日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

罪の責任を問う

2007-03-19 | Weblog
 33章から回復の預言である。見張りの務めは、3章17-21節と同じであるが、ここでは角笛で警告するというもの。生死にかかわることで、角笛の宣告を聞かないならその責任を個々に厳しく求める(4-5、9節)。当然見張りが務めを怠るなら、神がその責任を見張りに求める(6節)。
 更に8節『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。」
 見張りとは預言者のことだが、ここには曖昧さを許さない言葉の厳しさが感じられる。18章20節以下の罪の個別性原理がここにある。
 しかし神の本音は民の滅びではない。
 11節「 彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。
  わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
  むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。
  立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。
  イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」 
 立ち帰った者に対しては
 16節「彼の犯したすべての過ちは思い起こされず、正義と恵みの業を行った者は  必ず生きる。」

 21節にエルサレム陥落の知らせが届いた後、彼は捕囚をまぬがれたエルサレムの民に向かって語った(23-29節)。しかしその知らせを聞いた捕囚の民は彼の言葉を無責任な態度で聞いている(30-31節)。「口では好意を示すが、心は利益に向かう」 TEVはLoving words are on their lips, but they continue their greedy ways.
 口先では良いことを言うが、本心は貪欲だ
彼を32節「楽器にあわせて美しい声でうたうみだらな歌の歌い手のようだ。」という。
 自らの罪の責任を問うことをしない、捕囚の民の高慢と頑硬、背反と自我が示される。

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