日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた」

2016-05-27 | Weblog
  ヨハネの黙示録18章   

  2節「天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった」(新共同訳)

  1節「その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた」。小見出し『バビロンの滅亡』。17章で淫婦の命運は危機的な情況に至ったことを告げているが、本章ではその決定的な審判が伝えられる。
  2節「天使は力強い声で叫んだ。『倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった』」。バビロンは破壊され廃墟となる。それは不道徳と偶像礼拝のゆえである(3節)。
  4節「わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ」。これは災禍を受けない最も適切かつ安全なのである。そしてその悪行の罪と不義に対して倍にして仕返しするがよい(5~6節)。彼女に苦しみと悲しみと飢えが襲い遂には火で焼かれるという(7~8節)。
  9節「彼女とみだらなことをし、ぜいたくに暮らした地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を見て、そのために泣き悲しみ」、その苦しみを見て恐れ、遠くに立って、バビロンの滅亡に対する哀歌が詠われる。「不幸だ、不幸だ、大いなる都バビロン、お前は裁かれた」と言う呪いの言葉が三度繰り返される(10、16、19節)。そしてそこで三十の商品の名が挙げられる。金銀宝石、赤と紫の布、絹地、赤い布、香木と象牙細工、高価な木材や、青銅、鉄、大理石。肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、小麦、家畜、羊、馬、馬車、奴隷、人間」(12~13節)である。奴隷と人間があるが、原文は「人のソーマ(体)とプシュケー(魂)」である。人身売買だが奴隷だけでなく、取引で魂まで売っている人になる。15~16節はそれで財をなした富める人々、17~19節は交易に働いた船長や船員たちの哀歌。
  20節「天よ、この都のゆえに喜べ。聖なる者たち、使徒たち、預言者たちよ、喜べ。神は、あなたがたのためにこの都を裁かれたからである」。天では苦難と迫害を受けた者たちに向かってバビロンの崩壊を喜び喜べと告げるのである。そして力強い天使が現われて大きなひき臼のような石を海(バビロンを指す17章1節)に投げ込み、都は死に絶える(21節)。楽器を奏する音も、歌う者の声も、熟練職人も、臼を引く女もそこには無く、火の光は消え、花婿花嫁の声も聞くことなく滅亡は決定的となる(22節)。その理由を三つ挙げる。先ずバビロンがその活発な商業活動によって、全世界的にその権勢をほしいままにした。次にその繁栄のもたらす魔術で、諸国民を神への背反に誘ったことである(23節)
  24節「預言者たちと聖なる者たちの血、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである」。これが第三の理由である。

小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ

2016-05-25 | Weblog
  ヨハネの黙示録17章 

  14節「この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める」(新共同訳)

  1節「さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。「ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう」。小見出し『大淫婦が裁かれる』。手に鉢に持つ七人の天使の一人が「ここへ来て見よ」と呼び掛ける。それは「大淫婦」と呼ばれる女で、その描写が詳細に記述され、裁かれる光景が描かれる。この女はバビロンつまりローマ帝国を指す(5節、14章8節see)。「水の上に坐る」のは、16章20節で島も山々も消え失せたからだ。地図上では、バビロンはユーフラテス川とそれに連なる運河に囲まれていた国である。
  2節「地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった」。皇帝礼拝という姦淫を犯し、これに酔いしれてしまった。
  3節「そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった」。この獣は、13章に登場した獣で、全身は神を冒涜する数々の名で覆われている。赤い獣にまたがっている淫婦は世界を支配しているのである。「紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、金の杯を手に持っていた」と着衣・装身具が記される(4節)。これはローマ帝国の富と繁栄を象徴している。聖書では「緋色」は罪(イザヤ書1:18)、「金の杯」は反神的な性格(エレミヤ書51:7)としている。その額には「大バビロン、淫らな女たち、忌わしい者らの母」という名が記されていた。
  6節「わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。この女を見て、わたしは大いに驚いた」。「聖なる者たち」とはイエスの殉教者たちを指し、「血に酔いしれているのを見た」は、大量殺戮が近い将来に起こることを予感させる表現である。これに驚くヨハネに驚くなと告げ(7節)、「以前いて今はいないが、やがて来るが…ついには滅ぼされる」(8節)という。これは「今おられ、かつておられ、やがて来られる神」(1章4節)に対極する存在を示している。七つの頭はローマの「七つの丘」の町である(9節)。「七人の王」とは次々にローマを統治する七人の皇帝で五人は既に倒れ、一人は現在統治する座にあり、他の一人の在位は短い(10節)。
  12節「また、あなたが見た十本の角は、十人の王である。彼らはまだ国を治めていないが、ひとときの間、獣と共に王の権威を受けるであろう」。「十本の角」はローマに協力したパルティアの王で、終末的・反神的勢力の代表と考えられている。この王たちは結束して獣への助力を惜しまない(13節)。
  14節「この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める」。王たちが戦いを挑む相手は「主の主、王の王」で勝利は既に確立しているのである。15~16節では十人の王が小羊との戦いに敗れた後、淫婦に対して非人間的残虐かつ嫌悪すべき敵対行為をする。

