思ったこと

思ったことを書きます

手短に

2014-12-29 | 日記
本心1

「つべこべいわずに10年ぐらい大幅な財政出動してくれよ」


本心2

「日本国内では、日本や日本的なるものを大事にする教育、生活、経営、外交してくれよ。『その”日本的なる”とはなにか』?うるせえ!だいたい雰囲気でわかるだろ(今はそんな厳密な話する以前の段階じゃい)。」


なんかツイッターみたいになったなw
それくらい政治力で引っ張って行ってくれよ。。

細かい修正はその後の話。

今更ながらも

2014-12-21 | 日記
個人的な願望として、これからの日本の発展形態は、日本各地の特色を各々に活かした、日本全国がそれぞれの地域の持つ個性によって幅広く活性化するような、地域活性型の発展を望みます。

これは一見「道州制」っていうやつと混同されそうですが、根本が違うと思います。
地域活性型は、各地域の特色を重視する、ひいては各地域やその住民の歴史や伝統を重視してそれを価値としていくのに対し、道州制は、各地方を東京と同じような価値観に塗り替え、東京などの大都市と同じようなやりかたで収益を上げていこう、というものかと思います。

もちろんその道州制の中でも各地域の特色を強みにする部分もあるでしょう、でもそれはB/C計算による「効率の良い」一部だけのはずです。後は全て大都市の発展形式である「どこかへ行かずともここにいれば各地域のほぼ全てエッセンスが取りそろっている」ような発展の仕方だろうと思います。

地域活性型は「そこに行かなければ味わえないもの」が多く、道州制は「遠くの地域にあるものを何でもここで味わえる」というものだと思います。道州制に、各地域の歴史を重んじる気風なんて全くありません。(もちろん『今』利用できるものは「利益を生む強み」として利用しますが)。基本的にはただ地方を都会化したいだけでしょう。

なので個人的には、道州制による全国活性化なんて全く望みません。それをやるくらいなら、今の大都市圏を中心とした発展を続ける方がまだマシです。今よりもっと多くの地方の都会化によって、各地域の歴史や伝統が歪められたりぶっつぶれてしまうくらいなら、その方がマシだと思います。

両者の根本的な違いは「『協力』か『競争』か」、だと思います。道州制は、日本国内のある程度ブロック化された各州の間の「競争」です。だから、各州の「効率の良い中心都市」というのが、あらゆる万能なサービスを各州「同じように」手に入れようとします。なので、どの州も、その中で一極集中し、その各州のリーダー都市が、どの州も同じようなサービスで国内の富の奪い合いをするでしょう。日本という一国の単位で見たら、何の個性もない、同じような流行に乗っただけの同じような州が互いに争って、国内が州によってバラバラになるだけです。極端に言うと、国が別れる、といっても良い(少なくとも方向性はそうです)。
一方、地域活性型は「協力」を根本に置きます(というか置くべきです。そのように進めないと意味がない)。だからひとつの地域で全てのサービスをまかなうのでは無く、その地域ならではのサービスの強みを高めることで、日本という一国単位で見たときに、互いの地域の強みの総和が、日本という国の強みになる、という、そういう「協力」的な発展の仕方です。各地域みんなで(各地域の強みを活かして)日本を盛り上げようじゃないか、という根底意志によって成り立ちます。

だから、この2つで、インフラの整え方も異なるでしょう。道州制の場合は、とにかく自分の州に客を呼び寄せたいから、『今』客が集まりそうな都市を軸に発展を進めるでしょうし、できるなら「自分の州にだけ」偏って客が集まるようなインフラ設備を要求することでしょう(その上、他の州へ出て行きにくいようにしたいでしょう。なんせ自分の州が「国の代わり」という発想なんだから)。「自分が自分が」の世界です。
一方地域活性型は、各地域が協力し、そのサイクルで国全体を豊かにすることで自分たちも豊かになるという考えなので(ていうかそういう考えにすべきです)、インフラについても、遠くにいる人が各地域にできるだけ楽に移動できるようなものを求め、全国に万遍なくインフラが整い、今現在大企業とか大型店舗だけが牛耳っているようなアクセス条件の良さというものがもっと平等に均等化されていく方向に向かう(というかそうすべき)。

ということで、個人的には(西部さんも最近よく仰っているし、三橋さんや藤井さんなどが経済の話をする際の根本理念として常に抱えておられるような)地域活性型の日本国の発展というものを強く望みます。それというのも、それが完全に理想通り成功しなくとも、上記に書いていったようなその背景にある思想(「協力」とか「行き過ぎる「自分だけ」主義の歯止め」とか「(その個人主義の表出の一つである)アクセス条件の偏りの緩和」とか「地域などの具体的レベルでの歴史や伝統の消失に歯止めを」とか)いうものが、もっと経済発展にも活かされていくべきで、それが国という共同体の中に生きるごく普通の国民一人一人にとってとてつもなく大事な事だ、と思うからです。今更ですが。。

それしかできない

2014-12-11 | 日記
選挙は自民党(+公明)が2/3を占めて大勝しましたね。
是非は、なんともいえません。。
この結果により、この先の色んな政策をどんな種類のものも全て「信を得た」という言葉を付けてゴリ押しされるとしたら、ちょっと困ったもんです。

それはともかく、現状の政治やその力関係やその裏側の難しくて不透明な事情は抜きにして、個人的な考えは先日のチャンネル桜の討論で西部邁さんが二時間目に長く語っておられた事に尽きますし、これ以上いうことはないくらい大賛成です()。

