日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

頑迷な心

2007-08-31 | Weblog
     出エジプト7章からは、モーセとアロンがファラオに神の言葉を告げて「イスラエルの民を去らせよ」と語るが、聞き入れない為に神の「しるし」を現して試すことになる。これは5章に既にファラオに告げたことだが、そこでは三日の道のりを荒野に行かせて犠牲を捧げさせてくださいという要求だったが、事態は一層厳しくなった事から「ヘブライ人の神は主である」(16節)ことを明らかにするファラオとの交渉となった(1~5節)。
  この時モーセ80歳、アロン83歳だったとある(7節)。交渉相手が高齢の弱い老人と見るか、威風堂々、民を導く最長老として見るのか。

   7章では杖を用いて起したしるしが二つ出てくる。25節以下も杖を用いるが口語訳のようにここで区切り、8章としたほうが判りやすい。
   7章から11章にわたって、十度の「災い」を示すことになる。エジプトの側では次第に大変な災害となり、頑迷なファラオは遂に二人の要求に応えイスラエルの民を去らせることになる。

   ここではファラオの頑迷さは変らなかった(22~23節)。これは二人に神から告げられていたことで(4章21節、3節、13節)、予想範囲だった。これは8章以降にも続く。
   神は心頑な者を支配するお方である。そしてまた、頑な心を砕かれるお方であることを知る(詩34篇19、51篇10、19)。

  

わたしは主である

2007-08-30 | Weblog
    出エジプト6章は、再度モーセに対して民のエジプト脱出の使命が確認されるところである(2-13節)。3章では神は「わたしは有って有る者」「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」だったが、ここでは2節「わたしは主である」と示す。これは6、8、28節と四回出てくる。
 「主」ado-nay(アドナイ)は神格化した王の称号であったが、これをイスラエルの神(YHWHという四の子音)を呼ぶ場合に使用したものである。
  現代ヘブライ語聖書(ユダヤ教)はこの子音「神」にアドナイの母音を付けてエホーヴァとなっている。近年はこの四文字をヤーウェと一般に読んでいる。

  6節と8節の「わたしは主である」の間に七のことが告げられる。①導き出す、②救い出す、③贖う、④民とし、⑤神となる、⑥知る、⑦与える

  イエスを主と呼ぶ根拠が旧約聖書にあることを知る。これはキリスト者の信仰告白となる(ヨハネ20章28節、ローマ10章9節)。

礼拝と労働

2007-08-29 | Weblog
  出エジプト5章1~6章1節はモーセとアロンがファラオと交渉する処。 
  二人はイスラエルの民に三日の道のりを荒れ野に行き、神を礼拝することを訴えたが、ファラオはそれはサボタージュ(労働を怠ける)だとして拒否し、更に重い労働を課す(1-9節)。わらの材料を自分たちで探して煉瓦を今まで通り作れというもの。「民を追い使う者たち」はこれを復命して告げた。同じ数を作れとせきたてたので、「イスラエルの下役ら」はファラオに直訴する(15節)。
   このような無理解は世俗社会ではよくあり、キリスト者に向けられる。日曜日に教会に出掛けていく閑はないと考え違いをする。

   ファラオへの訴えは結果として一層悪い方向に行く(16-19)。遂にモーセとアロンに抗議する(21節)。  
   ここで苦境に立たされた時、モーセはその解決を神に訴えた(22-23節)。これは本書にモーセの一貫した姿勢として記される。6章1節はその回答である。

あなたの口と共に

2007-08-28 | Weblog
   出エジプト記4章は3章モーセ召命の続きである。1節の躊躇いは3章18節と同じであろう。そこで彼の手にある杖で神のしるしを現した(4-9節)。それでもモーセはためらい「全くわたしは口が重い」という(10節)。神は「さあ、行くがよい。わたしがあなたの口と共にあり、語るべきことを教える」と告げたのに、彼は「誰か他の人を」と拒む。三度目である。仏の顔も三度。
 神は怒り、兄弟アロンを指示し、結局彼がモーセの言葉を取り次ぐことになる(14節、28-31節)。
  しかし21節の言葉がひかかる。
 「主はモーセに言われた。『エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。』」。

 神が口下手な者を選ばれる理由がここにある。神は人の巧みな言葉を用いて説得するのではない。「わたしはある」というお方が心を支配する。
 15節「わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。」とある通り口下手なモーセも雄弁なアロンも神の前では同じである。