主よ、あなたの裁きは真実で正しい

2016-05-24 | Weblog
 ヨハネの黙示録16章 

  7節「わたしはまた、 祭壇がこう言うのを聞いた。『然り、全能者である神、主よ、あなたの裁きは真実で正しい』」(新共同訳)

  1節「また、わたしは大きな声が神殿から出て、七人の天使にこう言うのを聞いた。「行って、七つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぎなさい」。小見出し『神の怒りを盛った七つの鉢』。7人の天使に渡された金の鉢の中身が、次々と注がれる状景が描かれていく。第一は獣の像を礼拝する者に向けられた。すると「悪性のはれ物」ができた(2節)。第二は鉢の中身を海に注ぐと、海が死人の血のように変わり、その中の生き物が死滅した(3節)。続いて第三は川と水の源に注ぎ血に変わった(4節)。これは出エジプト記7章、9章でモーセがエジプトの王ファラオの前で顕した災いと共通している。同じ災いがラッパの幻にあるが、そこでは三分の一であった(8章8~9節)。本章では皇帝礼拝に対して厳しく臨んでいる。
  5節「そのとき、わたしは水をつかさどる天使がこう言うのを聞いた。「今おられ、かつておられた聖なる方、あなたは正しい方です。このような裁きをしてくださったからです」。血を注ぐとは死を指し、キリスト者を殺した迫害者の行為とが重ね合わせてイメージされ、それは神の報復であることを告げている。それは当然のことだという(6節)。
  7節「わたしはまた、祭壇がこう言うのを聞いた。『然り、全能者である神、主よ、あなたの裁きは真実で正しい』」。祭壇の声は、神の裁きに対する殉教者たちの賛美の声である。第四の天使が鉢の中身を太陽に注ぐと、人々を炎熱の激しさで焼き尽くす災いが起きる(8節)。ここでは神を冒涜して悔い改めない者が対象となる(9節)。続く第五の天使が獣の王座に注ぐと、その王国が暗闇に覆われ人々は苦しみ自分の舌を噛み、その苦痛のゆえにいよいよ神を冒涜して悔い改めることをしない(10~11節)。王座とはローマ帝国とその支配下にある国々である。第六はユーフラテス川(バビロンを指す)が干上がる災いである。渇きに喘いで竜と獣と偽預言者の三者が大きな口を開け、悪臭を吐き出す蛙のように、汚れた霊が出てきた(12~13節)。その悪霊どもは世界をかけめぐり、今や、反神的行動の準備は整って全世界的規模での攻勢が極限にまで達しようとしている(14節)。これを「全能者である神の大いなる日の戦い」と表現している。それは「盗人が夜襲って来る」(第二ペトロ3章12節)ように起きるので目覚めておれと告げる(15節)。
  16節「汚れた霊どもは、ヘブライ語で『ハルマゲドン』と呼ばれる所に、王たちを集めた」。その集合場所が「ハルマゲドン」である。ハルは「山」、マゲドンは「メギド」(地名で激戦地)のギリシア語化した言葉である。
  17節「第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、『事は成就した』と言った」。第七は災厄の集大成である。鉢の中身を空中に注ぐと稲妻、雷鳴、地震と続き(18節)、大バビロンは三つに引き裂かれ(19節)、その支配下の諸国の町も倒れ、その激しさは島々も山々も消滅する程である(20節)。
  21節「一タラントンの重さほどの大粒の雹が、天から人々の上に降った。人々は雹の害を受けたので、神を冒涜した。その被害があまりにも甚だしかったからである」。一タラントンの重さ(25~40キロ)はユダヤ戦争で用いた一個の石弾の重さが想定されている。激しい災禍の只中に教会へのメッセージがある。それは「全能者である神、主よ、あなたの裁きは真実で正しい」という言葉である(7節)。真の平和と正義と真実はキリストによって初めて実現される(イザヤ11章1~5節)。

