日々徒然

日々の中での色々なこと 書いていきます。
(*^^*)

愛を知らない について 

2012-06-06 05:54:34 | 日記
一つ前の記事で 愛について 愛を知らない という認識について 書いた。

すこし前に書いた 霊的な書に書かれている一般的な教義みたいなことを読んで
個人性の違いなど なにもわからず、
人の魂やその個別性など自らはわからない わかっていない ということも知らず
一般的な教義を元に 人を(私に)差別したり、レッテルはったりする人は、

前回のブログの跳び箱の話からすると、

跳び箱を飛んでいる説明が書かれた本や
跳び箱を飛んでいるビデオをみて、
何回も何回も みて、説明の言葉さえ覚えてしまうほどみて、
あこがれて、同一化したような気がして
いつのまにか 自分が跳び箱を飛べてしまったような気になっている人なんだと
思った。


君も 私も 飛べてないのだよ。ふふ

君と私の ほんの少しの微々たる(あんまりたいしたことではない程度の)違いは、
私は飛べていない、
たまに飛べたような気がするときがあるけれど、
・・・これは勘違いかもしれない。
確かに 確かに 補助ありで飛べたときには、
ほんとうに 自分の見ている世界が確実に変わるのだから。という
違いの感覚と経験があって
本当に確実にみた。とか わかった。というレベルの本物の位置で
見ていないときの自分の判断や感覚は
あんまり信じていないのだよ。。。
(だから自信があまりないような話し方しかしないと思われるのかもしれないが 実は ちがうのだ 逆なのだよっ 私の感覚は真実とは違うかもしれない。私は知っていない。という感覚がある証拠なのだよ。ぎっちょんちょん)

と言いたくなった。


ま言う機会もないだろうけど。笑


愛について 続き

2012-06-06 05:33:18 | 日記
一昨日 幾人かいた場で 愛について 話題が出た。

一人が 愛について いろいろいわれてて、わかったようなふりをしていたけれど、
わからない。。というようなことを言っていて、

次に 私は 私は愛ははっきりわからない。と言った。

以前 愛に基づきなさい。という言葉に 感動して、すごい そうする。と思ったけれど、ふと 我に返ると 愛ってなにかわからないと気づいた。
わからなさすぎると気づいた。

たぶん なにかを誤魔化すことではないと思う。とか
自分も相手も大切にするためには 正直でいること や
場合によっては noということでもあると思う。とか

核心にあるはずの「愛」がわかったという感覚・体感がしっかりとないから 
消去法で これではないはず、
これでもないはず、という理解の仕方しかできなくて、
これは 結局 本質・核心をつかんでいるわけではないので、
周辺をうろうろしているだけの感覚しか 私にはない。
そして 疲れたりする。

跳び箱をはじめて飛べたときの感覚 や
ものすごく重要な数学の公式が その意味とあわせて理解でき、
そして それを元に いろいろなことに応用していく というような場合と比べると、

私は その核心が 確かにつかめている・理解できている とはいえない。

たまーに 何者かによって、
ほら、これが 跳び箱を飛んだ感覚だよ。
とか ふいに 補助してもらって教えてもらえて
その感覚を垣間見れるところがあるのは
私の経験上ラッキーなことで、
その差を 知っているのは ありがたいことである。
公式を しっている としらない。の差を。
歴然とした差を。知っている。

しかし そのとべた感覚を垣間見れたのは 突然の 補助があったからであって、
補助がないと、いつもの飛べてない私なのだ。
きれいに楽に飛べたときの私は むしろ イレギュラーに近いのだ。

何度も何度も あの飛べたときの感覚を思い出しつつ、
それに近くなれるように イメージしつつ 祈りつつ
何回も何回も、 時には あまりに疲れて 休んだりしながら
また 無理(ずる)はしないように自らに注意しながら、

何回も何回も つっかかっている というのが私の現状なのだ。

というようなことを私は語った。
(ちょっと言っていない・違うところもあるけれど)

核心をつかみたい。と 思う。

いつかは つかめるのかもしれない。
ここまで 自分のつかめていない位置が わかっているままで、
核心をつかめない という事態が続くのは
ちょっと 疲れる&あきる こともある。

そして それは ちょっと どきどきすることでもある。

たぶん それは 今の私の自我・通常の低我が完全に力を失うことでもあるような気もするので。想定だけど。

でもきっと するりんっ!と それをつかむような気もしています。

そう希望して書いておくことにしますっ。






ドストエフスキー 懐かしい

2012-06-06 01:24:48 | 日記
ものすごく久しぶりに ドストエスフキー など 読んでみました。

小学の高学年くらいから、中学の2年まで ものすごく本を読んでました。
文学や漫画を読んでました。
(その後当分は家庭環境の激変でかなり本に没頭するのは無理だった)

