思ったこと

思ったことを書きます

本来

2015-05-28 | 日記
そういえば、数年前に兄と久々に政治関係の会話をした時に橋下市長(当時は府知事だったかな?)の話になって、兄曰く「橋本さんの著書を何冊か読んだけど、頷ける事が多い」らしく「彼は(著書の中で)『とりあえずやってみて、ダメならまたやり直せばいい』と書いていて、その通りだと思う」という感じの事を言っていたのですが、このあたりの認識が結構マズいんじゃないかと感じました。

政治関係の事を考えるに当たり、「ダメならやり直す」、これが「できる規模の話」と「できない規模の話」というのを、まず最初に切り分ける所からはじめるべきのように思います。
そして実際、行政のような「規模の大きな話」は現実「やり直しがきかない」し、そう捉えて考えるべきなんだと思います。
政治を日常生活の物事と混同してはいけない点の大きな一つかと。
なぜやり直しができないか、それは政治のシステムとか、そんな事で解決できる事ではなく、もっと単純に「規模」の話なんだと思います。(だから例えば「やり直しが効かないような政治なら、まずそのシステムを『やり直しが効くように』改革する必要があるじゃないか、だからいずれにせよ改革で前に進まないと何も始まらないんだ」というような意見は違うと思います。システムとかそういうものが原因でやり直せないんじゃないでしょう。)「小規模な歯車(大きさが小さく、噛み合ってる他の歯車の数も少ない)」と「大規模な歯車(大きく、無数の歯車と噛み合って駆動している)」を止めて元に戻すにはどっちが大変かは一目瞭然。これを駆動機構のしくみをイジるだけで解決できるはずがない。(仮にそれができたら、その時多くの歯車が見捨てられ、それで平気でいられるような末世の世論や価値観に転換している事でしょうね。)

例えば1企業の給与システム一つとっても、一旦変われば「失敗したんで(もしくは景気が良くなったんで)やっぱ元に戻します」なんてのはほぼほぼ無い事でしょう。それとまあ同じような事で、行政政策で「やってみてダメならやり直す」事ができる事はほとんど無いでしょう。(局所的・試験的な政策ならそりゃあるでしょうけど、それにしても簡単にやめれるものではないでしょう。たとえ試験的でもやめるのは簡単ではないわけです。)

という事で「ダメならやり直す」という言葉には騙されないほうがいい、というかそれが通るならなんだって言える。それが許されるなら、前向きで反省力のある人間なら誰が市長やったってできるということになる。
そして、それができない原因を「市や国の硬直的なシステムのせい」だと捉える勘違いもやめたほうがいい。そこまで日常生活と同じレベルの規模の話じゃない、という事も肝にすえて望むべきかと。

まず「やり直しは効かない」と考えるだけでも、随分慎重に、長い目で考えることができると思います。事前の議論だって今より絶対深まるし、テレビの数分間のまとめだけ見てなんとなくのイメージだけで判断することの危うさを、今よりは感じることができるはず。それだけでも大きな一歩で、もうそろそろそんな「ダメならやり直せばいい」というような世迷言を主張している有名人を表舞台に立たせるおふざけも、このへんにしておくべきなんでしょうね。本来。