あなたの正しい裁きが明らかになったからです

2016-05-23 | Weblog
  ヨハネの黙示録15章  

  4節「主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、明らかになったからです」(新共同訳)

  1節「わたしはまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである」。小見出し『最後の七つの災い』。14章に続き、更に神の最終的な審判が告げられる。「極みに達する」(テレオー)は「終わる、完了する」で口語訳「頂点に達する」。七人の天使が登場するのは6節である。
  2節「わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていた」。「ガラスの海」は玉座の前にあり(4章6節)、そこに信仰の勝利者らが立っている。「その名の数字」は14章20節で都ローマである。彼らは「獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った」、三重の勝利を得た者で、竪琴を手にして賛美を捧げる。
  3節「彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。『全能者である神、主よ、あなたの業は偉大で、驚くべきもの。諸国の民の王よ、あなたの道は正しく、また、真実なもの』」。神の偉大な働きを称える。「神の僕モーセの歌」は出エジプト記15章の救いの賛美(海の歌)を示し、「小羊の歌」は小羊の贖いを賛美するものである。
  4節「主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、ひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、明らかになったからです」。七つの災いで神の審判が宣告されるにもかかわらず、「諸国の民の王」と「すべての国民が、来て、ひれ伏す」という究極的な賛美が先取りされている。
  5節「この後、わたしが見ていると、天にある証しの、幕屋の神殿が開かれた」。幕屋の神殿から七つの災いを携えた七人の天使が登場する(6節)。天使たちは祭司のように亜麻布の衣を着て、王が身につける胸に金の帯を締めていた。「証しの幕屋」は旧約の民イスラエルの神礼拝、「神殿」は新約時代の神礼拝を指す。従ってここで旧約と新約とを貫く神の臨在を表わし、そこには誰も近寄ることができない。
  7節「そして、四つの生き物の中の一つが、世々限りなく生きておられる神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、この七人の天使に渡した」。これで神の聖なる意志を直接受けて幻を伝達するという舞台が示されている。
  8節「この神殿は、神の栄光とその力とから立ち上る煙で満たされ、七人の天使の七つの災いが終わるまでは、だれも神殿の中に入ることができなかった」。16章で展開される裁きと滅びが盛られたは七つの鉢がまだ傾けられていないからである。

信仰を守り続ける忍耐が必要である

2016-05-20 | Weblog
  ヨハネの黙示録14章 

  12節「ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である」(新共同訳)。

  1節「また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた」小見出し『十四万四千人』。13章とは全く対照的な場面が現われる。額に小羊の名が刻まれた14万4千人の人々と共に、小羊がシオンの山に立つ。彼らは7章4~8節にある新しいイスラエルの民、キリストの教会である。そして玉座の前で神を称える新しい歌を、竪琴を奏し賛美していた(2~3節)。
  4節「彼らは、女に触れて身を汚したことにない者である。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として人々の中から贖われた者たちで」。彼らが童貞だというのは、偶像礼拝の姦淫を犯したことがない民という意味。小羊と共に何処までも従い、節操を守るのである(第二コリント11章2節)。彼らは世の民の中から初穂の供え物として神に献げられたのである(レビ記23章12節)。
  6節「わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て」、言った。三人の天使の言葉である。第一の天使は「永遠の福音」を携えて来て大声で言う(6節)。福音とは、神の裁きの時が来たので真の創造なる主を礼拝せよと告げること(7節)。第二の天使は、これを受けて「大バビロン」の滅亡を予告する(8節)。これはローマ帝国を指す。第三の天使はバビロン滅亡によりその支配下にある人々、獣を拝み、額や手に獣の刻印を受けている者らが神の怒りのぶどう酒を飲み、不断の火に苦しむと告げる(9~10節)。
  12節「ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である」。神の審判の告知は、救いの到来を告げるものである。その時まで忍耐が必要なのだ。殉教の死に遭った者にもこれは同じである(13節)。
  14節「また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた」。小見出し『鎌が地に投げ入れられる』。15~20節は鎌が地に投げ入れられる場面である。白い雲の上に座している方の手に鋭い鎌があり、天使が「刈り入れの時が来ました。刈り取って下さい。穀物は実っています」と叫ぶ(15節)。そこで、その鎌が地に投げ入れられると地上では刈り入れが始まる(16節)。別の天使が神殿から手に鋭い鎌を持って登場する(17節)。しかし彼は火を支配する権威を持つ別の天使が祭壇から出て来て「その鋭い鎌でぶどうの房を刈入れよと命じられて刈り入れが始まる(18節)。小麦の後にぶどうの収穫である。
  19節「そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた」。投げ入れて踏まれると真っ赤な液が流れ出る。それは神の怒りで流される血で、神の審判を表わしている。同じ表現がイザヤ書63章にもある。その搾り桶は都の外に置かれる。神の都の外は犯罪者を処刑する場所をしめす。イエスの十字架も同じであった(ヘブライ人への手紙13章13節)。これは13節に記される殉教者に対し、その敵対者たちへの神の厳しい審判を連想させる光景で、その汁液は世界を表わす四の数字の四百倍の千六百スタディオン(約300km)の広さにまで流れて行く。神の審判が世に隠れることを表わす。

聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である

2016-05-19 | Weblog
  ヨハネの黙示録13章 

  10節「捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である」(新共同訳)。

  1節「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた」。小見出し『二匹の獣』。この獣は、12章18節の竜とは別物だが、角と頭の数は同じである(3節)。その頭には神を冒涜する数々の名が記され、豹に似て、熊の足、獅子の口に似ていた(2節)。これはダニエル書7章4~7節の獣と同じである。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威をあたえた。これはローマ帝国が諸国を支配する様相を、黙示的に描き出したものである。
  3節「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した」。皇帝ネロの再来と解釈される。人々はこの獣を拝み、抵抗が出来なくなる(4節)。獣は本性を表わし、「大言と冒涜の言葉を吐き」、四二ヵ月(三年半)活動する(5節)。その冒涜は神の名に留まらず、神の幕屋、天に住む者にまで及び(6節)、また皇帝礼拝が種族、民族、言葉の違う民にまで強要される(7節)。
  8節「地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう」。「小羊の命の書」にその名を記された者は、この権威に屈しなかった。「命の書」は3章5節、21章27節にある(神の民の所属を表わすもの 出エジプト記32章32節、フィリピ4章3節)。
  10節「捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である」。この最も厳しい試練に抵抗するには「強靭な持久力と信仰の忠実を発揮しなければならない」(NTD註)のである(10節)。
  11節「わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた」。第二の獣は地中から上って来る。獣の支配が海と地つまり全地に及ぶことを示唆する。これは小羊に似た角を持っているという。明らかに羊の皮をかぶった狼である(マタイ福音書7章15節)。竜のようにものを言う(創世記3章蛇の語り口)。第二の獣が第一の獣に対する礼拝を強要する(12節)。超自然的な火のしるしで地上の人々を惑わして、獣の像を作って礼拝を要求し、これを拒む者を殺す(13~15節)。そして獣を拝み従う者はみな右手か額に獣の名の刻印を押されたのである(16節)。その意図は刻印を押していない者らを区別して弾圧し、物を買うことも売ることも出来なくして生活を破壊することであった。「この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である」(17節)。ここで謎解きが示される。
  18節「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である」。これは文字の数値の合計で名前を推測するという手法である。「六百六十六」の謎解きは様々であるが、ヘブライ語のアルファベットを数字になおすネロカイザル(ローマの都に火を放ち、妻や実の母親も殺害したとされる皇帝ネロ・在位54~68年)となる。つまり3節にある第一の獣、再来の皇帝ネロと考えられる。

今や、我々の神の救いと力と支配が現れた

2016-05-18 | Weblog
  ヨハネの黙示録12章 

  10節「わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。『今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである」(新共同訳)。