小学高学年のときとか中学の時とか 図書室の図書カードには
たっっくさん本を借りている子の記録でした。
図書室や本屋さんで なにやら新しい興味をそそられる事態に
いつもささやかな幸せを感じていた子供でした。

最近は よほどのことがない限り、
しっかり難しい本は読めなくなってきていて、
(忙しい&そこまでかなりの長時間と数日間 集中できない)

今回読んでみたのも、まんがで読破 シリーズです。(笑)

ン十年ぶりに ドストエフスキー数冊を読んでみて、
むかーしの 子供心に 強く強く感じていた
重い重い人生への思いを しばし思い出していました。

そして、この人の書く これらの感覚の数々、、、、
この人(ドストエフスキー)は 私の感覚と同じ感覚のある人だ。
私にしか ないのでは。。とか 私にしかわからないのでは とひそかに思っていた
ある独特な感覚の表現が しっかり言語化されて 
いくつかあるのを発見して 鳥肌たったりして、
あれらの感覚が言葉になっていることに新鮮な喜びも感じ、かつ
作者に ものすごく親近感を持ったものでした。

あと ニーチェとか あと トルストイとか すこし読んだりしてました。

ロシア系の人ってすごいな。。と この頃思って、
万一 高校とかいったらロシア文学とかの専攻とかあったり
学校に ロシア文学の研究会とかあったら入りたい と思ったりしたのも
この頃でした。

こんな専攻や同好会は まったく みつからなかったですが。笑


当時の私の感覚も思い起こしつつも、でも、当時と今は やはり 決定的に 理解の観点が違っている自分にも気づきます。

胸が締め付けられるような、
重すぎて言葉もでないような
途切れ途切れの存在感のない息しか出せないような
涙も 強くかみ締めた奥歯の後ろから かすかに 
音を殺して 静かにしか出てこないような

そんな人生や人の重さをひしひしと感じつつも

同じことがおきている背景にあっても
私は違う霊的な理解と体感を持っている。ということの
違いが 感じられたのでした。

それが そういう実体験を伴った私の大切な霊的体験が 
最近 すこし 大きな ある人からの攻撃的事件があって、
揺らいだりしてました。
(私の魂・内在の神とのコミュニケーションや
これまでの長年の経緯や 真実の実経験をすべて全否定&差別措置という事件)

揺らいでも けっこう 揺らいだままにしておこう。
そのうち時間がたてば解決するだろう。
おさまるところに 物事は おさまるだろう。と
揺らぐことを感じても ほっておくようになっていて、
無理やり 収めることをしないようになっているのは、、、

もしかしたら ただ単なる魂や神ぽい存在の体験の真偽とかとは まったく別の
別種の信念とか 別種のなにか私の中に育った独自の人間性に関する感覚ができたのかもしれません。

これは、、、まだ うまく言葉にできない感じがします。

いつか うまく言葉にできるといいなと思います。







もちの木

2012-06-03 19:10:37 | 日記
数年前、ベランダの すずめの餌台 の横においてあった プランターに
ほんの数センチの芽が出ていた。

ほんの数センチながら 茎は樹木系のような感じがしていて、
植えた記憶も無く、すずめとか野鳥の糞が運んできた種から芽がでたのかな?ぐらいな感じで ほっていた。
そのプランターはしばらくなにも植えていなくて、
水もほぼあげてなかったから
外が雨のときに水がよくかかるぐらいで、
雑草もなかなか生え出てこなくて、その小さい数センチの芽だけ が目立っていた。

が それ以降 忘れていた。

しばらくして、それは 数十センチの若い樹木になって、
今の季節には たくさんの小さい白っぽい花を咲かせるようになって

なんの木かな?と気になり始め。
調べてみたら どうも くろがねもち とか ねずみもち とか
いわれるような モチノキの一種らしい感じがした。
(まだ確実にはわかってないですが)

それでも よくわからないまま、ほってたら、、、、、。

縦方向ではなく、ベランダの外側方面 に180度 すべてに全開という感じで
ものすごく大きくなってきて、
日が 家に あたりにくくなってきたので、(家が暗くなってきた)
ベランダの上部の位置から、ベランダの床に置いて、
すこし成長しづらいと思われる窮屈な場所に移動した。

野生種はたくまい、、、と思った。

そんなものすごく窮屈な場所をものともせず、
さらに ずんずん大きくなっていって
(最初のときから一度もプランターもプランターの土もなにも変えないまま)
とうとう 先日 あらためて見てみたら
半径は 1メートル40か 50ちかくになっていた。
でかい。。。汗

