庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

甥の結婚式直前の出来事

2009-12-15 | 行事などいろいろなこと
正月に母親の米寿祝いに始まり、飛騨で今年最大のイベント、甥の結婚式が大成功に無事終わりました。

結婚式に行く前から、我家では大騒ぎがありました。
最初のうちは、母親も結婚式に出席しようと思っていた様子でしたが、約2週間前に右手が動かなくなり、これが大騒ぎの始まりでした。

三日ほど蒲団から起きられなくなり、毎食事前に起こすのに「痛いやないか!」とか「ちゃんと起こさんとこけるやないか!」とか言って、身体は動かへんのに口だけはしっかりしていました。これは、一番最悪でやっかいなことでした。近頃、TVCMの「揚げずに、カラアゲ!」と宣伝していますが、「ボケずに、口だけ!」と言い換えることができます。
食欲は年寄りに似合わず旺盛で、このためか、3日ほどで回復傾向にありました。なんせ、熟柿は三度三度食べるし、「トマトの皮は硬い」と文句を言うので熱湯をかけて皮をむいたトマトを二個ほどペロリと食べるし、なんとか瓜の酢の物は大好きで三食にキッチリ食べるわ・・・
・・・・なんやかんや、でした。
車いすで病院へ行っても、「これだけ食べていれば点滴も入院も要りません。」との医者の診断でした。ただ、風呂へは入れないので、据置き用とスプレー用の匂い消しを買って来て、部屋の臭さに対応しました。

一週間前の土曜日には、彼女の息子が飛騨からわざわざ車でお迎えに来た頃には、痛めた右手で箸を使えるようになっていましたが、「こんな体で車に乗って行ったら、死ぬ!」と大げさに言って頑固に断りました。そのため翌日の朝には、姉がやって来て「子供孝行をして行ってえなぁ」とわざわざ頼んでも、結局だめでした。それで、昔からある諺の『子の心、親知らず』とは、まさにこのことだなぁ、と僕は思いました。
また、姉に怒られたので「死んだ方がましや!」ブツブツとしばらく言っていました。その時にも、死ぬ気になったら飛騨までぐらい行けるのになぁと、また、僕は思いました。
それから、「薬もこれから飲まへん!」といきまいていました。しかしながら、翌日には心臓の薬などをいつもどうりちゃんと飲んでたので、母親は生に対する希望をまだまだ捨てていないことを、改めて確認しました。

一方、僕の方は、動かれへんと言うので、市役所担当課へ行って介護保険の申請をして見に来てもらったりして、手続きをしました。また、母親が動かれへんだら、家人が結婚式を欠席して残らなあかんか?などの対策を考えたりもしました。
介護支援センターへも相談に行ったところ、お泊まりで3日間あずかりできる施設をあちこち電話で聞いてくれました。また、配達できる介護弁当の紹介や、朝晩に見廻りにきてもらえる施設の紹介などもしてくれました。幸いにも、この前のシルバー講習で、こういう施設があることを教えてもらっていたのが、これらのことが大変役立ちました。

結婚式の三日ほど前にも、新郎の父親(弟)からの電話もありましたが、結論としては、家人の姉さんが二人で泊まりに来てくれ、母親の面倒をみてもらうことで、解決できました。その間、言いたい放題の彼女(母親)が何を言うか分からんので、心配は尽きませんでしたが・・・

次回へ続く
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