 そしてキリスト者も同じである。

「わたしはある」

2007-08-27 | Weblog
     出エジプト3章はモーセの召命記事。
  ミディアンで羊を飼っていたモーセにホレブで燃える柴の中から「モーセよ、モーセよ」と神が呼びかけた(1-4節)。そして「足から履物を脱げ」(5節)と命じる。聖なる地にひれ伏す礼拝の姿勢。回教徒は現在もこれを守っている。
   神はイスラエルの叫び(2章23節、3章7、9節)を聞き、この救出のために彼をエジプトに遣わすという命令であった(10節)。

   12~15節は、神の本性が啓示されている注目すべき箇所である。
   先ず14節「わたしはある。わたしはあるという者」口語訳「わたしは有って有る者」英訳はI AM WHO I AM ehーe ashel eh-e
  ヘブライ語ハーヤー(存在する)は一人称単数未完了形で、継続した状態を表わす。つまり時も所もその他すべて「わたし」に依っている。「わたし」は一人一人の人間に語りかける存在であるということ。永遠・普遍・全能という抽象的な言葉で表わしていない。このことが「わたしは必ずあなたと共にいる」(12節)と、「あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主」(6、15、16節)で明確にされる。

  ヨハネ福音書8章58、18章6-8節で、イエスはご自身を「わたしはある」として語られた。神は具体的にイエスによって存在の根拠を示されたのである。
  

神のドラマ

2007-08-26 | Weblog
    出エジプト2章は前半は捨て子として男子が籠に入れてナイル河に流された記事(1-3節)、それを水浴びに来たファラオの王女が拾い、わが子として育てる出来事(4-10節)。モーセと命名し王宮で英才教育を受け、文武に優れた指導者として成人するという不思議な話であるが、この背後に神の摂理があることを知る(使徒言行録7章22節)。

   葦の茂みに浮かぶ小さな籠を開けた時6節「見よ、幼な子は泣いていた。」(口語訳)とある。このところをパックストンが取上げて「もし、乳児が声を上げて泣なっかったら、あのモーセはいなかっただろう」と説いている。

  成人した彼は、自らの出生を秘めていたが、イスラエルの同胞の労働を見て救い出した事件が人々に知れたことから(11-15節)、エジプトを逃れてミディアンの地に行きレウエルの家族となり娘ツィポラと結婚し羊飼いとなる。
   ミディアンはシナイ半島の東、アラビアの地である。遙か遠くへ逃れたものである。エジプトを脱出した時彼は40歳であったが、アラビアで40年を過ごす。

 23節「それから長い年月がたち、エジプトの王は死んだ」とある。しかしこの長い年月にもかかわらずイスラエルの重労働は変らなかった。彼らは「呻き、叫んだ」。神はその嘆きを聞かれた(24節)。

  前に乳児の泣き声を王女が聞いて救出した神は、いまイスラエルの嘆きの声を聞いてモーセを用いて救出しようとする神である。ここに神のドラマをみる。

子宝を恵まれた

2007-08-25 | Weblog
   出エジプト記1章 創世記後半の族長物語をつなぐのが、1ー6節であり、その後の変化が7-8節である。「おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた」という。
   日々の静聴に馴染まないので、考古学的な考察はしないが、「ヨセフのことを知らない新しい王」とは誰かは諸説があり議論を呼ぶ。この王の時代に出エジプトの出来事があった訳で、年代設定に関わることになる。
   どれ程の年月が経過したのか。12章40節にエジプト滞在は430年となっている。
  王は脅威を感じ彼らに過酷な強制労働を課した(11-13節)。ところが虐待されればされる程、彼らの数が増した。そこでヘブライ人の助産婦に男児出産の時殺害を命じたが、彼女たちは、命令に背いた。それは「神を畏れていた」からだ(17節)。王から問い質された時、助産婦が行く前に出産していると弁明している(19節)。これは偽ったのではないだろう。
   神は助産婦たちに恵みを与え、彼女たちにも子宝を恵まれた(21節)。

  創世記の族長物語にも出産に関わる記事が度々でてくるが、「子を産む」(7、19節)のは、神の恵みの支配に置かれること。日本語では「産まれる」「授かる」と受動形で表現するが、その意味が込められる。

  


悪を赦しに変える

2007-08-24 | Weblog
  創世記50章はヨセフの最期で終る。前半1~14節は49章29節からの続きでヤコブの死と埋葬が記される。ミイラ(防腐処置)にして埋葬されるのはヤコブ以外に誰もいない。この葬儀は宰相ヨセフが示したヤコブに対する惜愛なのだろうか。

