私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

8月の終わりに

2010-08-30 11:30:03 | Weblog
August 31, 2010

暑い暑と言っている間に、8月も今日で終わりだ。長い夏休みもあけて、点字講座も明日から始まる。新宿の雑踏へ暑さの中出かけなくて済んだのは助かったが、そろそろ教室が恋しくなってきた。読みたいと思っていた本は、結局1冊も読めなかった。ぼんやり過ごしていなくても、1日があっという間に過ぎていく。姉妹や姪に頼まれた手仕事に励んだり、パソコンを含めて点字の練習をしたりといったところだろうか。

9月に入ると、やはり読書の秋だ。8月は読書会がお休みで、次回の本は、小林多喜二『蟹工船・党生活者』(新潮文庫)と決まっている。そのあとは私がレポーターなので、本を決めなければならない。しばらく日本文学が続いたので、がらっと趣を変えてみるのもいいかなと思っている。候補としては、鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)、同『新しい風土記へ』(朝日新書)、高山文彦『エレクトラ 中上健治の生活』(文春文庫)、森茉莉『贅沢貧乏』(講談社文芸文庫)、ジェイバリーニ『終着駅-トルストイ最後の旅』(新潮文庫)がある。どれも読んでみたい。これまでに読書会で読んだ本の一覧表を見ると、ずいぶん分厚い本を読んできている。しかし40年近くを経過した今、私たちも皆それぞれに歳を重ねた。分厚い本は持ち運びに不便だし、何よりもそういった本に立ち向かう力がなくなってきている、というのは私の見解だけで、皆さんと話し合ったことはないが、最近は新書や文庫本が多くなっている。これは社会の傾向でもあるらしい。名作も今どんどん文庫本化されているし、読みたい本は新書に多い。というわけで、この中のどれかに決めよう。

このところの政治の世界には全く失望しているのであまり触れたくないが、朝日新聞の「オピニオン」欄を読んで一言。前内閣官房副長官・松井孝治さんが政治主導とやらについてこんなことを語っている。 
 
 官僚にない政治家の最大の強みは、有権者の怒りや肉声に日々向き合えること。有識者からも意見を聞くべきです。政治家は、役所以外の情報源を「セカンドオピニオン」としてネットワーク化し、政策決定のプロとして自ら汗をかかなければなりません。そして、最後に大いなるアマチュアとして国民目線に立ち返る。役所以外の知恵袋を持たない政治主導では意味がない。政治主導とは、つまりは国民主導なのです。(朝日新聞、2010年8月31日)

すばらしいとは思うが、今のばか騒ぎをしている政治家たちにそれだけの力量があるのか、また例えば小沢一郎が首相になってその唱える政治主導を行った場合、この理想論に近いものになるのか、私は正反対の方向をむいていくように思うが、どうだろうか。

政界の非常識

2010-08-27 13:30:35 | Weblog
August 27, 2010

陳腐なタイトルは使いたくないが、ここ数日の民主党代表選に関連した出来事について、やはりこの言葉が浮かんでしまった。3ヵ月前に「辞めた後の首相が政治に口出しすることは良くないので、政治家を辞める」と語った鳩山由紀夫前総理が、ちょろちょろと動き回り、国民からすればあり得ないような小沢一郎を首相に担ぎ出す主翼を担った。朝日新聞の朝刊を見ると、この現状に批判的な意見が多いが、私はここでも「カネ」が何かを左右しているのではないかと疑っている。失礼な言い方かもしれないが、貧乏菅直人よりは金持ち鳩山・小沢についていたほうがおこぼれにあずかれる、何ともみみっちい話だが、政界の裏話とかなんとかいったって、これにつきるのではないか。しかしこんなことを許しておいてはいけない。小沢一郎が首相にでもなったらそれこそ政界再編成になり、せっかく政権交代のために投じた一票は無駄になる。何しろ菅直人さんにとことん脱小沢路線で戦ってもらいたい。民主党の分裂なんて恐れるな。最近の朝日新聞の「社説」は分りやすく、また常識的なので、読んでいてホッとする。上から目線ではないこの路線で続けてくださいね。

