私の夫は、現在、留学関係の仕事をしていますが、それまでは約30年間、石炭の仕事に携わっていました。
大学では、理工学部で資源工学を専攻していた夫は、卒業後すぐに北海道の炭鉱に配属され、3年間は3交替での炭鉱勤務でした
その後は東京本社に戻り、主に海外の石炭の開発や輸入の仕事をしていたのですが、それでもやはり、3年間の炭鉱での構内労働の経験は夫の忘れがたい体験で、未だに当時の話をする時には、涙なし・・・だったことはありません
そんな夫の留学業への転身振りはかなり奇異でおもしろいらしく、ときどき取材などもあり、つい最近は、東京MXテレビという放送局からごコンタクトがあったとか
長年、大地を相手に仕事をしていた夫は、地味な仕事には慣れていますが、そういう華やかな世界には慣れていず、お引き受けするにはかなりの覚悟がいったらしく、考え込んでいました
やっと覚悟を決めた夫に、ディレクターから依頼されたのが「炭鉱で勤務している頃の『いかにも構内労働者』という写真を2,3枚見せてください。」ということでした
いかにも構内労働者・・・要するに、真っ黒になって、ヘルメットにキャップランプをつけ、まさに石炭を掘る仕事をしている時の写真、ですよね。
それからは大変です 家の押入やキャビネットの天袋など、ひっくり返して昔の写真探し。
出てくるわ、出てくるわ・・・ 懐かしい写真の数々 今の息子と同じ年だった頃の夫の写真を見て・・・まるで昨日の事のように語る主人の当時の話が、あらためて「いにしえの話」であることを実感しました
しかし、肝心の「炭鉱夫姿」の夫の写真は見つからないのです・・・ そもそも、夫曰く、「当時、あまりに当たり前だった毎日のそういう姿は、わざわざ特別でも何でもないから、写真に納めることなんて考えもしなかった」ということでした。
そう言われれば、炭鉱に3年間もいれば、最初の1ヶ月くらいは不似合い?だったであろう姿も、きっとそのうちに身に付き、極々平常の日々の姿、だったでしょう
夫は結局、それの類の写真を数枚見つけ出し、その後は、夫と二人で、我が子2人の幼い頃の写真を眺めました
その時間は、それほど長い時間ではなかったのですが、夫も私も、出てくる息子と娘の写真を見るたびに・・・
「見て見て、ほら、こんなにかわいい!」とか。
「きゃー、こんなに小さかったのねえ・・・」とか。
我が子を自画自賛しながら、夫は静かに写真に見入り、私は一枚一枚見るたびに、うるうるとしていました
それにしても・・・なぜ、私はうるうるとしたのでしょうか?
二人のわが子は、決して理想的な息子、娘ではなく、むしろ、毎日、どこか彼らのことが気に入らず、腹を立てたり、一人で文句を言ったりしています
しかし、かと言って、やはり我が子はかわいく、十二分にそれぞれの問題点は理解していながらも、敢えてけなしたりすることもなく、極々自然に彼らと暮らしているわけです ならば、どうして主人も寡黙になり、私はハラハラと涙が出てきたのでしょうね・・・
幼い頃の子ども達は、みな、一生懸命に生きています
「早くしなさい!」と、いつもいつも急かす親の理不尽な言葉にも文句を言うことなく・・・
子どもが外から帰宅したら、彼らがほっとする間もなく、「ちゃんと手は洗ったの?帰ってきたら、手を洗う約束でしょ」と母親にガンガン言われ・・・
子どもが何かに目を奪われ、その様子にじっと見入っていると、「何ぼーっとしてんの」と叱られ・・・
それでも子ども達は、自分の世界の中で、一生懸命に生きています 思えば、何と健気なことでしょう
写真の中の幼い息子、幼い娘
私に抱っこされて、眠そうな顔で微笑む息子、缶ジュースを手に持って、満面の笑顔でカメラのほうに顔を向けている娘。
二人は、あの頃、親にあれこれと文句を言われ、10コ叱られて、1コ誉めてもらう、というような生活をしていたように思います そのたびに、「はい・・・はい・・・」と素直に返事をし、時には、「声が小さくて、お返事が聞こえません!」などと畳みかけられてもいましたねえ・・・
親とは、本当にひどい生き物ですねえ
まさに今、そんな「健気な子ども」を育てている真っ最中のみなさん・・・
いかに彼らが、真面目に、一生懸命に毎日を過ごしているかを、あらためて考えてみてください
「だんだん言うことを聞かなくなってきました!」などと怖い顔でおっしゃいますが、でも、本当はまだまだ素直なうち、に違いありません
写真の中で、笑顔で無邪気にでおどける我が家の兄妹の姿・・もう絶対に戻ってこない姿であり、二度と見ることのできない姿です。
あの頃の無邪気さ、屈託のなさ、天真爛漫な姿・・・それらは、もう大人になった彼らにはありません
なぜなら、彼らは自分の世界の中で、大人と何ら違いなく、親の知らない敵?!と戦い、様々な経験をし、傷つき、学んでいる・・・
だからこそ、昔のように、いつもいつも無邪気ではいられない、屈託なく笑顔でいられない、天真爛漫ではいれない・・・
いずれ子ども達は、親の手の届かないところで生きるようになります パパ、パパ、ママ、ママ!と言っている時期は、それほど長くはありません