不透明な事情を「現実」と捉えて、それに甘んじた方法論に偏って本当にすべき正論に基づいた考えや思想や方向性を削って削って妥協しないと生きていけないのなら、半ば死んでるようなものですね(まあ一個人の人生だってそういう側面はあるんですけど。。)。そういう妥協案を悔しながら言わざるを得ないことはあるかもしれないですが、そうしないと「現実」生きれない、という事であっても、決して誇らしいとは思えないし正しいとも思えません。言うしかなくても、現実的にとか政治的にとか実行的にとかで正論に基づいたものをゴリゴリとヘツって削り過ぎて忘れた人でない限り、そんな妥協的方法論をドヤ顔で堂々と言えるものではない(だからそういう妥協的な自民支持を堂々という人は、その後の愛国ドンデン返し的なサクセスストーリーを安倍さんに乗せ、信じ、託しているような感じですね。根拠はどこにあるのか分かりませんが。。)。世知辛いものです。

しかしそういう微妙な現実の結果が出た以上、そのレールの上で生きるしかありません。この先どうなるのか分かりませんが、相も変わらずなすべき方向性は捨てずに、それにそぐわない、反対すべき政策は反対し、あとは安倍総理の中にも幾分かは西部さんの仰った国家に対する理念や方向性というのを持っていて欲しい、と願うのみです。。
それしかできません。

要は何を望むか、の話

2014-12-10 | 日記
海外に市場を見出している企業は、基本的に「国内を見捨てる」方向に行きますよね。
これは別に悪い奴だから、ということじゃなく、「そういう企業なら、基本的にそういうベクトルになりますよね」という原理的な話、という意味で。(だから仮に自分がそういう考えを持った経営者だとしても、そういうベクトルで策を考えると思います。)

まあよく言われるのが、経団連が消費増税に賛成する理由として、一つは「消費増税と引き換えに法人減税を勝ち取ろう」っていうことと、もう一つは輸出商品に対しては、その消費税は還付され(輸出戻し税)、それが(輸出大企業が輸出品の消費税支払いを下請け企業に押し付けることで)輸出企業の利益になることがある、とかいう話。

マクロ的に見て上に書いたことがどこまで真なのかは内部に潜ってないので分かりませんが、まあ最初に言った輸出主体の大企業の行動ベクトルからすれば、全然ありえる話ではあると思います。

ただ、そういう企業や団体(代表的なものは経団連ですかね)がそういう(真実だとしたら下世話な)意見を主張したりそれを促す行動に出る(スポンサーの力でマスコミに働きかけたり、政治献金で政治家に頼んだり)ことは、もう仕方のない事です。「輸出主導」を目指すなら、どうしてもそうなってしまいます。内需を切り捨すことで外需を伸ばし、結果日本人が働けなくなっても、海外という(彼らの中では)旨みたっぷりの新天地へ行けばいい話ですから。彼らが国内で守るものは、「彼らが利益を売るために、最低限必要不可欠なものと、あと国内でも効率よく稼げそうな数点」ぐらいでしょう。そこだけ押さえて、あとは極端な言い方をすれば「見捨てる」方向でものを考えるでしょう。
何度もいいますが、それはなにか悪の化身だ、みたいな書き方になってしまって申し訳ないですが、そういうことではなく、そういう未来を見出している企業は、そうなるのが自然だという話です。

で、日本の経済にとってどういう政策がいいのかという話ですが、
基本的にそういった(当面の)輸出主導による収益を目指す大企業にとっては、『国内の下請け中小企業を潤わしたり、自分達の稼いだお金によるトリクルダウン(「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウン)する」とする経済理論または経済思想)などによって、自分たちが日本の経済を引っ張って国内の景気も良くしていけるんだ』という主張をするかと思いますが、
最初に言った「輸出主導を目指す企業の考えのベクトルは基本的に「国内を見捨てる」方向に向かう」というとても自然と思える理屈からすれば、おそらく「ありえない」話でしょう。
よほどお金に余裕が生まれ、将来の安定も見越すことができれば話は変わりますが、輸出の勝負は外国企業との勝負。十分な質をどれだけ安価で提供できるかにかかりますね。それにこれだけ商品が短サイクル化すれば、ほぼ完全にシェアを独占するまでは、いつどこで他社にシェアを奪われるかも分からない、落ち着く暇もない状況が続くでしょう。
そんな熱戦の中で、トリクルダウンなど自社が損するだけなので消極的だろうし、効率の悪い中小企業とは契約を切るでしょうし、効率(給料燃費)の悪い社員は国籍問わずカットでしょう。なぜならそうすれば一番効率的に結果を出せるし、逆にそうしないと結果を出せない世界に突き進んでいくわけですから。自他共にしんどいだろうけど、それは仕方のない事だと思います。それがそういう効率勝負の発想の行き着く先だと思うので。。

という感じで、輸出主導やそれを進めやすくする(企業の成果効率を上げていく)為の労働規制の緩和など、そういった主張を後押しする政策を押し進めようとする国内政府というのは、どうなんでしょうか?
「日本を変える」「日本の悪しき岩盤規制を突き崩す」「古き悪しき日本構造を今こそ改革する」
といった聞き心地の良いスローガンで、一方では先ほど述べた「輸出主導の大企業が日本を引っ張り、国内にも富の好循環をもたらす」といった理屈で、ましてそれを(何の根拠なのか)デフレ脱却に絡ませて、言葉の勢いで押し進めようとする政府というのは、どうなんでしょう?

僕は支持できません。なぜなら国内が(一極集中でなく)幅広く富む未来を望むし、輸出主導の企業が見出したであろうそういう未来を望んでいないし、「そういう企業やそれを信じたり圧力に屈する政治家」の言う国内向けの言葉を信用していないので。。