夕方図書館から借りていた本、佐々木譲『北帰行』(角川書店)を返しに出かける。どうも私は日本の事件物語は好きになれない。この本は、どこかの書評で、ロシア女性が絡んでいるといったのを読んで、図書館に予約したのだと思うが、手元に来るまでに数ヵ月かかっているので、なぜこの本を読みかったのかはっきりは思い出せない。暑い中図書館に行かなければならないという義務感がいやなので、今日は本を返すだけにしようと思いながら、やはり書棚を覗きたくなる。ロバート・パーカー『灰色の嵐』(早川書房)があったので借りた。この作家の「スペンサーシリーズ」は、以前は必ず読んでいたが、だんだんマンネリ化してきたこともあって、遠のいていた。この本は2009年6月発行なので、比較的新しい。相変わらずの内容だとは思うが、寝むれない夜に読むには最適な本だ。

意識の格差

2010-08-25 16:07:10 | Weblog
August 25, 2010

相変わらずの残暑、猛暑が続いている。家にいる時間が長いので、エア・コン、扇風機、冷たい飲み水を上手に使って暮らす方法も大分板についてきた。新聞やテレビで、熱中症で亡くなった方の、エア・コンの設備がなかったり、使っていない、いかにも貧しげな生活を紹介しているのには、腹が立つ。特に電気もガスも断ってつましく暮らしてきた方が熱中症で亡くなったのは、本当にお気の毒に思えた。行方が分らなくなっている高齢者の問題とか、この頃浮き彫りにされてくる驚くような事態は、何か問題があった時に現れて来て報道され、そういったきっかけでもなければいつまでも隠されたままになっているのが日本の現状だ。しかしこのような状況を事件として報道するだけではなく、さらに一歩進んで問題を提起するのもジャーナリズムの仕事ではないだろうか。

今日の朝日新聞の朝刊の政治面で、民主党の代表選に関連して、小沢一郎前幹事長を担当してきた記者たちの座談会が載っていた。私が不思議に思うのは、小沢一郎という人物がいったい今までに国民のために何をしてきたのかということについて言及していないことだ。どなたかが、「小沢氏は政権交代の立役者であることは間違いない」と発言されているが、私はこれも間違っていると思う。自民党と相も変わらない手法で一票を作りだしことも今の民主党に対する私たちの失望につながっている。結局この人物は自分の考えている意見を通したいためにこの一票を利用しようとしたのではないか。テレビ等で垣間見られるあの傲慢な態度と、自分は何も言わないで部下を周りに集めて強権体制を敷く、民主党の中で脱小沢を唱える人たちは、そういった日常に接してうんざりしているのではないか。ここに登場している記者たちの言葉を読むと、彼らがいかに一般の人たちの意識とかけ離れたところにいるのかを実感する。新聞記者も偉い人に群がるといった姿勢を改めない限り、新聞そのものが衰退すると思うが、どうだろうか。

Hearty な情景

2010-08-21 21:03:28 | Weblog
August 21, 2010

8月20日(金)
厳しい残暑が続く中で、少ししのぎやすい日だという天気予報に合わせて母のところを訪れた。外は猛暑が続いた今年の夏も、母の部屋はいつも同じ温度に調整された空調がきいていて、昨今の高齢者の行方不明などのニュースと考え合わせ、何かほとする。一番下の妹も訪れてくれて、母に昼食を食べさせたが、この日はあまり食欲がなくすぐ眠ってしまった。近くのレストランで妹とランチを食べながらくつろいだ時を過ごした後、母のところに戻り、少し元気になった母とおやつを食べたり、昔話をしたりして、4時過ぎに帰路についた。何しろ家まで3時間余りの道中だ。

