詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

枯葉のうえに朝露がのって

2013-10-31 | Photo-ry (写真)



久しぶりに 穏やかな秋晴れ

だから そのうち
太陽も のどが渇いてきて
このきれいな雫を 
飲み干してしまうだろう

小さな 羽虫にとっては
つかのまの 湖の出現
今のうちに 
羽づくろいをしておこうかな と

紅葉を終えた葉は
昨夜 枝から離れ 着地
いよいよ おやすみなさい 
と思っていたら
夜が明けて 誰かに起こされた
もう一度 
楽しい時間が待っていたんだ


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「現代詩の祭典」がありました

2013-10-28 | トークタイム
山梨県笛吹市にて国文祭「現代詩の祭典」が開催され、
過去10年間で最高の6,465人の応募者数の内から、
文部科学大臣賞など11賞の、現代詩の入賞者の表彰式
がありました。
第一次審査をさせて頂いた関係で、たくさんの詩作品に
触れさせて頂いたことを、感謝申し上げます。

今年春から夏に、他の一次審査員の方々と、
悩みながら選出していった過程を思い出しながら、
「現代詩の祭典」当日は、遠くから出席された入賞者の
方々にお目にかかれて、感動しました。

又、文部科学大臣賞に選ばれた小学生の部、中高生の部、
一般の部の3名の方の朗読を聴き、作者の想いを新たに
感じ取ることができ、胸が熱くなりました。

その後、ゲストの谷川俊太郎さん覚和歌子さん宮沢和史
(THE BOOM)さんの鼎談があり、谷川さんがコーディネート
役となり、詩と音楽の関係などを、お3方の実作の立場で
代わる代わるお話をされました。
又、3人で詩のリレー朗読をされ、感動的な詩の時間が
会場に流れました。

来年の開催地、北秋田市にバトンタッチされ、暑い熱い
やまなし国文祭「現代詩の祭典」は終わりました。
「詩って、いいじゃんね。」
会場にいた方たちの気持ちを代弁するように、山梨弁で
最後を締めくくった山梨県詩人会会長のあいさつの言葉が、
心に響き、残りました。


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スモーキーマウンテンの子供たち

2013-10-25 | 子供のこと、子供のことば
先日、子供の授業参観に行った。
何の授業かは知らされていなかった。

「週末は、何をして過ごしたの?」
先生の気軽な問いかけから始まった。

そして、「じゃあ、今度一番したいことは何?」
という質問にかわり、
「旅行に行きたい。」「サッカーしたい。」
「富士山に登りたい。」など、
子供たちは楽しそうに答えていた。

その後、先生はおもむろに、
<マニカ>と黒板に書いて、女の子の写真を貼った。
「この子は、何をしたいと思っていると思う?」

マニカは12才の女の子。
マニラのスモーキーマウンテンで生活する子供の1人。
1日10時間ごみの山から、缶やプラスチック等の
ごみを拾い集めて、自分で集めた3日分と、
友達が集めている分とを合わせて、換金してもらい、
分けあったお金で、一家を養う。
父親が殺され、病気の母親と10歳、3歳の弟の面倒を
みなければならないマニカ。
そんなマニカの生活を取材した動画を、先生は準備して
子供たちに観せた。

マニカの一番したいことは、
「学校へ行きたい。」
マニカの夢だ。
動画を観て、子供たちは、
簡単には言葉にならないような現実の重みを、
ひしひしと感じ取ったように思えた。
先生は、子供たちに、「頭のどこかに<世界を知る>と
いうことを、いつも置いておいて」と言われた。

<世界のどこかで>という授業。
先生は、「種蒔きのつもりです。」と言われた。
10才の子供たちの心に、大事な種を蒔いた。
恵まれた日本の子供たちが、10年後、20年後に、
どんな心を持った大人に、なっていてくれるだろう。
「先生、ありがとう。」と、静かに思う。

      ※「スモーキーマウンテンで生活する女の子」


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草の実、木の実を

2013-10-19 | Photo-ry (写真)



