日々徒然

日々の中での色々なこと 書いていきます。
(*^^*)

オープンハートについて

2012-02-24 08:18:26 | 日記
今日は 自戒モードで 他人を見ていて気づいた オープンハートについて
書いてみます。

私は よく知らない人には すこーしばかり距離を意識的にもつ人でした。
最近 あんまり持たないようにしてますが。
(置く距離は すこーしばかりで、、
なんというか礼儀正しく 一般社交的に美しく距離を置くというか、、)

その理由は
エネルギー的に人からの影響を受けやすいことや
人に関して霊的にも、すこし認識が混乱しているところもあり
(まだ ありそうですが)
人との関係性での過去のトラウマちっくなキズもあり、
自分自身が 人にどの程度まで知っていることや認識していることを
話していいのか、、、お付き合いの仕方自体にも自分自身悩んでいたこともあり、、
いくつかの要素が重なって そんな感じでした。

最近 オープンハートを以前より意識するようになってきました。

が 未だに この人 超苦手と思う人とか、
すごい いやなことされた人とか、
明らかになんらかのエネルギーの不調和を感じる人は
避けてます。以前ほどではなくとも、やはりしっかり避けてます。
(避けるのってけっこー疲れることにも最近気づきました。
それだけ 避けることにエネルギー注ぐので。)

オープンハートというものは 
場所や時間や相手によって区切ったり、仕切ったりしながら
身につくような類のものではなさそうです。

生き方とか、日常とか、人の存在状態そのものであるものっぽいです
オープンハートって。

ある けっこう会うグループの中の人が、
グループの中では、とうでもようような会話では、
ふつーレベルにそこそこフレンドリーという感じなんですけれど、
比較的 あらためてちゃんと人に対して話しをするときなどは、
なんというか、はっきりいうと下手で、
かなり偏りがちな表現になったりしているので、
(そういう表現すると事実が異なっちゃうじゃん 正確でなくなるよっという感じ)
なんでかなー?ちゃんと人と接するのは苦手なのかな?
ぐらいに思ってました。

先日 初めて この人と 帰りの地下鉄で同じ場所に偶然、
鉢合わせしました。
私が先に地下鉄を待っていて そこに みえない角から ぱっと現れたのですが、
私の顔をみた瞬間も げっという感じで顔をねじまげて、
さっと角のむこうに消えました。。。
私は目があった瞬間、あっ挨拶しなきゃと瞬間 笑顔がでたところでした。
が固まりました。

はっきり目合ったし、、、。

なんだろう今の。。。。

すこし考えつつ、嫌われるようなこともありえないほどの、
たいしたこともないお付き合いだし、
いつも、確か本日も 仲良くふつーに話していたような気がするし、
勘違いだろう。
やはりちゃんと挨拶しよう、と思って、
角を曲がってみると、携帯みながら立っていたので、
あのーこんにちはー。といいながら 2-3歩 歩み寄ると(といっても距離自体はすごく離れている)
目も合わさず、ああっ といいながらも、後ろに数歩下がって
逃げたのでした。

これは!!一体?と不思議に思いましたが、
後日 電車がこの人と ちょこちょこ一緒になるという別の女性とこの人のことを聞いて、
かつ 後日 たまたま この人と 二人きりになった短い時間のときに
この人に直接 「先日の地下鉄のことなんですが、グループの外では話しかけてほしくない ということでしたら あらかじめ教えてくださいね。
決して話しかけませんので。
わたしは、小さい頃から挨拶はちゃんとするよう けっこう厳しくしつけられていて、つい挨拶してしまいました。」
と にっこり笑いながら いったら、
なんやかんや 嘘をいっり すこしばかり支離滅裂なことをいっていて、

これらの内容から どうも、
オープンハートというような態度は 
場所を限定して行うものと思っているらしい、この人。
ということを察しました。
(本人から聞き出したことは 嘘と支離滅裂なことだったので、
多くは推測ですが、おそらくあたっていると思います。)

違うと思うけど、、オープンハーットって
生き方とか そんな大きな状態のレベルのことなので、
そんな簡単に ハートを閉じたりあけたりできないはず。
だからこの人は ちゃんと人と対峙すると説明とか話とか
へんになりがちなんだ。。下手なままなんだ。と 腑に落ちたのでした。