  1節「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」。小見出し『女と竜』。11章から場面は一変する。太陽と月と十二の星で、全身光り輝いている一人の女とは誰のことか。彼女は懐妊し、今産みの苦しみをしているという(2節)。
  3節「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた」。女の前に立ちはだかる竜が登場する。七つの冠をかぶった頭と十本の角がある赤い竜で産まれてくる子を食べようと待ち構えていた(4節)。竜は旧約聖書ではしばしば登場している(ヨブ記1章6~12節、詩74篇13節=別名レビヤタン、イザヤ27章1節、エレミヤ51章3節)
  5節「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた」。ここで産まれた子の正体が明らかになる。それはメシア=キリストに他ならない。すると女はマリアであり、十二の星を冠とする新しいイスラエル、神の民を表わしている。女は神によって備えられた荒れ野に千二百六十日、三年半の間逃れることが出来た(6節)。それは短い期間である(11章3節)
 7~8節 天上で竜と天使ミカエルとの対戦が描かれている。それぞれ使いがいて互いに争ったが、竜と使いは敗北して地上に投げ落される。ここで竜の正体が明らかにされている(9節)。
 (1)「年を経た蛇」 20章2節 創世記3章1~3節 
 (2)「悪魔とかサタンとか呼ばれる」 アラム語(サタン)、ギリシャ語(ディアボロス)
 (3)「全人類を惑わす者」 巧妙な手段方法を用い天使の装いをする(第二コリント11章14節)。
 (4)「告発する者」(10節) 
  10節「わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。『今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである』」。天上でメシアの権威が現われ、勝敗が決定して、サタンは地上に投げ落とされたのだから、どんなに我々兄弟たちを神に告発しても恐れるに足りない。既にサタンに勝利したことを知っているから(11節)。キリスト者は天の勝利を喜ぶのだが、地上の勝利はまだ完成してはいない。サタンは短い期間だが狂暴に荒れ狂うだろう(12節)。13~18節 荒れ野に逃げこんでいる女を竜が追い、激しく怒って襲うという様子が記される。
  14節「しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所に飛んでいくためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた」。三年半の期間そこに入る(6節)、蛇は竜と同じで、口から水を吐き出し洪水で女を押し流そうとするが、大地が飲み干して助ける(15~16節)。願いが叶わないとみると一層激しく怒り、女の子孫である神の掟とイエスの掟を守る者たちに向けられるのである(17節)。キリスト者は悪賢いサタンに勝利する術(すべ)を知らねばならない。

主は世々限りなく統治される

2016-05-17 | Weblog
 ヨハネの黙示録11章 

  15節「さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声があって、こう言った。『この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される』」(新共同訳)

  1節「それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ」。小見出し『二人の証人』。1節からは、第六のラッパ(9章13節)が吹かれてから、第七の天使のラッパが吹かれる(15節)幕間劇の構成が終わる部分である。ヨハネは物差しを与えられ、神殿と祭壇を測り、そこで礼拝する民を数えるよう命じられた。神殿の外にいる異邦人はよいという(2節)。そして二人の証人が登場する。荒布をまとい、「千二百六十日」預言する(3節)。それは42ヵ月つまり三ヵ月半で、七年(完全数)の半分になる。
  4節「この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である」。ゼカリヤ書4章3節に同じ言葉がある。二本のオリーブの木は国を回復する指導者で王と祭司で、燭台は世を照らす教会の異象である。一体的に扱われているので神の教会である。予言と敵に立ち向かう力が備えられている(5~6節)。厳しい苦難の中に置かれているキリストの共同体へのメッセージである。しかしその活動は三ヵ月半で中断される。
  7節「二人がその証しを終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上って来て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう」。これは迫害に伴う殉教である。死体は大きな都(バビロン=ローマを指す)で三日半晒される。二人の証人の主も同じ扱いを受けたと告げる(8節)。然し神の息が吹き込まれ、天から「ここに昇って来い」との声を聞き昇天する(12節)。主イエスの十字架と復活、昇天の御業が、殉教者たちに与えられる約束である。どんなにか大きな慰めと励ましになったことであろう。この時地震が起きて人々が死ぬが、これはマタイ27章51~54節を思い起こさせる。
  15節「さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声があって、こう言った。『この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される』」。小見出し『第七の天使がラッパを吹く』。いよいよ第七の天使がラッパを吹き、主キリストが世々限りなく世界を統治する時が来たと告げるが、そこに至るまでには、尚様々な苦難との戦いが12章以下に延々と続くことになる。ここでは勝利を先取りして、神の支配の確立宣言がなされる。続いて24人の長老たちの感謝と賛美がさが聞こえてくる(16節)。
  17節「今おられ、かつておられた方、全能者である神、主よ、感謝いたします。大いなる力を振るって統治されたからです」。同じ描写は既に4章8~11、7章9~12節にある。注目すべきは「やがて来られる方」の言葉がないことである。理由は今や終わりの審判と救いの時が来ているという理解に立っているからである。つまりそれは12章以下に展開される竜と獣の猛威による悪魔的勢力が絶滅することを予測しているということになる。
  19節「そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った」。これは神の臨在のしるしである神殿にある「契約の箱」を見ることによって一層強い確信となっている。