新宿から小田急線のローカルに乗った。ちょうど通勤者たちが帰宅する時間だったので、発車間際に飛び乗ったこともあって、満席だった。乗車前に買った「日経新聞」の夕刊を広げて読み始めようとした時、隣に立っていた中年の女性が、私が座れるように少し席を詰められませんかと前の方に頼んでくださった。結局若い方が席を立ってくださったので私は坐ることができ、立ってくださった女性は次の駅で降りたのでほっとしたが、何かおもはゆい気持だった。ローカルなので次々と席が空いていき、声をかけてくださった方も私の隣に座られた。一度も言葉を交わしたわけではないが、何か気持ちが通じるものがあったのか、私が下車する駅よりも2つ前の駅で降りるときに、私の顔を覗きこんで「お気をつけて」と言われ、私も軽くお礼を言った。自分には無関係だと思っていた場面を経験して、改めて自分の年齢を自覚させられた。

8月21日(土)
久しぶりにすかっとする朝日新聞の社説だった。民主党の代表選での党内の「小沢首相」待望論への批判だ。少し引用すると、
 
 小沢氏周辺では「小沢首相」待望論が勢いを増しているという。しかし、政治とカネの問題や強権的な政治手法で政権交代への幻滅を招き、今の苦境を招いたのは小沢氏ではないか。 
 政治資金では、いまだに国会で何の説明もしていない。検察審査会の判断次第では強制起訴の可能性も残る。
 けじめをつけないままの立候補は、民主党政権からの民心のさらなる離反を招くだけだろう。(朝日新聞、8月21日)

まさにこの通りだと思う。誰が考えても当然のことを伝える記事にやっと出会えた感じがしている。多分今日の「社説」にうなずく人は、朝日新聞の読者ではなくても多いと思うが、どうだろうか。

午後、私の英語教室の最後の生徒さんで、今春美術大学に進んだお嬢さんが訪ねてくれた。昨日経験した電車内での話をすると、私もそういったhearty な情景に出会いたいと言ったのはおかしかった。年代によって物事の受け止め方はさまざまだが、いい言葉だとも思った。大学に入ってから作った作品のチップをパソコンにつないで映し出してくれた。美術大学は作品を制作していかなくてはならない。入学のときからプロフェショナルを要求されるのだ。生徒がみなそういった気持でいるわけではないだろうが、彼女はきっとプロを目指して進んでいくだろう。未来に期待したい。

わたし的夏休み

2010-08-18 11:24:38 | Weblog
August 19, 2010

お盆休みに合わせたわけではないが、ブログの更新が遅れてしまった。この残暑、さすがにこたえている。それでも終戦記念日の前後のテレビや新聞の特集番組・記事は、見落とさないようにしている。何しろ戦後65年も経って、私たち一般の市民が初めて聞かされることが多いのには驚く。やっと語り始められた真実に注意深く耳を傾けたい。

アマゾンに出品している本に、つぎつぎと注文が入っている。本を出荷する方法もやっと分ってきた。知っている人にはなーんだということも、手探りしているものにはなかなかたどりつけない。結局「ゆうメール」で送るのが一番安く、また簡単なようだ。以前の開封郵便のことで、郵政営化で呼び名が変わってしまっていた。目まぐるしく変わる世の中の物事についていくのは大変だが、一方でいろいろと試してみることは頭の体操になる。

勝手に夏休みと決め込んでしまったが、少しリフレッシュできたので、明日からまた日常をもう少しこまめに記していきたい。

画像は、「むかご」。あまった山芋をベランダの鉢に入れておいたらつるが伸びて、葉もとに「むかご」がいくつか付いた。一合分のご飯に炊き込むくらいは収穫できそうだ。猛暑のベランダで大分花を枯らしてしまったが、こんなものができたのはうれしい。逆光になってしまって少しぼやけているが、ひとつが1センチに満たないものだ。