お子様との「今」を、どうぞ大切になさってくださいね
大学では、理工学部で資源工学を専攻していた夫は、卒業後すぐに北海道の炭鉱に配属され、3年間は3交替での炭鉱勤務でした
その後は東京本社に戻り、主に海外の石炭の開発や輸入の仕事をしていたのですが、それでもやはり、3年間の炭鉱での構内労働の経験は夫の忘れがたい体験で、未だに当時の話をする時には、涙なし・・・だったことはありません
そんな夫の留学業への転身振りはかなり奇異でおもしろいらしく、ときどき取材などもあり、つい最近は、東京MXテレビという放送局からごコンタクトがあったとか
長年、大地を相手に仕事をしていた夫は、地味な仕事には慣れていますが、そういう華やかな世界には慣れていず、お引き受けするにはかなりの覚悟がいったらしく、考え込んでいました
やっと覚悟を決めた夫に、ディレクターから依頼されたのが「炭鉱で勤務している頃の『いかにも構内労働者』という写真を2,3枚見せてください。」ということでした
いかにも構内労働者・・・要するに、真っ黒になって、ヘルメットにキャップランプをつけ、まさに石炭を掘る仕事をしている時の写真、ですよね。
それからは大変です 家の押入やキャビネットの天袋など、ひっくり返して昔の写真探し。
出てくるわ、出てくるわ・・・ 懐かしい写真の数々 今の息子と同じ年だった頃の夫の写真を見て・・・まるで昨日の事のように語る主人の当時の話が、あらためて「いにしえの話」であることを実感しました
しかし、肝心の「炭鉱夫姿」の夫の写真は見つからないのです・・・ そもそも、夫曰く、「当時、あまりに当たり前だった毎日のそういう姿は、わざわざ特別でも何でもないから、写真に納めることなんて考えもしなかった」ということでした。
そう言われれば、炭鉱に3年間もいれば、最初の1ヶ月くらいは不似合い?だったであろう姿も、きっとそのうちに身に付き、極々平常の日々の姿、だったでしょう
夫は結局、それの類の写真を数枚見つけ出し、その後は、夫と二人で、我が子2人の幼い頃の写真を眺めました
その時間は、それほど長い時間ではなかったのですが、夫も私も、出てくる息子と娘の写真を見るたびに・・・
「見て見て、ほら、こんなにかわいい!」とか。
「きゃー、こんなに小さかったのねえ・・・」とか。
我が子を自画自賛しながら、夫は静かに写真に見入り、私は一枚一枚見るたびに、うるうるとしていました
それにしても・・・なぜ、私はうるうるとしたのでしょうか?
二人のわが子は、決して理想的な息子、娘ではなく、むしろ、毎日、どこか彼らのことが気に入らず、腹を立てたり、一人で文句を言ったりしています
しかし、かと言って、やはり我が子はかわいく、十二分にそれぞれの問題点は理解していながらも、敢えてけなしたりすることもなく、極々自然に彼らと暮らしているわけです ならば、どうして主人も寡黙になり、私はハラハラと涙が出てきたのでしょうね・・・
幼い頃の子ども達は、みな、一生懸命に生きています
「早くしなさい!」と、いつもいつも急かす親の理不尽な言葉にも文句を言うことなく・・・
子どもが外から帰宅したら、彼らがほっとする間もなく、「ちゃんと手は洗ったの?帰ってきたら、手を洗う約束でしょ」と母親にガンガン言われ・・・
子どもが何かに目を奪われ、その様子にじっと見入っていると、「何ぼーっとしてんの」と叱られ・・・
それでも子ども達は、自分の世界の中で、一生懸命に生きています 思えば、何と健気なことでしょう
写真の中の幼い息子、幼い娘
私に抱っこされて、眠そうな顔で微笑む息子、缶ジュースを手に持って、満面の笑顔でカメラのほうに顔を向けている娘。
二人は、あの頃、親にあれこれと文句を言われ、10コ叱られて、1コ誉めてもらう、というような生活をしていたように思います そのたびに、「はい・・・はい・・・」と素直に返事をし、時には、「声が小さくて、お返事が聞こえません!」などと畳みかけられてもいましたねえ・・・
親とは、本当にひどい生き物ですねえ
まさに今、そんな「健気な子ども」を育てている真っ最中のみなさん・・・
いかに彼らが、真面目に、一生懸命に毎日を過ごしているかを、あらためて考えてみてください
「だんだん言うことを聞かなくなってきました!」などと怖い顔でおっしゃいますが、でも、本当はまだまだ素直なうち、に違いありません
写真の中で、笑顔で無邪気にでおどける我が家の兄妹の姿・・もう絶対に戻ってこない姿であり、二度と見ることのできない姿です。
あの頃の無邪気さ、屈託のなさ、天真爛漫な姿・・・それらは、もう大人になった彼らにはありません
なぜなら、彼らは自分の世界の中で、大人と何ら違いなく、親の知らない敵?!と戦い、様々な経験をし、傷つき、学んでいる・・・
だからこそ、昔のように、いつもいつも無邪気ではいられない、屈託なく笑顔でいられない、天真爛漫ではいれない・・・
いずれ子ども達は、親の手の届かないところで生きるようになります パパ、パパ、ママ、ママ!と言っている時期は、それほど長くはありません
お子様との「今」を、どうぞ大切になさってくださいね