蜜のように甘かったが食べると私の腹は苦くなった

2016-05-16 | Weblog
  ヨハネによる黙示録10章 

  10節「わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが食べるとわたしの腹は苦くなった」(新共同訳)。

  1節「わたしはまた、もう一人の力強い天使が、雲を身にまとい、天から降って来るのを見た。頭には虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり」。小見出し『天使が小さな巻物を渡す』。第六の天使がラッパ吹くと四人の天使が現われて口から出る火と煙と硫黄を吐いて人間の三分の一が殺されたが、悔改めない者らがいた前章に続いて、今一人天使が現われる。顔は太陽、足は火の柱のようで、手に巻物を持ち、右足は海、左足は地を踏まえた力強い天使である(2節)。
  4節「七つの雷が語ったとき、わたしは書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはいけない」と言うのが聞こえた」。七つの雷は全世界に響き渡る神の言葉である(詩19篇5節see)。ヨハネはそれを書き留めようとすると、封印せよ、書き留めるなと告げられた。する天使は右手を挙げ、世々限りなくいまし天と地と海とその中にいます創造者にかけて誓い、別な言葉が告げられる(5~6節a)。
  6節「第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである」。ここで二つのことが告げられる。先ず「もう時がない」。つまり終末の切迫である。そして「第七のラッパが響くと秘められた計画が成就する」という。秘められた計画(口語訳=奥義ムステーリオン)としての福音が成就することである。終わり時が満ちて万物が改まる日、天から鳴り響くラッパの音とともに喜ばしい音信が伝えられるという約束である(マルコ1章15節see)。
  8節「すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。『さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ』」。その巻物を受け取れと指示される。そして更に「それを食べてしまえ」と告げられた(9節)
  10節「わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった」。すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ」と告げられた(11節)。これと同じ象徴的行為を預言者エゼキエルも示されている(2章8~3章3節)。彼の場合は、その巻物は哀歌と呻きと嘆きの文字が書き記されたもので、イスラエルの民は預言者の言葉を「口に甘い」ものとして聞くが、心頑なでそれに応えることをしなかった。ヨハネの場合は「口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった」。これは終末に約束されている「喜ばしい音信」という蜜の甘さを持つものであるが、同時に神の言葉の持つ厳しい審判に遭うものであることを示している(マタイ福音書27章34節see)。神の言葉は徹底した罪の解決なくしては福音となり得ない。ヘブライ人への手紙4章12節には、人の五体を切り離すほどに刺し通す両刃の剣と表現されている。

切に死を望んでも、死の方が逃げて行く

2016-05-15 | Weblog
  ヨハネの黙示録9章 

  6節「この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く」(新共同訳)

