まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第9回四国八十八所めぐり~第36番「青龍寺」

2017年05月16日 | 四国八十八ヶ所
青龍寺の山門に立つ。ここから伸びる石段は170段ある。これを金剛杖を突きながら上って行く。ちなみにこの階段、モンゴルから明徳義塾に相撲留学に来たある少年がトレーニングに使っていたとして知られている。その名はドルゴルスレン・ダグワドルジ。第68代横綱・朝青龍明徳である。しこ名の朝は師匠高砂親方の現役時代のしこ名の朝潮から、そしてこの青龍寺、明徳義塾高校からその名がついた。それにしても、寺の石段でトレーニングというと何だか時代がかった話だが、そうした時代がかったものが強さの秘訣の一つだったのかもしれない。その意味では、青龍寺も一時最強を誇った横綱ゆかりの地としてアピールしてもよさそうなものだが、モンゴル出身であること、さらには横綱としてああいう辞め方をしたことというのであまり表に出したくないのかもしれない。ちなみに同じ高砂部屋で先日現役引退した朝赤龍という力士がいるが、別に赤龍寺という寺があるわけではなく、「青」と「赤」のコンビのような理由でつけられたしこ名であった。こちらは日本国籍も取得したし、いずれは高砂部屋を継ぐのだろうか。

さて石段を上りきった正面に本堂があり、左手に大師堂がある。ここまでたどり着いて、ようやく本日のゴールに来たなという感じである。お勤めの前にしばらく休んで息を整える。どこか腰かけるベンチでもあればと思うが、そういうものはない。本堂の前には、青龍寺の本尊である波切不動を模したとされる石像が立つ。

この青龍寺の開創は、弘法大師が唐に渡り、恵果上人から真言密教の奥義を伝授されて日本に戻る際に、ご縁のあるところに至るようにと祈願して独鈷杵を東の方向に投げ、それが着地したのがこの横浪半島とされている。それは一種の伝説ではあるが、独鈷杵が着地したところに札所を設けるとは、ダーツの旅じゃあるまいし。どうせなら少し北にずれて宇佐の市街地にでも落ちてくれれば、その後の遍路がわざわざ渡し船に乗るとか、先ほど私がビビりながら宇佐大橋を渡らなくてもよかったのに・・・ということを言ってはいけない。やはり密教の修行を行うにふさわしい場所として建てられたわけだ。寺の名前は唐で恵果上人がおわした青龍寺からいただいたものである。本尊が波切不動明王なのは、弘法大師が唐に渡る中で暴風雨に遭った時、不動明王が現れて波を切ったからとされている。そして、その不動明王が36番の札所の本尊というのも、偶然なのか意図があってのことか気になる。36で不動明王といえば、近畿をはじめとした各地方の三十六不動尊めぐりを連想する。近畿の最後36番の高野山の南院も波切不動明王を本尊としている。不動明王と36というのは、不動明王の眷属である三十六の童子から来ている。だから青龍寺が36番というのは、決して偶然ではないと思うのだがどうなのだろうか。

この後、大師堂でもお勤めをして青龍寺は終わりとする。本来であれば、独鈷杵が着地したそのピンポイントとされる奥の院にも行ったほうがよいのだが、さらに1キロほど山を上る必要がある。さすがにこれ以上歩くのはしんどいのと、そろそろ帰りのバスの時間も気になるのでここで石段を下りる。

納経所で朱印をいただき、ふと裏手を見ると、小さなお堂がある。恵果堂ということで、恵果上人を祀っている。そうしたことからも、弘法大師の入唐、真言密教の伝来に当たり深い縁のある寺ということになる。朝青龍が当時そうした寺の由緒を耳にしたかどうかはわからないが・・・。

竜のバス停に戻る。時刻は16時すぎで、高岡の町に戻る「ドラゴンバス」の最終便は16時32分とある。バス停横のレストラン、遍路用品店の前には休憩できるベンチとお茶の接待があり、どっかりと腰を下ろして休憩する。ようやくこれで1日が終わり、あとは夜の高速バスで戻るだけである。このバスに乗ってから先の時刻表は調べていないが、それほど遅くない時間で高知駅に戻ることになるだろう。

