は近代科学の限界を超えられるか?  

 執筆中の本の第4章を書く必要から、リサ・ランドールの近著『天国の扉をノックする』(Randall,Lisa. Knocking on Heaven’s Door; How Physics and Scientific Thinking Illuminate the Universe and the Modern World. 2011,Harper Collins,New York.)を大急ぎで読了した。いうまでもなく題名はボブ・ディランの歌詞からの借用である。  

 彼女の立場に立って最新の物理学とその量子論や宇宙論が紹介されていて、その点では大いに読むに値したが、その結論や哲学はあまり満足させてくれるものではなかった。  

 彼女の基本的な物理学的立場は、ストリング理論にかなりの足場を置きながらも、いわゆる標準モデルまたは標準理論を拡大し、それを彼女の主張する4次元空間理論(時間を入れると5次元)で補い、完璧なモデルに仕上げようとするものと思われる。  

 つまりストリング理論によれば、標準モデルのいわゆる粒子は約10のマイナス12乗から18乗センチメートルの微小空間に存在するとされるが、それはプランクの長さとよばれるほとんど絶対的な微小空間(10のマイナス33乗センチメートル、それを超えると時空は崩壊する)に存在するストリング(弦)の多様な振動のあり方の現れにすぎないとする。さらにそれは数学的解析によって10次元または11次元の時空、つまり多次元超空間(ハイパースペース)に存在していることが明らかとなり、そのために必然的にわれわれの住む4次元の時空を超えた時空、つまりわれわれにとって隠された世界あるいはリアリティが存在しなくてはならないと考える。  

 さらにストリング理論は、われわれの世界を含めたそれぞれの世界がブレーンを形作っているとする。たとえばもしわれわれが2次元の空間、つまり平面に住んでいるとすると、われわれはその世界に閉じ込められ、3次元の空間がどのようなものであるか想像さえできないが、3次元空間の世界から見ると、2次元空間はまさにブレーン(膜[メンブレーン]からのテクニカルな造語)そのものなのだ。だがもしわれわれが4次元空間に住んでいるとすれば、いまわれわれの見ている3次元空間そのものが全体としてブレーンとなり、そこからいかなる物質やエネルギーも4次元空間に脱出することはできない。  

 ただ重力だけは別である。重力だけは2次元から3次元、あるいは3次元から4次元へとそれぞれの空間のブレーンを貫くことができるとされる。  

 ランドールはストリング理論のこの多次元とブレーン概念を借りて自説を構築する。つまり彼女によれば、宇宙はストリング理論の主流が主張するように10次元や11次元あるいは無限次元の多重世界ではなく、この目にみえる3次元空間にたわんで(Warped)接続している唯一の4次元があるのみだという。その議論の詳細は省略するが、それによって標準理論のかなりが修正されながらも成立し、さらにLHC(ジュネーヴにある大ハドロン衝突機[ハドロンとは標準理論で軽い粒子レプトンに対して原子核のプロトンなど重い粒子をいう、レプトンよりもハドロンの破壊には大きなエネルギーが必要であり、LHCは現在そこまで出てはいないが14テラ(兆)電子ヴォルトという目下世界最大の出力をもつ])によって4次元に流出する重力が測定可能だとする。それが検出されれば彼女の理論が正しいことになる。  

 この主張自体はきわめて興味深いし、もしLHCがそれを証明したら科学上の一大ニュースとなるが、われわれとしてはその成功を見守るしかない。  

 ただこの400頁を越す本のかなりの部分が、LHCのきわめて技術的な説明に費やされていて彼女の主張への強い関心をそらしているし、また宗教と科学との関係を長々と論じているのも興を削ぐ。後者は明らかにダーウィンの進化論さえ拒絶する宗教保守派が一部君臨する現在のアメリカの知的風土を如実に示しているが、この問題を含めて、物理学の最先端を走っているこの秀才をもってしても、いまだに近代を超える視点をもてないでいることへの失望が読み終えたひとつの感想であった。  

 すなわち彼女は、もちろん信仰の自由は保証しながらも、合理性につらぬかれた科学的思考のみが、たんに技術的進歩によって社会を発展させるだけではなく、その安定や秩序をもたらすのであり、それが人間の根本的な原理を形成するという。  

 だがこの科学が「合理性」にもとづき「唯物論的」であるという考え(結論で述べられている)そのものが、明かに近代固有の先入観である。デカルト的二元論は感性や身体性に対して近代理性を優位に置き、そこからすべての領域での「合理性」の追求がはじまった。だが経済合理性ひとつをみても、その暴走が世界を破滅の淵に導いている。必要なのはこうした「合理性」ではなく、身体性をも統合する弁証法的理性なのだ。それはすでに古代アジアの諸思想が主張してきたことであり、西欧でもプラトンやスピノーザをはじめ多くの異端の思想家たちが主張してきたことである。またこの弁証法的理性によってのみ、隠されたリアリティまたは世界を含む宇宙の全体像が明らかとなるのだ。  

 そろそろわれわれは、中世末期以来西欧の知的世界を支配し、デカルト的二元論を生みだしたアリストテレス主義、つまりこの目にみえる世界のみをリアリティとする思考体系に決別を告げなくてはならない。
 



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