  1節「第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ」。第五の天使がラッパを吹くと、天から星が落ちて来て、手にしている鍵で底なしの淵に通じる穴の扉を開くと、煙が立ち上り空は暗くなった(2節)。「底なしの穴」は火焔の世界で悪霊のいる処と考えられている(ルカ福音書8章31節)。
  3節「そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた」。いなごは旧約聖書に多く出てくる(出エジプト記10章5~19節、ヨエル書1章4、2章25節)。さそりと同じ毒針を持っていて「額に神の刻印を押されていない人」に害を加えてもよいと言われた(4節)。植物はすでに被害を受けている(8章7節)。額に神の刻印を押された民は7章1~8節で、十四万四千人とあった。その毒針に刺されて五ヵ月の間痛み苦しむことになる。苦しみに耐えかねて死にたいと願っても死ぬことができず、死を望んでも、死の方が逃げて行く(5~6節)。この五ヵ月は春から夏の終わりにおよぶいなごの生存期間である。
  7節「さて、いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった」。髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。(8節)。胸には鉄の胸当てを着け、羽音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響き、尾と針で襲来の恐怖を描写する(9節)。いなごは底なしの使いを王としていただいている。王の名は「アバドン」、ギリシャ語でアポリオンという。いずれも「滅ぼす」という意味の言葉である(11節)。
  13節「第六の天使がラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から一つの声が聞こえた」。それは、「大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使を放してやれ」という声であった(14節)。この天使たちは人間の三分の一を殺すためだという(15節)。災禍の度合いは一層深まる。これは先の「苦よもぎ」の審判で生き残った者の三分の一、つまり半分に当たる(8章11節)。この四人の天使には二億の騎兵がついていたが、その容姿は、頭は獅子で尾は蛇、口と尾から火焔の炎が出て、人を焼き滅ぼすという(17~19節)。「二億」というのは聖書に類例のない天文学的数字である。この軍勢の騎士は炎に包まれた胸当てを着けており、火と煙と硫黄を吐く馬に乗って襲来し、この第三の災いで人間の三分の一が殺戮されるという描写である。
  20節「これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった。このような偶像は、見ることも、聞くことも、歩くこともできないものである」。想像を絶する災禍にもかかわらず、殺されずに残った人間が依然として悔い改めないばかりか、十戒(第五、第六、第七)で禁じられている偶像礼拝、殺すこと、まじない、みだらな行い、盗みを行い、悔い改めることをしないと厳しく糺される(21節)。

聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った

2016-05-13 | Weblog
  ヨハネの黙示録8章 

  4節「香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った」(新共同訳)

  1節「小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた」。小見出し『第七の封印が開かれる』。いよいよ第7の封印が開かれる。天変地異が静まり半時間程の沈黙の時が流れた。そして七人の天使がラッパを手にして神の御前に立つ。続いて金の香炉を持つ別な天使の登場。これから11章まで続く新しい黙示の舞台である(2節)。
  3節「また、別の天使が来て、手に金の香炉を持って祭壇のそばに立つと、この天使に多くの香が渡された」。この香炉からの煙は聖なる者たちの祈り(5章8節)と共に、祭壇から神の御前へ上っていく(4節)。迫害を受けている者たちの祈りが香りとして天にのぼり神に聞き届けられたことだろう(6章11節)。その香炉に、天使が祭壇の火を満たして地上に投げると雷鳴と稲妻、地震が起きた(5節)。
  6節「さて、七つのラッパを持っている七人の天使たちが、ラッパを吹く用意をした」。小見出し『天使のラッパと災い』。第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった(七節)。これは出エジプト記9章2節以下の出来事を反映している。
  8節「第二の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり~」。これは出エジプト記7章20節以下を想起する。紀元79年ヴェスヴィオス火山噴火により、火砕流でポンペイ市民の多くが死んで埋没した出来事が想定されているという。
  10節「第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた」。これは出エジプト記にはない。「苦よもぎ」という名の大きな星が川の水源に落ち、それに汚染された民が死んだという災禍である。「死の水」と呼ばれた(エレミヤ9章14節)。この「苦よもぎ」(アフィンソス)をウクライナ語で「チェルノブイリ」(黒い木)と言い、これが1986年チェルノブイリ原子炉爆発事故と結びつけて比喩的解釈をする人がいる。広島原爆300発分とか、被爆死者は3000人から、放射線汚染でその数は拡大し既に5万~10万人に増加、ウクライナ地域に今尚汚染者数が4000人毎年続いているという。こんも出来事は日本でも起きた。2011年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震に伴って起きた津波で、東京電力福島第一原子力発電所の1~3 号機が破壊し、放射能飛散による汚染被害は甚大で、今も止まることはない。
  12節「第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった」。これは「日食」と説明されるが、出エジプト記10章21~29節にある暗闇の災いが示される。
  13節「また、見ていると、一羽の鷲が空高く飛びながら、大声でこう言うのを聞いた『不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者たち。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに」。不幸が更に続くことを宣告する。第1から第4までの共通している事柄は3分の一の災禍であるということ、つまり全滅ではなく、三分の二が残されていることである。この後も神の審判が継続することを示唆する。しかし同時にこれの破壊的な自然の力・嵐・火山・流星・暗闇をも動かして、神の大いなる救いの御業がなされることを教えている。災禍は人の頑な心を打ち砕く試練であり、終局の目的は滅びではなく救いである(マタイ福音書24章13~14節)。