科学とジェンダー

2010-08-13 20:39:56 | Weblog
August 13, 2010

図書館に予約してあった、佐々木譲『北帰行』(角川書店)が整ったというメールが届いた。返却日が近い川上慶子『マリー・キュリーの挑戦』(トランスビュー)を読み終えて、返しがてら新しい本を借りようと思い、朝からコーヒー一杯飲んだだけで読み始めた。3分の1程度読んであったので、3時間ほどで読み終えた。とても面白かった。20世紀前半の物理・科学の世界で活躍した女性たちの様々な姿を描ききっている。

偉大な母を持つ2人の娘、長女イレーヌは、夫妻でノーベル化学賞を受賞し、ピアニスト兼ジャーナリストであった次女エーヴは母の死後数年で『マリー・キュリーの伝記』を書き、母の名を世に広めた。私もこの本を子供の時に読んだ記憶がある。この2人の女性についても詳しく書かれている。お茶の水女子大学で物理学を学び、フランスに渡り、イレーヌの夫ジュリーのもとで研究を続けた湯浅年子さんと、パリのラジウム研究所でキュリー夫人のもと研究に励み31歳で放射能汚染で亡くなった山田延夫氏、この2人の日本人について、その生い立ちから家族に至るまで触れている。科学史というジャンルだからだけでなく、著者の川上慶子さんが、人間の日々の営みやその出自等が個人の運命を決めることもあるという考えを持っていられるからだろう。川上さんはこの本の最後で次のようにも書いている。「私たちは皆それぞれに、ある時代、ある場所に、ある人種や階級(これは複数のこともありますが)に属するものとして生まれてきます。そのことを否定することはできません。-中略ーしかし人間は、生まれてきた環境の呪縛に完全に屈してしまう必要もありません。過去があり、現在があり、そして未来があるのです。過去を踏まえた上で、未来への希望を考えることができるはずです。この本が皆さんの心の中に、そうした希望を少しでも養うことができたら、作者としては本望です。」(川上慶子『マリー・キュリーの挑戦』トランスビュー)

しかしこの本を読み進めていった時一番驚いたのは、本書と同時進行(私は2,3冊を同時に読むことがよくある)で読んでいた『THE EXILE』の著者パール・バックの小説が登場したことだ。たまたま手元にあった本を読んでいたにすぎないのに起こったこの偶然が面白かった。この小説は、当時「原爆の母」としてアメリカで有名だったリーゼ・マイトナーを土台にして、放射能を研究する女性物理学者をヒロインとして描いているという。2007年に「径書房」から翻訳が出されているとのこと、機会があったら読んでみたい。リーゼ・マイトナーは、アインシュタインから「ドイツのキュリー夫人」とまで称されながら、ユダヤ人ということで、一緒に研究していたオットー・ハーンがノーベル化学賞を得たときに、その栄誉から外された。受賞年が1944年といううことを考えると、リーゼ・マイとナーにとっては一番不運な年に当たっていた。著者の川上さんは、リーゼの不運を「戦争と民族差別とに深いかかわりがあるのです」と書いている。

本書は、著者の川上さんも当然含まれる、科学に携わった才能あふれる女性たちのドキュメンタリーであるが、川上さんは、数々のノーベル賞を受賞し、世界中の注目を集めたラジウムの研究が、結果として広島・長崎への原爆投下となったことにも触れている。また科学史・科学論研究者の村上陽一郎氏の「ノーベル賞はその任務を終えた」(村上陽一郎『科学者とは何か』新潮社)という言葉を引用し、「ノーベルが死んで百年以上経った今、彼の遺言の意味について、改めて考えてみる価値はあると思います。」と書いている。「科学とジェンダー」というタイトルは、この本で著者が描いている真髄であるが、私にはうまくまとめることができなかった。川上慶子『マリー・キュリーの挑戦』をぜひ多くの人々に読んでもらいたいと思う。


