団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後16年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

長生きの母のお陰で大勢の親族が集える

2016-09-05 | 母の介護
母も父と同じ認知症とわかってから15年余、ちょうど11年前に父が亡くなった頃を境に母の認知症状が年々進んで、少しずつ「困った母さん」度が増していった。代々のケアマネージャーが異口同音に「珍しいケース」と表現した、兄妹3人が輪番で始めた介護にも改善を加えて5週間ずつのそれぞれの自宅介護に切り替えた。

それまでの1ヶ月毎の当番だと毎年夏休みと正月休みを、同じ者が担当しなければならないことが判明したからだった。浜松で10週間と東京で5週間のイレギュラーなデーサービスを受けられるように、当時のケアマネさんが粉骨努力してくれた。これらが効を奏したのか、この10年母の認知症度の悪化はゆっくりで父の発症以来10年86歳前で亡くなったのに比べると、大幅に長寿記録を更新すると思われた。

しかし米寿を過ぎ卒寿を迎えるころにはおとなしく優しくなったが、生活基本機能の衰えが目立ち始めた。この一年は食事さえも介助なしには難しくなった。そしてこの夏、お世話になっている特養施設はエアコンで年中27度の快適さ、風呂やトイレの介助はプロがやってくれるので安心できるのだが。残念ながら口の開き方が悪くなり、咀嚼も嚥下機能も著しく低下した。結果食事時間は1時間から1時間半かかる。食事内容も噛まないで飲み込める半量のミキサー食になり、補助栄養剤のお世話にもなり始めた。

かみさんの両親と父の計3名の介護歴をたどると、食が細くなり痩せて体力がなくなるとやがてローソクの火が風が無くとも揺れてやがて消えるように命の灯火が燃え尽きる。母のこのところの状態を見ていると、年明けの誕生日が迎えられるかどうかという状態だ。

母には3人の子供と7人の孫と今年15人目を授かる曾孫がいる。今年の夏はそんな母の状況を察して、見舞いがてら孫の家族がひ孫を連れて続々とやって来た。先週末も母の孫2号H君が富山から娘を連れて、孫6号Sちゃん夫妻が東京から娘を連れてやってきた。Sちゃんは留学先の縁でドイツ人Jさんと6年前に結婚して4年前に娘を授かった。偶然とはいえ珍しい組み合わせの親族が集って、そろって夕食を共にし特養の母を見舞ってくれ父の墓参りもしてきた。

Macchanは演奏会や旅行の計画をかきわけて、かみさんと久々の組み合わせの親族との楽しいひと時を楽しめた。
コメント (2)
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