   後半15節以下には、再度兄たちが弟に赦しを求めている。父ヤコブの亡き後に赦しが消えてしまわないかと恐れたのである。
   20節は45章で神の前で示された赦しを再確認となる。
  「恐れることはありません。 あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」
   このような赦しの理解は神への信頼、依存がなければ誰も容易に出来ることではない。和解を成立させるのは、神の御計画であったとヨセフは「優しく語りかけた」(21節)のである。

  コロサイ1章を読むとそれが随所に出てくる。20節はこうである。
  「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」



ふさわしい祝福

2007-08-23 | Weblog
     創世記49章はヨセフと11人の兄弟に対する父ヤコブの臨終の言葉であるが、それは「後の日に起こることを語っておきたい」(1節)というものである。名前の順序は、ヤコブ物語にある通り。
  内容は様々で、大小、善悪、強弱など評価が異なっているが、イスラエルの歴史がその背景にあるようだ。ルベン(35章)、シメオンとレビ(34章)は厳しく非難されている。この中で、ユダ(8-12節)とヨセフ(22-26)は特別に扱われている。ユダが獅子というのは、王の権威を表わし、「兄弟たちにたたえられる」(8節)。ヨハネ黙示録5章5節に小羊イエスは「ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえ」とある。ヨセフに対しては、ヤコブは「祝福」という言葉を七度用いて全能者に祈っている。

 結語として12人によって興されるユダの部族がどのように評価されようと、それにも関わらず「彼らを、おのおのにふさわしい祝福をもって祝福した」とある。
  これは12章2-3節に示された神の言葉の不変の約束のメッセージである

牧者なる神よ

2007-08-22 | Weblog
  創世記48章もヤコブの祝福であるが、臨終に際して(21節)ヨセフとヨセフの二人の子らを祝福するところである。「力を奮い起した」(2節)とある。
   ヤコブは、神の祝福が今日に至るまで在ったことをヨセフに告げた(3-4、11節)。そしてヨセフを祝福した(15-16節)。
  続いてヨセフの子らを祝福しようとした時、ヤコブの右側に兄マナセ、左側に弟エフライムをヨセフは立たせたのに、両手を交差して右手をエフライム、左手をマナセの頭に置いた。ヨセフは不満に思い「父上、右手を兄の頭に置いて下さい」(18節)と言ったが、ヤコブは分っているとしてそのまま行なった。
  二人は後の12部族の名として加えられるが、ヤコブの若き日あった出来事と重なってくる。イサクが兄弟エサウとヤコブの祝福をした時も弟が兄より優るという逆転があった。
  エフライムは南北分裂後の歴史では、北イスラエルの別名称となっている。

 ヘブライ11章21節では「杖の先に寄りかかって神を礼拝した」とある。羊飼いが手にする杖である。ゴセンの地で羊を牧する一族の長としての姿勢が伺える。
 この時に呼んだ神の名が15節である。
「わたしの先祖アブラハムとイサクが
  その御前に歩んだ神よ。
 わたしの生涯を今日まで
  導かれた牧者なる神よ。」

 

祝福するヤコブ

2007-08-20 | Weblog
     創世記47章では、一族がゴセンの地で生活を始めるに際して、族長ヤコブがエジプトの王ファラオと面会する記事がある(7~8節)。
   その時「ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた」(7節)とある。TEVはJacob gave the king his blessing。政治的権威の座にある圧倒的上位の王が、族長とはいえ食糧を求めて寄留する身分のヤコブから祝福の言葉を受けることは、尋常ではない。事実ヤコブは自分の生涯が苦難の日々であることを告白している(9節)。
   これは神が12章でアブラハムを通して約束したすべての国民に与える祝福を指していよう。10節「別れの挨拶」も原語ba-raqは7節と同じで「祝福した」である。口語訳はそのように訳している。Jacob blessed Pharaoh

  ヤコブが兄エサウから奪った祝福はアブラハム、イサクにと継承され、ここに神の賜物として保持していたといえよう。この祝福は48章、49章にもヤコブの子等に与えられている。
  アブラハムの祝福はすべてのキリスト者にも約束されているものである(ガラテヤ3章8、9、14節)。