パソコン活用しています

2010-08-11 18:37:37 | Weblog
August 11, 2010

「アマゾンマーケットプレイス」で出品していた本に注文があったというメールが届いた。身辺を整理している過程で、もう目を通す事はないけれども処分するのはちょっと抵抗がある本を数冊出品してみた。書籍が売れたのは初めてで、しかも20年ぐらい前に購入したものなので驚いた。早速手続きをして郵便で送った。購入した方は四国に住む人だった。古い本がこうして活用されることはうれしい。書棚に飾ってあるだけの本、たとえば筑摩世界文学大系のプルースト3冊組なども今度出品してみよう。

近くの郵便局で発送した後、電車で町田にある手芸店「オカダヤ」に毛糸を買いに行った。いつも使っているネット上のお店から電話があり、注文してあった毛糸の一部が手違いで入らず、11日からのお盆休み前に送れないということだった。ネットで注文していながら電話でやり取りするというのも変な感じだが、用意できたものだけ送ってもらうことにした。本を出品した「アマゾン」さんのような大手とは違って、何もかも機械を通すというわけではないのが、私にはあっている。町田では当面必要な毛糸を一玉だけ買い、久しぶりに小田急百貨店でウインドショッピングをした。食器売り場を見て歩き、住まいの近くのショッピングセンターには入っていないブランド店を覗いてみたりした。もちろん買うつもりはないが、そういうことは別として、こういった行動そのものを楽しめなくなっている自分に気付いた。早く家に帰って、やるべきことに取りかかりたいという思いが強い。差し迫ったものがあるわけではない日常ではあっても、まだ暇という言葉では置き換えられない生活がある。多分これが「良」ということなのか。

前のブログで触れたパール・バックの『THE EXILE』を読み終わった。本の題名の「EXILE」というのは亡命者という意味だが、主人公の女性、パール・バックの母は亡命者ではない。結婚と同時に宣教師の夫についてアメリカから中国に渡り、アメリカとは文化も生活水準も違う中国で、さまざまな苦難を乗り越えながら、中国を愛し、この国の人々のために一生をささげた女性だ。そうでありながら娘のパールの目には、母の姿は亡命者のように見えたのだろう、また中国で生まれ、アメリカで教育を受けるがやはり中国に赴いた著者の姿が重なるのかもしれない。パール・バックが自分の母親について書いているので、多少身びいきな点はあるだろうが、この母にしてこの子ありということを感じさせてくれる内容だった。また同じことが、パール・バックの母とそのの母(パ-ルの祖母)との間にも言える。私も母も平凡な女性であるが、公務員だった父の赴任に合わせて転勤して過ごした私の家族の生活を思い起こさせてくれてた本でもあった。翻訳されている、村岡花子・訳『母の肖像』(新潮社)をいつか読んでみたい。

残暑の中で

2010-08-07 08:18:27 | Weblog
August 7, 2010 

軽い「熱中症」をわずらってから、すっかり回復したと思いつつも、なぜか足が重い。あまり身体の不調を感じないで生きてきたので、一寸したことが気になるのかもしれない。点字の講座は、4日で夏休みに入り、次は9月だ。炎天下に出かけて帰らなければならず、今年の猛暑、いささか疲れた。宿題をたくさん出されたが、これはうれしい。考えてみると、昨年9月に通信教育で点字の勉強を始めてから、日常生活の中でこの勉強に費やす時間が多い。社会参加というこの講座の主旨を大切に考えていきたい。