そして・・・・ はっと 気づくのです。
 ああ゛ 私もいっしょじゃん。げー。

 だからオープンハートを心がけている日常で、
 時々 相手に応じて(いやな相手には) 距離を置こうとするのが
とてもしんどくなってきてて、
一度 相手によって すこしの時間だけど距離を置くとかの態度をとると、
ほか ほとんどの場合でも オープンハートを元に戻すことが
難しくなるんだ。。。。

と気づいたのでした。

自戒モードのオープンハートについて でした。














 






深い静寂

2012-02-16 19:11:03 | 日記
さっき ふと 思い出したことがあって
ここに書いてみることしました。

どうも 意識の拡大 とか
ワンネスとか
神人一体とか
いろいろといわれていることには 
性質が多少ちがっていたり
感じるところが違っていていたり、
(多少次元が違うこともあるのか?)
いろいろ みたいなのだけれど

いろいろ 共通なこともあって。

私は そういう本を読んで、

その意識や意識状態について
「静寂」とか 「深い静寂」とか「静謐」とか「深い沈黙」
とか
書いてあるところをみると、

あぁ、あれか。と ふふ と 思ってしまいます。

これは たぶん経験しないとわからない差だと思います。

これは私が経験して 初めて まったく違うと体験したことが
もとになって考えていることなのですが。

短い瞑想をしてみたり、
なんらかの心理ワークとかしてみたりした後とかで
カタルシスがおちてたりしてて
気持ちがすっきりしてたり、
または
なんでか とっっても調子が良くて、
不安とか心配とか昔の腹立つこととか 
いつもの すぐに頭をもたげる何かやイメージもほぼなにも浮かばなくて、
すごく静かで、、、と
こういうことを 禅とかは するために みんな座るのかな

なんて いろいろに思っていたことが 全部 ぶっとぶぐらい

本当の拡大意識での深い静寂は
(おそらくかなり次元が高い存在が関与するタイプのもの)
まるっきり きっぱり 完璧に 美しく 静寂です。
桁外れといっていい感じです。

その経験前に
私が 禅の瞑想って こういう静けさのことかな?
な~んて思っていたことが
実は ぜんぜん まだまだ たくさんの 無意識下での
潜在意識などが ざわついてて 不調和がたくさん 
明確な意識にのぼってなくても しっかり活動している状態だったんだ、、、

本当の(拡大意識での次元の高い)静寂とは、
レベルというか性質がまるっきり違うものなんだ。と知ったのは
その高い状態を数日間でも体感したからこそなので

これは 経験しないとわからないですよね。。。。

私も まだ他に経験していなくて わからないこといろいろあるかもしれませんし。

いろんな人があれをはっきりと体験すれば、
きっと人々の いろんなことが変わっていくような気がします。




小さいころの蓮華草の思い出

2012-02-10 20:17:44 | 日記
1つ前のブログで


見えない存在からの
意図のエネルギーを
私の個我ではない別の意図 と意識して、
個我が はっきり聞き始めてから
10年以上が経ったなぁ、ということを
書いたのですが、

思い起こすと、
はっきりと 別の私の今の個我と性質が異なる
別の意識(上の次元)からの関与と意識できないで、

はっ、、と気づいたり、

はっっっと いつのまにか私がいろんなことをわかってしまっていたり
(瞬間であったり一時期のことですが)
ひらめいたり、
確信に近い普通ではみえないことがわかってしまったり
(勘違いのレベルでなくて、はっきりしすぎる確信があるレベルで、
事実検証をしています)

と 自分の個我ではない、と意識しないで
その意図することを受け取っていることは これまでわからず
やっていたなぁ、と思います。


ですが、私が とても小さいとき こんなことがあったのを
最近 思い出しました。

小学1年のころ、学校から帰ってきてランドセルを家においてから
当時は まだとても田舎の地域に住んでいたので
近くに たんぼが沢山あって、
一人遊びしに たんぼに出かけたのでした。

蓮華草が最盛の時期でした。

そのうち眠くなってしまって、
うとうと 蓮華の中に すっかり全身埋もれて
(背の高い蓮華は30センチほどあったりする)
熟睡してしまったとき、

当時 うちはとっっても厳しくて体罰も激しい時期だったので

帰りがすこしでも遅くなると(日暮前に確実に家に帰っていなくてはならなかった)、
それはそれは とてつもなく激しく怒られるので、
いつも 日の傾きかげんに細心の注意を払いつつ
びびりながら遊んでいたものでしたが、