エジプトに下る

2007-08-19 | Weblog
   ヤコブ一族70人がエジプトに行くことは、永住を意味しないことを確認する必要があった。それが「ベエル・シェバ」で現れた神の呼び掛けである(1~4節)。これは見逃せないポイントである。アブラハム(12章7節)、イサク(26章1~5)に示された神の約束に関わる事柄だからである。神は彼らと共にエジプトに下り、大いなる国民とし、また必ず連れ戻すと告げる。
  創世記最後の神の顕現である。

  20数年振り、死んだと思ったヨセフと老いた父ヤコブの再会は言い尽くせない感激の場面である。(北朝鮮の拉致被害者が帰国した場面と重なる)
  ゴセンに地(28、34節)に定住することになったが、この遊牧生活はイスラエルの民族性を保持する環境となった。ここにも神の最善な計画が伺える。

 エジプト行きについて、世俗化、土着化の問題が考えられる。信仰は現実から遊離しないが、埋没しない。それを示す聖書箇所がある(第1コリント5章9-13、7章31節、第1ヨハネ3章15-17節)。
 

神の配剤

2007-08-18 | Weblog
    創世記45章はヨセフ物語のクライマックスである。
   ユダの嘆願にヨセフは感情を抑えることができなくなり、周囲のエジプト人を遠ざけて、自分の身を明かした(1~2節)。
   兄弟たちは恐れと驚きをもって引き下がったが、近寄って来るようにと言った。そして告げた言葉が4~5節。
  「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。 しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」
   これは赦しと和解の宣言であり、神のご計画であると告げた。
   これまでに既に神の導きを物語っていた。「主がヨセフと共にいた」(39章三回)、「神の霊が宿っている人」(41章38節)。
   この出来事を「神の摂理」「神の配剤」Provisionという。神が予め計画していた事柄が実現すること。それは悲しみが喜びに、苦しみが希望に変えられることとなる。
 
   ローマ8章28節に示されている。
   「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
  「人生万事塞翁が馬」とは違っていることを確認したい。

ユダの嘆願

2007-08-17 | Weblog
       創世記44章 帰途につく兄弟ら一行にわなが仕掛けられた(1-2節)。執事はヨセフの命ずるままに、荷物の中に代金と占い用の銀の杯を入れたのである。
   執事は彼らを追ってきて、荷物を調べさせ、身の潔白を証明するためヨソフのもとに引き返した(10-13節)。
  その時の会話が14節以下に記されている。
  ユダの弁明と嘆願の中に、20年余前のヨセフが銀20枚でイシュマエル人に売られた時(実際に売ったのはミディアン人)の状況、父ヤコブの悲しみが現在も続いている心境などが述べられる。これは第1回目の時のルベンの弁明とは大きく違っている。それだけヤコブ一族を代表するユダの告白はヨセフの心を打つものだったろう。
  もし連れ帰らないなら父ヤコブは死ぬと思われ(31節)、ベニヤミンの身代わりになるという命を賭した嘆願から、ユダの人柄が浮き上がってくる。

  かつてヨセフを奴隷として売る非情さ(37章)と全く変って、自分を奴隷としてヨセフの前に差し出すユダ(32~33節)の罪責感が明確になっている。既に43章9~10節で述べた通り。ヨセフはこの変化に驚いたに違いない。

  アブラハム、イサク、ヤコブ、ユダという系譜が伺えるところである。
  イエスはユダ族の出身と言われる()ヘブライ7章14節)。  

全能の神が憐れみを施す

2007-08-16 | Weblog
      創世記43章は、飢饉が続き(7年)再びエジプトに食糧調達に出掛ける処である。一度は長兄ルベンの申し出を拒んだ(42章37-38節)ヤコブだが、ユダの申し出には応じた(8-10節)。説得の内容が違う。命の保障と責任が明らかにされた。
   ヤコブの態度が変ったことを、11~14節で知る。ここには誠実さと神への信頼と自己犠牲がある。それが「父イスラエル」(8、11節)と呼ばれる表れかも知れない。
   誠実さ(正直であること)は、返却する分の銀と、更に名産の贈物を用意すること(11-12節)。神を畏れるのは、「全能の神がその人の前で…憐れみを施し~」(14節)という祈り。そして自己犠牲は「このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい」ということ。

    二度目のエジプト訪問は、ヨセフが実の弟ベニヤミンと再会し、他の兄弟らと会食することが16~34節に記されている。兄弟水入らずの食事だったが、ヨセフは未だ身分を明かしていない。エジプト人とヘブライ人との食事の区別もしている(32節)。これは遠来の客をもてなす祝宴とは少し違っていよう。