猛暑とはいえ今日は立秋、絶え間なく耳に届くせみの声に、確実に季節が移っているのだと実感する。図書館から借りてきた、『マリー・キュリーの挑戦』と同時進行で、パール・バック『THE EXILE』(日本放送出版協会)を読んでいる。高校生の受験参考書にその一部を取り上げられていた、 この著者の  『 The Child Who Never Grew 』を読みたいとずいぶん前から思っていたが、アマゾンで調べると3000円以上するのであきらめていた。たまたま知人との話の中でパール・バックが話題になり、原書を持ってられるということを聞いてお願いして貸していただいたのが本書だ。これはパール・バックの母親の生涯について書いた本だ。 Portrait of An American Mother(アメリカ人の母の肖像)という副題がついている。以前は原書を読むときに単語帳を作ったものだが、最近のように片端から物を忘れるようではあまり意味がないので、それはやめて、少々わからない単語があっても話が理解できればそれでよしとして読んできた。高校卒業程度の英語力で読めるほどのやさしい文章だ。またこの本はNHKの英語講座のテキストだったようで、中村妙子さんの解説も付いている。村岡花子訳で少年少女向けに『母の肖像』というタイトルで出版されているという。『マリー・キュリーの挑戦』では、マリーの出身国ポーランドについての記述、この国の歴史上の位置、その中で学問を目指す家族の戦いが描かれていた。パール・バックのこの本でも、オランダからアメリカへ移民としてやってきた信仰あつい家族が、新天地で苦難の中で切り開いていく生活がとてもよく語られていて、興味深い。南北戦争で、パ-ル・バックの母の兄が南軍に強制的に徴用されたとき、祖母が体を張って息子の徴用に反対し、また自分の家族は奴隷制度には反対なので南軍のために戦うことはできないと堂々と語るあたりの文章は感動的だった。

8月は原爆投下の日や終戦の日が重なり、皆が戦争や核について考える日々だ。昨日の NHKテレビの「吉永小百合被爆65年の広島・長崎」を見た。吉永小百合さんの詩を朗読する声が、パール・バックの母について語る声と重なるような錯覚を覚えた。いつの時代にも、国は違っても、自分たちの置かれた運命の中で、人皆に共通するもの(これを「愛」と呼ぶのかもしれないが)を支えにして生きている、私も謙虚な心で残暑の日々を過ごしたい。

つまらないものはつまらない、素晴らしいものは素晴らしい

2010-08-02 14:23:52 | Weblog
August 2, 2010

無署名で言いたい放題を書きつらねることは少し控えようと、感想を持ちながらそのままにしていたが、友人も同じような意見を持ったと言っていたので、意を強くして触れることにした。7月31日(土)の朝日新聞の「天声人語」についてである。この筆者になってからの「天声人語」については、失礼だとは思いつつ、愛読する新聞を開いてまず目にする記事なので、何度かブログで意見を述べてきた。さてこの日の文章は、「おとといの民主党両院議員総会の有り様にこの党を見限った人もおられよう。」という言葉で始まっている。ところが読み進んでも、どういう有り様なのか、またなぜ見限るという言葉を使ったのか全く触れていない。この筆者は、自分の勝手な意見が正論であると錯覚しているようだ。思い上りではないか。さらに、あちこちから引用する文章は、ご自分では筋が通っているつもりでも、読み手は、全く脈絡がないという印象を受ける。大新聞の一面のコーナーは、私的なブログとは違う。さまざまな読者がいることを頭に入れながら、一本筋の通った筆者の意見を読者に伝えることが使命ではないか。読者は購読料を払っているのだということを忘れないでほしい。私は今日この「天声人語」を見限りたい。こんな不遜な言葉を使うような反応までさせられてしまう一文だった。

やっと地デジのチューナをとりつけて、BSの様々な番組を見れるようになった割には、野球中継以外は利用していなかった。昨日NHKハイビジョン、4:00~6:00の「忌野清志郎の世界」は素晴らしかった。いつもは「ながら族」なのに、この日はテレビの前にくぎ付けになった。一冊の良質な本を読み終わった感じだ。私にはあまりなじみのなかったロックンロールに魅入られただけでなく、この方のいろいろな年代の自画像にしびれてしまった。トータルな芸術性を備えた天才なのだろう。私はこの頃、自分が今まであまり触れたてこなかった世界にすっかり魅せられてしまうことがある。短い人の一生の間に、自分のそばを通り過ぎていく宝物がいかに多いか、「忌野清志郎の世界」を覗くことができたことは幸せだった。

画像は、「ティーコゼー」。いつも困った時に知恵を授けてくれる一番下の妹へのプレゼントに編んだ。そろそろホームページを閉じようと思っている。手仕事の作品は、気に入ったものをブログの方に載せることにした。