まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第13番「石山寺」~西国三十三ヶ所めぐり2巡目・9(33年に一度の御開扉)

2016年12月08日 | 西国三十三所
立木山寺から旧参道経由で南郷に戻り、バスで石山寺の山門前に到着。ここは西国札所としてだけでなく、観光地としても有名であり、いつも多くの参拝者、団体で賑わっている。山の中に静かにたたずむ岩間寺と対照的に、瀬田川沿いの開けたところに位置するのも開放的な雰囲気である。

さて今回は、山門の周りに「南無観世音菩薩」の色とりどりの幟が目立つ。その理由は本尊の如意輪観音像の御開扉である。それが何と33年に一度のことという。33年前といえば私は小学四年生か。阪神の日本一、タイガースフィーバーよりも前ということか。そして33年後とは・・・私、生きてるかな?

今年は西国の2巡目で、新西国など、どこか近くに行ったその足で訪れるとしており、石山寺をマークしていたわけではなかった。本尊の御開扉があるのを知ったのは、この日の朝、石山駅前で松尾芭蕉の像の横に立て札があったのを見たからである。加えてラッキーだったのが、期間が翌日の12月4日までだったこと。最終日1日前に滑り込みで見ることができたわけで、滋賀行きが次の週末なら間に合わなかった(もちろん、この記事をご覧になって「よし行こう!」と思っても、次は33年後である)。普段札所めぐりをしていても「見仏」にはあまり執心しないのだが、日頃は見られないものが見られるのはうれしい。これも何かのご縁だと思う。

本尊は内陣の奥に安置されているが、今回はこの内陣にも上がることができ、間近に見ることができる。特別拝観ということで、通常の入山料600円とは別に500円かかる。別料金は内陣の入口で支払うとある。

境内に入り、多宝塔を見上げる硅灰石の大岩塊を見る。石山寺の名前の由来である。

そして本堂へ。参詣者でかなりの賑わいである。中は撮影禁止なので写真はないが、外陣からも、内陣の奥に本尊の如意輪観音の上半身を見ることができる。まずは遠くに本尊を見ながらのお勤め。参詣者も多いので、邪魔にならないように柱の陰でうにゃうにゃと。

ここから内陣に入るのに特別料金であるが、本尊の全身を間近で見ることができるとあればここは入る。靴をビニール袋に入れて、先の人に続いて中へ。

石山寺じたいは奈良時代、聖武天皇の勅願による建立であるが、その後火災もあり、今見ている如意輪観音像は平安後期のものだという。岩盤に蓮華座を敷いた上に、右足を左足に乗せて座っている。紐が垂れていて、この先が本尊の手と結ばれている。紐を手にすることで本尊と結ばれるわけだが、長い信仰の現れか、紐の先がだいぶほつれている。順番に手にとって拝むが、中には一歩後ろに下がって、長い間如意輪観音像を「見仏」している人もいる。『見仏記』のお二人も間近で見たのだろうか。

他にも同じ重文の不動明王像や、以前の本尊の胎内仏で、飛鳥時代や白鳳時代のものとされる如来、菩薩像も公開されている。これはパンフレットで知ったが、33年に一度の開扉に加えて、内陣の裏側まで入ることができるのは今回が初めてだという。西国開創1300年というのも関係しているのかな。

このような特別な期間ということもあり、本堂内の納経所も長い行列である。3名体制なのだが、一人で何冊ももらっていたり、果ては「◯◯トラベルです!!」と、団体の添乗員が割り込んできたりでなかなか進まない。まあ仕方ないか。

2巡目ということもあるし、本尊の開扉という思わぬ展開もあって、今回はお腹いっぱい。本堂を出て、多宝塔やら、紅葉も見られる境内を一巡するが、それはもう歩いて回るだけだった。最後に土産ということで、好物であるしじみ、小鮎の佃煮、鮒寿司を門前の土産物店で買い求め、そのままバスに乗る。往復で経路を変えるなら1キロ歩いて京阪の石山寺駅に行き、京阪ルートを利用となるが、やはり脚の痛みもあり、石山から新快速に乗るほうを選んだ。もう少し時間が遅ければ石山、大津の店を開拓する楽しみもあるが、この日はこれでおしまいとして、そのまま大阪に戻る。

さて1月から始めた新西国めぐり、年内および年始の時期で、もう少し進めておきたいところである・・・。
コメント    この記事についてブログを書く
« 第20番「立木山寺」~新西... | トップ | 第17番「楊谷寺」~新西国... »

コメントを投稿