今年もあと2日間。年をとったせいでしょうか・・・最近は、あっという間に1年が過ぎていく気がします まあ、古今東西、老若男女、時間だけはきちんと平等に与えられているものですから、「ああ、今年、あなたは残念でしたねえ。ご主人様のちょうど半分しか、時間は与えられなかったですね・・・」なんてことはないわけで
その、あっという間に過ぎたと感じた2012年。
私は、さまざまな場面で「何と人々は小さなことで腹を立て、人を許せない生き物なのか・・・」と実感した年でした
昨年、私達日本人は大きな不幸を経験し、それ以来、日本人は総じて「優しくなった」と言われています。
確かに、豊かな生活に慣れ、一人ひとりが勝手なことを言い、勝手な方向を向いていた時代が続いた末、やってきた世界的な不況 誰もが悲嘆にくれ、殺伐とした心で過ごしていたとき、あの震災に見舞われました
正しい表現ではないと思いますが・・・そんなとてつもなく大きな代償を払って、私達日本人は、あらためて「自分以外の人のことに目を向け、その人のことを考える」という行為を思い出しました。
若者達のボランティアやチャリティーに対する興味や活動などは、その最たるものでしょう。「自分に何ができるか?」「こんな自分でも、人の役に立てる」というような言葉が、さまざまなマスコミ報道の中でもたくさん聞かれました。
でもね。
電車に乗ってみると・・・混雑した電車の中、お隣の人の荷物が自分の体にあたることを、露骨に顔をしかめて迷惑そうにする人 自分の降りないターミナル駅で、降りていく人達に押され、舌打ちする人・・・居眠りする人が寄りかかってくると、ぎゅーっと肘で押し、怖い顔で睨む人・・・
確かに、自分がそのシチュエーションの当人だとしたら、決して愉快なこと、ハッピーなことではありません。不愉快極まりない、と感じることも理解できます。
けれど、電車に乗っている時間は、きっと長くても30分程度。一日24時間ある中の、ほんの30分です。
「我慢をすればいいのに・・・」と言いたいのではなく、何とか「その相手を、許せないものかなあ・・・」と思うのです
荷物が体にあったたら・・・
「私も、もしかしたら、こうして自分の持っている荷物やバッグで、人を不愉快にさせているのかもしれないなあ・・・」と思えば、その人の無神経(実際には、とても気にされているのかもしれませんし)さを許せるのではないでしょうか?
降りていく人達に押されたら・・・
「きっと私は邪魔になってるんだな、失礼、失礼」と思えば、腹を立てるより、むしろ詫びたい気持ちにもなり、やむを得ず「押して」降りていく人を許せるように思います。
ぐらぐらと体を揺らし、居眠りしている人に寄りかかられたら・・・
「この人は疲れてるんだなあ・・・お仕事、大変なんだなあ。仕事での疲労ではないとしても、こんなに電車の中で爆睡するんだから、よほど睡眠不足なんだろうな。」と思えば、ふっと気持ちは和み、優しい気持ちで少しは許せるのでは・・・
多くの親子を見ていると、「人に対して、優しく広い心を持った親の子どもは、やはり優しい子どもに育っている」と思います
いつも物事に対して攻撃的で、文句ばかり言っている親の子どもは、決して穏やかな温厚な子どもには育っていないものなんですね
「許す」というのは、「受け入れる」ということだとも思います。
自分の発想を「拒絶」や「拒否」、「否定」から、「容認」や「許可」、「甘受」に変えるだけで、とても気持ちが穏やかになるものですよ
自分の気持ちの持ち方を替えれば、「許す」ことはそれほど大変なことではありません。そして、許せるようになったとたん、心が軽くなり、顔つきまで柔和になるものです
腹を立ててる時、ぶつぶつと文句を言っている時に、一度、ご自分の顔をご覧になってみてください。それはそれは、醜い顔ですから・・・
