まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

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奈良30番「元興寺」~神仏霊場巡拝の道・102(ならまち)

2024年05月14日 | 神仏霊場巡拝の道

春日大社を後にして、次に目指すのは奈良30番・元興寺。2018年、同じ奈良県の丹生川上神社下社とともに神仏霊場巡拝の道に加わった。神仏霊場については府県ごとに札所番号があるので、それぞれ奈良29番、奈良30番としての加入である。

春日野町から南に向かう道を歩くと、荒池という溜池に出る。そのそも奈良というところは大きな河川があるわけでもなく、水に乏しいところだが、明治時代に干ばつが起こった際、丈夫な溜池を造ってほしいとの声が高まり築かれたものである。後に護岸の補強や周辺の環境整備が行われ、公園にもなっている。その荒池の向こうに興福寺の五重塔が見える。池と五重塔といえば猿沢池だが、距離としてはむしろ荒池のほうが近いようで、より大きく見える。

この後、奈良ホテル、大乗院庭園の前を過ぎる。奈良ホテルなど、まあこの先も泊まる機会はないだろう。

そして、今は「ならまち」として奈良の人気スポットとなっている地域の一角にある元興寺に到着。元々、蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)が、平城遷都にともない移転した寺である。元興という名前は、日本で最初に仏法が興隆したという意味だとか。

奈良時代には猿沢池の南、現在の「ならまち」一帯が元興寺の寺域で、東大寺や興福寺にも匹敵する大伽藍を有していたが、平安時代以降は衰退した。その後、阿弥陀浄土を描いた智光曼荼羅を祀ったお堂が「極楽坊」として、現在につながる元興寺の本尊、本堂となった。その後も落雷や一揆の焼き討ちなどで寺は縮小したが、一方で智光曼荼羅、弘法大師、聖徳太子といった民間信仰の寺として栄え、いつしか庶民的な雰囲気の佇まいとなった。

本堂に上がる。さすがに東大寺や春日大社と比べて多くの人でごった返すわけでもなく、椅子に腰かけてのお勤めである。

この本堂と隣接する禅堂の一部には奈良時代当時の瓦がそのまま使われていることでも知られている。さまざまな苦難の歴史、もしこれらの瓦が言葉を話すことができれば、どのような物語りをすることだろうか。

収蔵庫の法輪館に向かう。元興寺には西国四十九薬師めぐりでも訪ねたことがあり、その本尊である薬師如来もこちらに祀られている。一方、弘法大師像の収蔵ケースには写真パネルが置かれていた。先ほど奈良国立博物館の「空海」展に出ていた。

受付で預けていた朱印帳には「智光曼荼羅」の文字。そして「佛法元興 浄土発祥」のスタンプも見える。

せっかくなので「ならまち」一帯を歩くのがよさそうだが、以前にも何度か訪ねているし、この後、今回の神仏霊場めぐりの目的地である興福寺が控えている。そのまま北に向かい、猿沢池に出る・・・。

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