日々徒然

日々の中での色々なこと 書いていきます。
(*^^*)

自我の死 2

2016-08-14 08:09:52 | 日記
前回の続き。


同じようなものを目指そうとしていても、どうしてもできないタイプの人たちがいる。と
ちょくちょく 何年も前から感じていた。
確かに感じてはいた。


ある種の専門性 とか ある種の役職とか ある種の世話をする人立場の人とかの
アイデンティティが 確立してしまっている人たちである。


自分はみじめだ、というような ノーマルよりひどく低い位置のアイデンティティの人も
これにこだわってしまったり 自分のアイデンティティとして 確固としてしまうと
はすずのが難しなってしまいがちだけど。


社会的に評価されたり、力(地位やお金とか)を得られる技術や専門性などのアイデンティティがあると
なかなか一度 捨ててみる ということができなくなる。

いろいろな事態をその専門性から解釈したり判断したりしようとする。
その癖から抜け出しにくくなる。

その方法でこれまで成功してきたのだから
手放せない。



いつか これらが重たくなって 生きづらくなった時、
手放したい と思っても、
なにか完全に そのアイデンティティに嫌気が完全にささないと
手放さないかな、、、と思う。


そういう意味では、ノーマルより低い位置の自分のアイデンティティに甘んじている人は
その位置から這い上がりたい などと思ったりすると、
今のアイデンティティを一度放棄しやすくなるかもしれない。


今のアイデンティティが力があるものや社会的評価をうけるようなものであったとしても、
とても繊細に気づく人は 気づくだろうと思う。

こういう人は 自我の死を経験したあとで
場合によっては、もっていた力を放棄するかもしれないけれど、
自我の死を経験した後でも それまでにすでにもっている力を
よりよく活かすようになって生きれるのではなかろうか、、と想定する。
(あっ たまにいる激烈に狂信的というか盲信的なタイプとは違う話です)










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