こんなふうに「偉そうに」言っている私ですが・・・いつも「許せる人」であれるよう、修行の毎日です
来年も、日々修行の思いで、毎日を大事にしていきたいと思います
その、あっという間に過ぎたと感じた2012年。
私は、さまざまな場面で「何と人々は小さなことで腹を立て、人を許せない生き物なのか・・・」と実感した年でした
昨年、私達日本人は大きな不幸を経験し、それ以来、日本人は総じて「優しくなった」と言われています。
確かに、豊かな生活に慣れ、一人ひとりが勝手なことを言い、勝手な方向を向いていた時代が続いた末、やってきた世界的な不況 誰もが悲嘆にくれ、殺伐とした心で過ごしていたとき、あの震災に見舞われました
正しい表現ではないと思いますが・・・そんなとてつもなく大きな代償を払って、私達日本人は、あらためて「自分以外の人のことに目を向け、その人のことを考える」という行為を思い出しました。
若者達のボランティアやチャリティーに対する興味や活動などは、その最たるものでしょう。「自分に何ができるか?」「こんな自分でも、人の役に立てる」というような言葉が、さまざまなマスコミ報道の中でもたくさん聞かれました。
でもね。
電車に乗ってみると・・・混雑した電車の中、お隣の人の荷物が自分の体にあたることを、露骨に顔をしかめて迷惑そうにする人 自分の降りないターミナル駅で、降りていく人達に押され、舌打ちする人・・・居眠りする人が寄りかかってくると、ぎゅーっと肘で押し、怖い顔で睨む人・・・
確かに、自分がそのシチュエーションの当人だとしたら、決して愉快なこと、ハッピーなことではありません。不愉快極まりない、と感じることも理解できます。
けれど、電車に乗っている時間は、きっと長くても30分程度。一日24時間ある中の、ほんの30分です。
「我慢をすればいいのに・・・」と言いたいのではなく、何とか「その相手を、許せないものかなあ・・・」と思うのです
荷物が体にあったたら・・・
「私も、もしかしたら、こうして自分の持っている荷物やバッグで、人を不愉快にさせているのかもしれないなあ・・・」と思えば、その人の無神経(実際には、とても気にされているのかもしれませんし)さを許せるのではないでしょうか?
降りていく人達に押されたら・・・
「きっと私は邪魔になってるんだな、失礼、失礼」と思えば、腹を立てるより、むしろ詫びたい気持ちにもなり、やむを得ず「押して」降りていく人を許せるように思います。
ぐらぐらと体を揺らし、居眠りしている人に寄りかかられたら・・・
「この人は疲れてるんだなあ・・・お仕事、大変なんだなあ。仕事での疲労ではないとしても、こんなに電車の中で爆睡するんだから、よほど睡眠不足なんだろうな。」と思えば、ふっと気持ちは和み、優しい気持ちで少しは許せるのでは・・・
多くの親子を見ていると、「人に対して、優しく広い心を持った親の子どもは、やはり優しい子どもに育っている」と思います
いつも物事に対して攻撃的で、文句ばかり言っている親の子どもは、決して穏やかな温厚な子どもには育っていないものなんですね
「許す」というのは、「受け入れる」ということだとも思います。
自分の発想を「拒絶」や「拒否」、「否定」から、「容認」や「許可」、「甘受」に変えるだけで、とても気持ちが穏やかになるものですよ
自分の気持ちの持ち方を替えれば、「許す」ことはそれほど大変なことではありません。そして、許せるようになったとたん、心が軽くなり、顔つきまで柔和になるものです
腹を立ててる時、ぶつぶつと文句を言っている時に、一度、ご自分の顔をご覧になってみてください。それはそれは、醜い顔ですから・・・
こんなふうに「偉そうに」言っている私ですが・・・いつも「許せる人」であれるよう、修行の毎日です
来年も、日々修行の思いで、毎日を大事にしていきたいと思います