出エジプト記7章
13節「しかし、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである」(新共同訳)
1節「主はモーセに言われた。『見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる』」。6章の続きである。「預言者」(ナービー)は、告知者、代弁者である。「唇に割礼のない」自分の言うことをファラオは聞かないと尻ごみするモーセに、神がモーセに語り、それを代弁してアロンがファラオに語るということである(2節)。つまりアロンはモーセの口になるということである(4章16節see)。本章から神がイスラエル救出のためにエジプトとファラオに向けられる「十の災禍」に対して、八十歳のモーセと八三歳のアロンが立てられることを、明確にしたのである(4~7節)。
8節「主はモーセとアロンに言われた」小見出し『アロンの杖』。もしファラオがあなたたちに向かって、『奇跡を行ってみよ』と求めるなら、あなたはアロンに、『杖を取って、ファラオの前に投げよ』と言うと、杖は蛇になると告げる。アロンはモーセの代弁者になるだけでなく神の杖(4章20節)をファラオの前に投げて奇蹟を起こす。ここでは「アロンの杖」(10節)となっているが、アロンが手に持っていた杖」ということで、モーセが「神の杖」としていたのを彼に手渡したのであろう。主が言われた通りファラオと家臣の前に行き杖を投げる蛇になった(10節)。エジプトの賢者も魔術師も、秘術を用いて杖を投げて蛇になったが、然し「神の杖」は彼らの杖を呑み込んだのである。しかしファラオの心は頑なで聞かない(11~13節)。
14節「しかし主はモーセに言われた。「ファラオの心は頑迷で、民を去らせない」、小見出し『血の災い』。ここから、次々と十の災禍がエジプトの国に起きる事になる。ファラオは受け入れないのである。
17節「主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。」モーセとアロンは主の命じられた通りにした。川の水は血に染まり、魚は死に悪臭を放ち、エジプト人は水を飲むことが出来なくなった。エジプトの魔術師も同じ事をしたのでファラオの心は頑なで、二人の言うことを聞かなかった(18~24節)。「心は頑なになり」(ヒャーザク)は直訳「心を重くする」である。水が血のように赤く変わるのは、海が赤く染まることがあり、これはプランクトンが大発生することによって起こり「赤潮」と呼ばれる現象であるが、この災禍を自然現象とする解釈があるが、それをここでは取らない。
25節「主がナイル川を打たれてから七日たつと、」小見出し『蛙の災』。第二の災禍である。七日後、主から言われた通り、モーセはファラオの処に行き「わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。もしそうしないなら領土全体に蛙が群がり、災いを引き起こし、王宮を襲うことになる」と告げた。預言の通り、蛙は異常繁殖して王宮の寝室まで侵入する(28節)。ファラオの心は一層頑迷になり(8章11節)、イスラエルの民を去らせなくする。神は人の心のすべてを知っておられる方であり(詩139篇)。また頑なにしようと思うものを頑なになさるのである(ローマへの手紙9章18節)。
13節「しかし、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである」(新共同訳)
1節「主はモーセに言われた。『見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる』」。6章の続きである。「預言者」(ナービー)は、告知者、代弁者である。「唇に割礼のない」自分の言うことをファラオは聞かないと尻ごみするモーセに、神がモーセに語り、それを代弁してアロンがファラオに語るということである(2節)。つまりアロンはモーセの口になるということである(4章16節see)。本章から神がイスラエル救出のためにエジプトとファラオに向けられる「十の災禍」に対して、八十歳のモーセと八三歳のアロンが立てられることを、明確にしたのである(4~7節)。
8節「主はモーセとアロンに言われた」小見出し『アロンの杖』。もしファラオがあなたたちに向かって、『奇跡を行ってみよ』と求めるなら、あなたはアロンに、『杖を取って、ファラオの前に投げよ』と言うと、杖は蛇になると告げる。アロンはモーセの代弁者になるだけでなく神の杖(4章20節)をファラオの前に投げて奇蹟を起こす。ここでは「アロンの杖」(10節)となっているが、アロンが手に持っていた杖」ということで、モーセが「神の杖」としていたのを彼に手渡したのであろう。主が言われた通りファラオと家臣の前に行き杖を投げる蛇になった(10節)。エジプトの賢者も魔術師も、秘術を用いて杖を投げて蛇になったが、然し「神の杖」は彼らの杖を呑み込んだのである。しかしファラオの心は頑なで聞かない(11~13節)。
14節「しかし主はモーセに言われた。「ファラオの心は頑迷で、民を去らせない」、小見出し『血の災い』。ここから、次々と十の災禍がエジプトの国に起きる事になる。ファラオは受け入れないのである。
17節「主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。」モーセとアロンは主の命じられた通りにした。川の水は血に染まり、魚は死に悪臭を放ち、エジプト人は水を飲むことが出来なくなった。エジプトの魔術師も同じ事をしたのでファラオの心は頑なで、二人の言うことを聞かなかった(18~24節)。「心は頑なになり」(ヒャーザク)は直訳「心を重くする」である。水が血のように赤く変わるのは、海が赤く染まることがあり、これはプランクトンが大発生することによって起こり「赤潮」と呼ばれる現象であるが、この災禍を自然現象とする解釈があるが、それをここでは取らない。
25節「主がナイル川を打たれてから七日たつと、」小見出し『蛙の災』。第二の災禍である。七日後、主から言われた通り、モーセはファラオの処に行き「わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。もしそうしないなら領土全体に蛙が群がり、災いを引き起こし、王宮を襲うことになる」と告げた。預言の通り、蛙は異常繁殖して王宮の寝室まで侵入する(28節)。ファラオの心は一層頑迷になり(8章11節)、イスラエルの民を去らせなくする。神は人の心のすべてを知っておられる方であり(詩139篇)。また頑なにしようと思うものを頑なになさるのである(ローマへの手紙9章18節)。