すっっかり深く眠りきっていたとき

何者か姿のない存在に起こされました。

エネルギーの塊みたいなので
ふっ と 私を起こして
早く帰りなさい。
みたいな意図を 私ははっきりとうけとりました。
エネルギーの塊は 私の頬あたりに
はっきり触れたとわかりました。


その存在に起こされて
すっきり はっと 深い眠りから起きると 
帰宅にぎりぎりの日の暗さでした。

(あと10分もすれば親が捜しにくるだろう、、
しかも 私は蓮華草に埋もれているので簡単にはみつからないだろう、、
しかも 並外れて怒られるだろうという時間)

私は まったくなんにも知らない田舎の子でしたから、

メッセージつきで起こしてくれた存在は 
頬あたりにあった感触から
顔の横にある蓮華草だと 思って、
蓮華草に 起こしてくれてありがとう。と はっきりお礼を言って
帰ったものでした。


他に もう1つ事件があったのですが、
こちらは いつかまた書きます。


ずいぶん忘れていましたが、
私以外の人も 意外と忘れていたけれど、
こんなことあった、、、とかいうことって
あるんじゃないかな、、と思います。

日常の思いも 祈りも まったく同じこと

2012-02-10 19:53:23 | 日記
さきほど メルマガ情報を掲載して、
あっ ひさしぶりに少しブログ書こうかな と思いました。


私が ガイド?ハイヤーセルフ? 今から思い起こすと たぶん両方なんですが、、

彼らのアドバイスとか 声というか、、、介入というか、、

声というよりは
意図のエネルギーというほうが正しい感じですが
(介入のときは説明もなく即座の介入をされますが)
そんなものを 私の個我ではない別の意図 と意識して、
個我が はっきり聞き始めてから
もう早くも 10年以上が経ってしまいました。

情けないのですが、
この10年以上 ずっといわれ続けてきたことの意味のうちの1つが
体感・体験を経て まさしく真実なんだな、、と
やっと理解できたことがあります。

すごいです。

10年以上です。

私の頑固さには すごいものがあるな、、と 振り返ると思います。

いくつかあるのですけれど、
1つ顕著なものには、
私は昔から、心の中で腹が立ったり、失礼なことがあったりすると
頭の中で あったまくる。どうして ○○なんだろう、あの人。
とか思いながらも、
(○○には無責任とか傲慢とか勘違いとか、
いろいろ悪口又は差別又は批判の言葉がはいります。)

決して ほぼ 顔と口には出さないことにしていて、
そう思うことで、ストレス解消していた感があります。

・・・もしかして、ほとんど多くの人は そんなもんかもしれません。。。。
(違うかもしれません・・わかりませんが)

声(ある私に明確にむけられた意図のエネルギー)を聞くようになって、

私が そんなことを考え、
かつ 表には出さない、、、私は思っているだけなんだ。。と
自分を慰める傾向だったのですが
すると いつも間髪いれずに、

「同じこと」とか
「思い・思考も行動もまったく同じこと」

というようなことを言われ続け。

また別の場合では、

祈りってなんだろう。。と私が思ったり、
希望とか願いと祈りの違いってなんだろ、
とか思ったりすると、

(正確な意味と言葉変換は覚えていないのですが)
生活が祈りそのものである、とか
人生そのものが祈りである とか、

日常が すべてが祈りである。

というようなことを
たくさん これもまた間髪いれずに
言われ続けてきたのです。


そのときは、ふーん なるほどね。ぐらいな感じで、
私の中の考えの中の1つ という感じで置いておこう などと
処理していたように思います。

でも10年以上 ずっと かなり 間髪いれず言われ続け
説明してもらい続けてきても
私はずっと こういう姿勢でした。

すごい頑固者。。。汗

でも、最近 それが現実なんだ、、ということが体感・経験でわかってきて、
(頑固者というか 
体感・経験で会得しないと理解になりえないタイプの人間・
つまり頭だけの知識と 体感の現実はわけているタイプの人間かもしれません、私)

ガイドとかハイヤーセルフ(魂)とか 彼ら彼女らは
一人の人を導くのに 超根性あるな、、と 感心し感謝する次第です。

(彼らの次元では 時間の感覚は 普通の人の感覚とはかなり異なっていて、
長い期間とかいう人の感覚はないみたいな感触が かなりありますが)