MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

最後の審判

2013-11-13 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

11/13 私の音楽仲間 (532) ~ 私の室内楽仲間たち (505)



               最後の審判



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                    息をのむ
                  憐れみたまえ

                 室内楽で Viola




 譜例は、Mozart の レクィエム から Tuba mirum、その
冒頭です。



 前回も触れたリヒテンタールによる編曲版。 それを基にした
弦楽五重奏版から、Viola パートです。

 ただし、本来の Viola に与えられた音符は一つもありません。







 (1) トロンボーン。 ただし、原曲より1オクターヴ高く書か
   れています。

 (2) トロンボーン。 音域は同じです。

 この間でチェロが、前と同じ形を繰り返しますね。 これは
独唱バスのパートで、「奇しきラッパは鳴り響く」…と歌って
います。 “最後の審判” を告げるラッパのこと。



 (3) その “独唱バス” の続き。 音域は、原曲
   のオクターヴ上です。

 (4) Bassi。 チェロとコントラバスのことです。




 今回の演奏例の音源]は、曲の冒頭から。 ただし譜例の
最下段の途中からは、曲の最後の部分へ跳躍してしまいます。

 各パートとも、ほぼ2倍の人数で “演奏” した際のものです。



 この間には、様々な風景が見られます。

 同じテナー-トロンボーンが、Violin に化けたり。

 独唱テナーを、チェロが歌ったり。 それは譜例
の最後、(4) から後の部分に当ります。




 以上は、もちろんスコアと対照した結果です。 弟子の
Süßmayr (ズュ―スマイア) が補作したスコアのことですが。

 そして、後から録音を聞きながら、こんなことを私は書い
ている。 スコアを見るのも、これが初めてではありません。
このパート譜に接する、はるか前から、何度も。



 またオケ時代には、一応この曲は何度も経験している。

 でも、それは私の場合です。 10人近くいる、今回の仲間
たち。 事情はそれぞれ異なります。




 仲間のほとんどは、曲の存在は知りながらも、接するのは
今回が初めてと思われる。 もちろん、送られた譜面を見て、
準備してきてはいますが。

 しかし、10曲以上から成る作品の全貌を把握するのは、
パート譜だけでは不可能でしょう。 音源を何度も聴く余裕
があれば、また別の話でしょうが。



 その中で、この曲を今回提案した幹事さん。 全員に宛てて、
こんなふうに書いておられました。

 「別のかたがたと全曲試奏しました。 全員、感涙の連続。
今回の演奏が楽しみです。 … この曲を演奏しないで死ぬ
のは、はっきり申しまして、一生の大損と断言できます。(笑)



 さらに、こんなかたがたも。

 「たまたまですが、年末に本番があり、6月より1回/月の
ペースで総合練習に参加しております。 … 本番を弾くの
は10年ぶりの2回目で、この曲を弾ける機会にこの上ない
喜びを感じているものの、弾くとなると、全てが大変難しい
曲で (ことに8番の “Domine Jesu” は技術的にも至難)
四苦八苦しておりますが、今回の機会には、何とか合わ
せられるように努めたいと思います。」




 さて、今回の曲。 題名は『奇しきラッパ』。 それを奏で
るのはトロンボーン。 “天国の楽器”、“天上の音色” と
言われることもある、崇高な楽器です。

 でもここでは、それが Viola に割り当てられている…。
「どうしよう…。」 このパート譜を最初に見たときの、私
の率直な印象です。



 それに出だしは、音域が1オクターヴ高く書かれている。
明るく響いてしまうのは止むを得ない。 「困ったね。 それ
に近いイメージで弾くしかないな…。」

 “奇しきラッパ” どころか、私にとっては “恐ろしいラッパ”
です。 最後の審判には、打ってつけ。




 この譜例では、三段目が終るまで延々と続きますが、途中
からは Violin が受け継いでいます。

 これ、昔の仲間が、いつも練習していました。 オケ時代の、
トロンボーン吹きが、ステージ裏で。 まったく無関係の演奏
会の、直前の話ですが。

 それだけ難度も高く、音楽的にも意味が深いからでしょう。



 もし私が、そんな様子を見聞きしていなければ…。 音域
が本来より高かろうが、まったく無関心でいられます。

 これを、我が国では【知らぬが仏】というようです。




 前回の “イントロ” (Introitus)が不安げに聞えたとしても、
無理はありませんね…。 “手探り” で弾いている仲間が
大半だから。

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 その意味でも、編曲者リヒテンタールの功績は偉大です。
そんな様々な私たちに、Mozart の世界の一端を体験させ
てくれるのですから。




 それに、これは “最後の審判” ではない。 誰しも “初めて”
ということがあるのは、なにも “合奏の場” に限りません。

 演奏の場、その一つ一つが、もし “最後の審判” だったら…。

 私などは、何度も地獄へ送られている。 こんなことを書き
続けているのが、赦されるはずはありません。



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