MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

形式感を伴う Mi の音

2012-06-26 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

06/26 私の音楽仲間 (398) ~ 私の室内楽仲間たち (371)



            形式感を伴う Mi の音




         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




                 関連記事

                形式感を伴う Mi の音
               単純な主題、虹色の輝き
               青は空の色、じゃ緑は?
              "コーワ、コーワ" じゃないよ




 ハ長調の音階で "主音" と言えば、もちろんの音。
Do、Mi、Sol の Do ですね。

 ハ長調の曲、楽章なら、そのメロディー ラインや主声部
は、ほとんどが、この3つの音のどれかから始まります。



 音階では1、3、5番目の音に当り、"Do Mi Sol" は
"主要三和音" と呼ばれます。




 しかし中には、風変りな "ハ長調" もあります。

 最初は長い Mi の音から始まるのに、続く音は Fa。 ヘ長調
の主音ですね。 音楽はそこで停まってしまいます。

 れっきとしたハ長調の曲なのに、最初の1小節目で、この有様。
テンポはゆっくりな上に、"メロディー" というよりは、和声の進行
一つ一つに、重きが置かれています。



 ヘ長調のハーモニーで、一旦停止した音楽。 その後、他
の調のハーモニーを転々とし続け、「どうやらこれはハ長調
の曲らしいな…」と聴き手が確信するのは、やっと8小節目
になってからです。

 Beethoven の最初の交響曲 ハ長調、その第Ⅰ楽章の
序奏部のお話でした。




 今回ご一緒する曲も、やはり Mi の音から始まります。

 と言っても、音楽は長調。 ハイドンの弦楽四重奏曲
作品50-6、その第Ⅰ楽章です。



 「え? ニ長調の曲なのに、Mi の音から始まるって?」

 そうなんです。 もしハ長調の曲なら、Re に当る音。 音階の
2番目の音ですから、もちろん "主和音" には含まれず、"異質"
と言ってもいいほどの音です。



 スコアで見ると、このように曲は始まります。







 しかし先ほどの BEETHOVEN と違って、これは序奏部では
ありません。 Allegro の主部が、いきなり始まります。

 また主調のニ長調は、"mf" と書かれた4小節目で、すぐに
確立されてしまいます。 "持って回った" 末に主調が登場
するような、先ほどの曲とも違います。




 「ではなぜ、こんな音からハイドンはテーマを始めたんだろう?」

 これは、私が最初に抱いた疑問です。 Mi から始まるニ長調
の曲…? ほかにあまり思い付かなかったからです。



 その疑問に対する解答は、いまだに見つかっていません。

 しかし何度か一人でさらっているうちに、"ひょっとして" と
思い当る "動機" が、幾つか無かったわけではありません。



 それらが当っているかどうかは別にして、演奏例の
音源
をまずお聞きください。

 展開部の中ほどから始まり、この譜例とまったく同じ、
冒頭の部分が、しばらくしてから再現されます。









 今回この曲に挑戦したのは、Violin 私、Su.さん
Vioa T.さん、チェロ M.Su.さんですが、お聴きいた
だいて、多分こう感じられたのではないでしょうか。

 「気が付いてみたら、いつの間にか最初の冒頭
部分に戻っていた。」



 私もそう感じました。 その直前では、このモティーフを
奏でる小節が、2回ほど繰り返されています。

 まず、1オクターヴ高い Mi で始まると、次は Sol の音で
始まる。 そして3度目に Mi で始まると、それは冒頭部分
の Mi に当る音なのです。


 

 もしハイドンが、「あ! もう再現部に戻っていたのか。」
…と、しばらく経ってから聴衆に思わせたかったなら。

 その手段として "打ってつけ" なのが、この "Mi から
始まるテーマ" なのです。



 実は展開部 (繰り返しの後) も、同じモティーフで始まります。
最初の音はもちろん Mi です。

 結局、どの部分もまったく同じ始まり方をする。 これは、
ほかでもたまに見かける手法です。




 提示部、展開部、再現部の3つから成るのが、ソナタ形式。

 「再現部をどう開始するか?」 それは形式感を重んじる
作曲家にとって、一つの大きな課題です。



 "明確なアクセントを感じさせつつ"。 あるいは、
"緊張感を盛り上げた末に"。



 かと思うと、遠隔調で一旦終始した後、"主調に向かって
急接近" する!

 Beethoven の第1、第2交響曲の第Ⅰ楽章が、これに
当り、前者では Mi の音で、一度終始します。



 これらは演出で言えば、ドラマチックな手法ですね。




 しかしいくら再現部でも、いつも劇的な "再会の歓喜"
を伴う場合ばかりとは限りません。

 再現部は、いわば、再び帰って来た元の世界。 その
喜びが、「"この道はいつか来た道" だなぁ。」…という
ことだってあります。



 深い喜びとは、後になって、しみじみ味わうものですから。

 これ、"感慨" と言うべきでしょう。




 「ああ…。 やっぱり自分の家が一番だなぁ……。」
どんなに楽しい思いをしてきた後でもね。

 狭いボロ家も、住めば都。 形式感の伴わない人生
を送る、私の実感です。



 きっと私は "Miー ハー" ?




    ハイドンの弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.50-6

            音源ページ




     Beehoven の 交響曲 第1番 ハ長調

     [音源ページ   [音源ページ




     Bethoven の 交響曲 第2番 ニ長調

     [音源ページ   [音源ページ