12/25 私の音楽仲間 (544) ~ 私の室内楽仲間たち (517)
Beethoven の ドッグ-ラン
これまでの 『私の室内楽仲間たち』
『Beethoven の "Harp"』
音程の濡れ衣?
付き合いのいい音程、悪い音程
記号を "無視" する勇気
それを言っちゃあ…
拘りにも差が
Beethoven の ドッグ-ラン
長距離走に比べれば
解釈を左右する表現手段
理解が先? 表現が先?
揺れる調、揺れる3度
それは形式が決めるさ
「この楽章、ちなみに “ff” は、最後に一度出てくるだけです。」
これは私が前回記したもの。 曲は、Beethoven の 弦楽
四重奏曲 変ホ長調 Op.74、その第Ⅰ楽章のことです。
「ff が書かれている箇所が、曲のクライマクスを表わす」
…と、単純に言うことは出来ません。
作曲家は、音量の大きさだけで勝負しているわけでは
ない。 逆に、弱い音で訴える場合もあるでしょう。
しかし曲によっては、f の数が解釈の目安になることが
あります。
Beethoven の作品で、ff が多すぎて困る一例が、第5
交響曲 (1808年作) の終楽章です。
単純に数えて12回もある。 うち2回では、“sempre ff”
(ff のままだよ!) と、念を押しています。
ただ同じ管弦楽曲でも、『レオノーレ』序曲 第3番
(1806年作) になると、様子が少し違います。
ff や pp だけではなく、“fff” が2回、“ppp” が1回
出てくる。 いずれも、大変重要な箇所なのです。
(1) まず序奏部の、荒々しい変イ長調の音階が駆け
巡る箇所が、fff。
(2) 勝利の再現部が間近いことを告げる、輝かしい
フルート。 それが現われる直前に、今度は ppp。
(3) そして、“Sol Si Re Fa” の属七に “La♭” が
ぶつかる、最後の強烈な不協和音が fff です。
これに似た fff は、第8交響曲 (1814年初演) の
第Ⅰ楽章、コーダでも聞かれます。
同じ第8交響曲の第Ⅰ楽章では、再現部の開始部にも fff
が書かれている。
俗に、「Beethoven は、もう耳が完全におかしい。 テーマを
鳴らすのはチェロとコントラバスだけだが、これでは聞こえる
わけがない。」…と言われる箇所です。
ここでは、その “非難の声” には触れません。 ただ、「同じ楽章
には “ff” が十数回現われる」…ことだけ、付け加えておきます。
そうなると、「ff と fff の間にある差は、音量的なものだけ。」…
とは言いにくいようです。
さて、今回ご一緒している曲は、ff 止まりで、fff が無い。
室内楽曲ですから、別に不思議ではありません。
ただし、前作の『ラズモーフスキィ』シリーズ (1806年作)
に比べると、ff の頻度は激減しています。
この『ハープ』 (1809年作) の第Ⅰ楽章、ff が出てくるのは
二回だけです。 一つは展開部ですが、もう一つはコーダに
なってから。 それも、あと20小節ほどで楽章が終るという
頃に現われます。
[譜例]では、最後の段に見られますね。 [演奏例の音源]
は、譜例の28小節からスタートします。 ちょうどコーダに入る
辺りです。
ここは、まさに “集大成” に当る部分です。
“ハープ” の愛称を生んだピツィカートが、何度も現われ、
その合間で Violin と Viola が歌い交わす。 それらすべて
が終わり、最後に変ホ長調が確定する瞬間だから。
そして、ff の直前には “f” や “più f” があります。
ここでは、やはり “音量の差” が求められるのでしょう。
さあ、そうなると私はギブアップ。 背後では忙しい “走句”
が聞えますね。 これ、曰くつきの箇所です。
Violin を弾く友人に、ただ 『Beethoven のハープ、好き?』
と声をかけてみてください。 「あ、あれね…。」と、一瞬表情
が曇るかもしれませんよ。
これ、25小節あるので、音符の数にして400個。 測ったら、時間
にして46秒。 薄く色が見えるのは、パターンごとに色分けしたから
です。
そんな努力の末、たとえ一人のときに弾けても、仲間と一緒だと
出来ない。 「実力が出なかった」のではなく、「それが実力」です。
おまけに調弦まで狂い、気付いても直せない。 そして、一番下
の段に ff が見えても、“音量の三段階の差” は、不可能に近い。
私がやると “躁狗”、“騒狗” にしかならず、がっかり…。
そこで家族が買って慰めてくれたのが、
クリスマス-プレゼントのドーナツです。
ただ一言、「お食べ。」…ですけど…。
[音源サイト ①] [音源サイト ②]