これで次は県西部の窪川にある岩本寺から始めることができ、そうすると足摺岬との組み合わせが可能となる。四国めぐりもだんだんと西の端にまでたどり着こうとしている。

やってきたドラゴンバスは土佐市内のコミュニティ路線をとさでん交通バスが運行しているもので、竜バス停に来るのは1日4本だけである。その最終便に乗り込み、歩いてきた道を引き返す。途中、歩きの白衣姿とすれ違うが、このタイミングだと17時までという寺の納経所に間に合うのだろうか。あるいはバス停のところのホテルか、山の上の国民宿舎に泊まって翌朝1番でお参りするか。

バスは宇佐大橋もあっさりと渡り、宇佐の町中を走る。そして先ほど歩いて越した塚地峠のトンネルをくぐる。バスに乗ればトンネルはわずか2分であっさりと通過する。トンネルの中に何か特徴的な景色があるわけではなく、ごく普通のトンネルである。今となれば、しんどかったがこういう時でなければ生涯訪ねることはなかったであろう峠を歩いて越した選択は、良い経験になったと思う。

バスはそのまま県道を走り、「東芝」のバス停も経由して高岡の中心部に戻ってきた。来た時に見た景色にまた出会い、とは言うもののこの先どうやって高知駅まで戻るかということで、反射的に土佐市役所前のバス停で下車する。その後で時刻表を見ると、20分ほどの待ちでJR伊野駅に向かう便が来るとある。伊野駅までの時間はわからないが、そう無茶苦茶な時間にはならないだろう。鉄道の駅まで行けば、後は何とでもなる。ちょうどバス停の前にベンチがあったので腰かけ、ここで金剛杖と笈摺をしまう。

バスは17時19分にやってきて、伊野駅に向けて走る。途中で仁淀川を渡り、結構奥のように入ったなと感じたところで再び町並みが出てきて、15分ほどで伊野駅に到着する。ここからは土電の初めて乗る区間をガタゴト行くこともできるし、JRに乗ることもできる。17時51分発の高知行きがあり、今回はJRで高知駅に戻る。これでこの日も一筆書きに近い行程ということになった。

高知駅に戻ったのは18時すぎ。予約している夜行バスは22時半発車ということで、4時間以上の時間がある。その間をどう過ごすかの選択肢はいくつかある。西国や新西国の札所めぐりでやっている「行き先くじ引きとサイコロ」方式で挙げると・・・

1.試合はすでに始まっているが、高知球場で四国アイランドリーグの観戦を行う。・・・当初はその予定だったはずだが、青龍寺行きを決めた時点でもういいかなとも思っていた。ただ、野球観戦は楽しい。

2.バスの時間までどっぷりと高知市街で飲む。・・・何せ、これで私の四国八十八所めぐりの高知市内編が終わりということで。

3.前回も行った薊野駅近くのスーパー銭湯に行く。・・・暑くて汗もかいたし、これが一番快適ではないだろうか。館内で食事もできる。

4.高知の名所である桂浜に行く。・・・野郎一人で夜の海岸というのもオツなものだろう。

5.「土佐横浜みなと未来祭り」に行く。・・・これは前日入った「元祖赤のれん」の店主に教えてもらったもので、5月5日に子どもの成長を願うということで一昨年から始まった祭りという。(「元祖赤のれん」も協賛企業に名を連ねているとか)浦戸湾に花火が上がるのが見どころだという。

これら一つに絞ってもいいし、複数組み合わせてもよい。子どもの日の花火というのも、地元ならではのイベントとしてどんなものか見物するのもいいだろう。何ならサイコロで・・・という手もあるが、ここでサイコロを振らずに私が下した判断は、

6.その日のうちに大阪に帰る。

というものだった。さすがに疲れたというのが正直なところである。これが、今晩も高知市内に泊まるということであればどこにでも気楽に行けただろうし、今日が昨日のような動きであればよかったかもしれない。ただこれは結果論である。先ほど列車を降りる際に、岡山行きの特急が停まっているのを見たからかもしれない。

