圧倒的な感情的な味方 というのが 最近 とても苦手だと思うようになりました。
確かに、ちょっと しんどいな、、、
というような 事件があったとして。
内容は 前回のブログに書いたような
私の意見・考えがあるといっているのだけれど、
それは、まったく尊重されず、他の人の根拠の無い意見を無理やり押し付けられる。
とか
どよーん しんどいな、と思うようなことが起きたとき、
そして ちょうど どよーんの最中に私がいるとき、
たまたま そういうことを報告しなくちゃかな、、というような相手がいたり
メールをしている知り合いからきた
メールで タイムリーに そういうことに関する話題が触れられていたりして、
どよーんとすることがあった。。。と報告したりすると、
私の知り合いからの その返事のメールが
非常に とても強く 感情的な感じも多少あって
私への味方ですよっ!! そんなどよーんとするようなこといった人は変だ
という感じの 内容だと
げげっ!やばい。こんなことを言ってもらうためにメール書いたんじゃなかったのに
と私は あせりまくって、
そんなこと言った人の「事実」は語るけれど、「悪口」には ならないように
フォローしまくる返事を また送る。ということが
最近 続いて起きて、
私は 昔の私とは けっこー変わってきているような気がする。と 思いました。
昔の私だと
一方的に 理不尽にひどい怒鳴られ方をしたりした場合、
それでもって 私が ひどく傷ついている場合などには、
詳しい事情や事実を知ることもなく、
感情的に 近い立場だから、というだけのことで、
私の味方になってくれる人 というものを得ると
妙に安心していた自分が 昔はいたなぁ、、、と
ふと 昔をすこしだけ懐かしく思ったりもしました。
今の私は
そんな 事情や事実を知らずに いくら 相手が信じられないようなことを
したり言ったからといっても、
即 自分に距離が近いほうの味方!
その話の相手が悪い!と
断言するのは あんまり好きじゃない。
それは 私がもし悪口をいわれる側になったとしても
おかしくない話で(あり得ることで)、
私が 愚痴を話してしまったりする深い動機は
そこから どういう理解や どういう中庸の見方や立場の獲得や
事態の整理の仕方ができるだろうか、
という観点へむけての、愚痴の発露の性質なのです。
一方的な味方 て 家族とかは無条件にそうかもしれない。
でも、その見かたを もっと広い 理解へと広げつつあるときなのかもしれないです。
例えば、自分の師とか 魂とかは、
どう考えても 私の味方です。
しかし 一方的ではないぽいっのです。
もっと 大きな私像に 私を近づけるため という想定があって、の味方とか
かわりあい方のようで、
しかし たまに起きる 霊的な視点から見た私の大切な時には
しっかりと 寄り添い たまには 私をのっとってもいます。
こういうサポートをもらっていると、
突然 感情的に味方になってくれる(現実の生身の)人は やさしいのだと思うけど、
でも そういう形ではなくて、
もっと見方を広げられるような友人関係とかが
私は好きぽいようです・最近。