ま、ベランダの外側に向かって 大きくなってくれているので、
まだ数年は そのまま おいておけるけれど、
考えようによっては、なんか たいへんなものが
家にあるような気もしている最近です。

万一、もっとこの木が大きくなったら 引越しするとなったら 家から出せるのか?というぐらい。

やっぱり野生種はたくまいです。


なんでこのブログ書いているのだろう 2

2012-06-01 22:16:42 | 日記
なぜ このブログを書くのだろう。。という話題を ずいぶん前にも書いたことがある。

もう内容忘れた。
おおまかには 自分のため と書いた記憶ははっきりある。
基本は変わっていない。

けど 前回のテーマをうけて、また 同じことについて考えてみたので、
書いてみることにした。

前回のテーマのような 気づき。
(なんでかなー この違和感。と なんとなく思ってる時とかに、
ふと 目に留まった 本の裏表紙の言葉で 
前回テーマとしてブログに書けるだけの気づきをえる)を
私は 気づいても、言語にしておかないと、
そのときだけ のことになって
すっっっっかり 後で忘れてしまう。

忘れ方は 激しい。

場合によると、おおーーーっ すごい気づきじゃっ!!と
すこしサブサブ(鳥肌)がでるよな気づいたことも

メールチェックしたり、
ひどい場合は 寝返り打ったりしただけで

・・・えーっと さっき ずいぶん すごいことに気づいていたようなんだけど、
・・・あれ? なんだったけ。

と 数分 じっくりじっくり(必死に必死に) 思い出し続けて
やっと思い出せる。

しかし それを 書いたりメモしておかないと、

また 同じもとの木阿弥で、

また トイレ行ったり、お風呂はいったり、
ひどい場合は 隣の部屋にいっただけで忘れてしまう。

1~2日経過すると なにを忘れたかさえ 忘れている すっきりさっぱりした忘れよう。

ブログに書くほどでない とか
ブログかくほど気力ないときとかは
ちょっとしたメモに ちゃちゃっと書いたりすることもあるけれど
字が汚いし、
そのメモも日にちがたつと、
どこにいったのかわからない始末。。。(汗)

例えば 先日の 五大元素のことは わけわかんないけど という気持ちのまま
書かないと、、という衝動だけで このブログに書いておいて 
後日 非常に助かった。
この明晰夢の意味が このブログに書いておいたことをもとに
瞑想したりしていたら、なんとなく 次の理解につながったのです。
これは五大元素の意味を 最近ようやく情報がはいりはじめてきたので
理解がすこし進んだ という感じのことで
やっぱり 衝動でしかなかったけれど、書いておいてよかった。と思ったものでした。
(ただ今の時点の五大元素の私の理解は浅く、この明晰夢の理解はまだ擱く別解釈もありえると思うので、未確定の位置づけで 心の中では隅に放置したままですが)

こんな感じで自分の役にたつブログです。


もひとつの理由は、こんなことを話せる人・友人が。。。。。
私には いないのです。

なんで そんなふに思うのか そんな反応されるのかわからないけれど、

たまたま 話題がそういうことについて聞かれたり、
話や理解を共有する事態だと思うから
経験の一部を そのときはなされているテーマにのっとって
すこしはなしているだけなんですけれど。

「自分を特別だと思ってるのでは」とか
自慢とかと勘違いされる人もいたり、

または逆に 下にみる。みたいなレッテルはりとか
差別とか それから一切私の存在無視するという人もいるし。
(そういう偏見一般全部が一番怖いから こういう種類のことについてまったくしゃべれないのですが。私自身が昔は頑なに こういうこと言う人をものすごく嫌って侮蔑していたので 仕方ないかもしれません。。。)

また 受容的で ふーん と聞くタイプの人もすこしはまわりにいますが、
さっぱり わかんない。と思っているのがありあり の人に
話し続けるのは けっこう苦痛ですし。

自分自身で いても いいんだ。という気持ちになれるよな場
(私が勝手にそんな期待をもってしまっただけですけれどね)
において そういうテーマで理解の共有のためとかで
話や体験の話をすこしするときに
気を許してしまって
ちょろっとだけ 話してしまうのですね

すると、、相手の反応で たいてい多くは
私のほうが すごく痛い目をみてしまうのです。

なので、ここは 好きに書いていいんだ。
みたくない人は決してみないはずだから。
と思うので やっと 好きに書けている場所であり ただ一箇所だけなのです。
(あっ でも それでも 公開だから かなり遠慮して書いているところは そーとーありますね。あえて書かないようにしていることもあるし)

それだけで 私には十分役立つブログです。