もちろんこの時間からだと特急と新幹線の乗り継ぎで夜行バスより高くなるが、同じ眠るなら夜行バスよりも自宅のほうがよい。今からなら18時37分の「南風26号」にも乗れるが、さすがにそれは慌ただしいということで、1本後の19時34分発「南風28号+しまんと8号」に乗ることにする。これが岡山に21時57分に到着して、次の新幹線は22時18分発の「こだま762号」である。これだと新大阪から自宅に戻るのは終電になり、日付はまたぐが一応5日中に帰宅することになる。夜行バスのほうは、予約サイトを通してキャンセルということにした。せっかくキープしておいた席を手放すのはもったいないし、またこれまでバスを予約しようとして取れなかった方には申し訳ないと思う。勝手なものだが、せめて直前で、ダメ元で乗りたいという方が取ってくれればと願う。

その1時間で食事・・・というか軽く飲むということで、前々回に入った高知駅高架下の「庄や」に入る(高知駅の構内や隣接した建物には案外食事のできる店がないこともある)。こちらは「よろこんで!」のチェーン店で、これで高知の夜3日間で、それぞれ異なる雰囲気の店に入ることになった。チェーン店とは言っても結構高知、四国産の食材メニューはあり、悪くない。そんなこんなで、今回は夜のほうの八十八所も盛りだくさんであった。

時間がそれほどないので一通り飲食して外に出て、ホームに上がる。これから乗るのは、岡山行きの「南風」と高松行きの「しまんと」の併結運転で、宇多津で切り離しを行う。私が乗るのは「南風」の車両。連休の夜だが、どちらの編成も乗客はそれほどいない。

すっかり暗くなって発車。行きと同じように、2000系気動車特急の「攻め」の走りを楽しむが、景色が真っ暗ではどうしようもない。これから山の中に入っていくので、なおのこと周りの景色は見えない。振り子の揺れに身を任せてしばしウトウトする。気づけば宇多津まで来ており、ここで連結を切り離す。先に高松行きの「しまんと」が発車して、その後で「南風」が出ていく。夜の瀬戸大橋を渡り、四国ともお別れである。

さてこの列車は21時57分に岡山着で、新幹線は22時18分発が乗り継ぎ列車として案内されているが、改めてスマホで新幹線の時刻表を見ると、岡山を22時ちょうどに出る「さくら572号」というのがある。岡山駅の構造を思い起こして、3分なら何とか乗り継げるのではないかと思う。

あまり駆け込み乗車というのは良くないのだが、カートを転がしても行けると判断。列車が岡山駅に差し掛かると早々にドアまで行き、ちょうど新幹線乗り換え口への上り階段が近かったのでそのまま急ぐ。新幹線改札を通りさらに上がると「さくら」はすでに入線していた。幸い、乗降客が多く乗り込みに時間がかかっており、近くのドアから乗ることができた。乗ったのは指定席の車両だったため自由席方向に移動すると、この時間帯でもデッキまで立ち客がいる混雑ぶりである。まあ、新大阪まで50分のことだし、これで自宅にはかろうじて日付が変わる前に戻ることができるので、効果は大きかった。

・・・・最後は慌ただしい感じで、もう少し高知を楽しめばよかったかなと思う。また今回は「四国アイランドリーグと八十八所めぐり」というのが目的だったこともあり、高知で多くの人が訪れるスポットに行くことはなかった。人によっては「高知=坂本竜馬」くらいのイメージを持っているくらいのところだが、龍馬が一切出てこなかったというのも、それはそれで面白いかなと思う。

一つ、今になって惜しかったなと思うのは、司馬遼太郎の特別展示に行かなかったことである。司馬遼太郎自身の展示は東大阪の記念館に行けばいいわけだが、土佐にゆかりのある人物をテーマとして書いた作品、あるいは『街道をゆく』にも土佐は登場するが、その舞台となった土地の人たち相手にどのような構成で展示するものか見るのも面白かったかなと思う。まあそれは、またどこかでということにして今回のシリーズについては、ここまでで・・・・。
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