 鳥のように、
 草の実、木の実を探して、歩く。

 台風が過ぎて、見てみると、
 鳥が真っ先に、収穫していた。
 秋。 色づく実は、鳥や動物のもの。

 木の梢から、鳥たちが見つめている。
 「人間よ、むやみに実を取らないで‥」
 そう、言われているみたい。

 だから、写真に撮ったよ。


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ダレンを探して 6

2013-10-17 | 連詩
風が吹く 
風が ダレンを連れてくる

袋に 詰め切れないほど
ダレンは 光る石を集めていた
白い袋が 部屋の天井に届くほど
積み重なりだしたが
まだ 足りないらしい
私も 手伝う
ダレンの記憶が 私たちの世界を
形造る、
静電気のように 
ダレンが そっと教えてくれた

帰り急ぐ人達の列が 
いっこうに途切れない夕刻だった
明日の朝 ダレンが水晶球へ戻っていく道を 
ふさいでしまおう とでもいうように
押しよせるはずの夕闇すら まだやってこない
黒く覆いかぶさろうとする雲の網目をほどいて
青空はひろがっていくばかり

だが 水晶球の時間は近づいている
ダレンを迎えに 
水晶球の時間が 流れ出しているのにちがいない

風が運ぶ
風がダレンを 連れて帰る
風はいっこうに 止まない


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ダレンを探して 5

2013-10-16 | 連詩
ダレンに会いたい

小さな手提げかごを買うために
四辻の 雑貨屋に立ちよる

ダレンが話していた言葉の断片を 
1つ1つ 
拾い集めていけば
きっと すぐに会えるはずだ

うさぎ
萎びたごぼうから咲く花
黒猫のひげ2本
おしろい花の蜜5dl
男のしわがれた咳
赤ん坊の泣き声

静寂に溶け込む寝息
昼間の白い ひとかけの月
まぢかを走り来る雷鳴
風に乱舞する 枯れゆく前の葉
夜を浮かび上がらせる稲光
降りはじめの 1粒の雨音
湿り気のある地面に 蝶が集まり



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ダレンを探して 4

2013-10-15 | 連詩
今 水晶球に住むダレンは
ここに 来ている
私の家に 時々帰りながら
空が 白々と明けていく前に
雑踏の中に消えていく
床には 意味のわからない
記号めいたものを書き記したメモが
いつものように 落ちている

今日は だけど
妙な胸騒ぎがして 後を追う
どこへともなく走り出す
まるで誰かに道案内をされているように

ダレンの後ろ姿を見つける
大きな交差点を渡るサラリーマンの背中ごしに
通学途中の小学生の輪の中に

待って どこに行くというのだろう
駅で電車を待つ高校生の脇を抜け
見失ったと思うと
突然人ごみから現れ通りすぎる



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ダレンを探して 3

2013-10-12 | 連詩
宇宙のかけら‥
そんな言葉が ひろがりだす

人の心の奥には
星と同じ 光る石が埋め込まれているんだ
ダレンが 私のそばに近寄ってきて
最初におしえてくれた

次の言葉も その次の言葉も聞きたくて
私はダレンの腕をとり 家に帰った



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ダレンを探して 2

2013-10-10 | 連詩
昔 聞いた話
その人は 水晶球に住むダレンだと
私は 確信している

いつも 誰かが探している
水晶球に住むダレン

台風がすぎ あまりに美しすぎた夕焼けが
空に映しだされた日
細い急坂をのぼりながら 家に帰った
すると 
太陽が 西から昇りだし
昼間の明るさを取り戻した空に
星々は 光りだした

誰かの ささやきがきこえた
いや 大勢の人が戸外で歓声をあげていた
全天の星が 今にも降りだしてきそうな
空の にぎやかさだった
5つ6つの星は 知らない人のふところに
しまわれた


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ダレンを探して 1

2013-10-09 | 連詩
2週間ほど前から
私は ダレンと過ごしていた
まだ 夜が明けないうちに
ダレンは起きだす
パンが焼ける匂い
マシーンから香り立つエスプレッソ
ダレンに朝を知らせる 約束の儀式

キッチンでくだものを刻むあいだに
ダレンは 食事をすませる
ブラインドのむこう
かがやきが 闇の中でうごめきだし
地上の端がほの白くなるころには
ダレンは もう部屋にはいない



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ねぇ、Mちゃん

2013-10-08 | 子供のこと、子供のことば
目醒まし時計より
早く目をさますことができる、とか
一番星をみつけるのが上手、とか
早口ことばがいえる、とか
犬の気持ちがわかる、とか

それってすごいね。って思えると
いいねって
いつか話したっけ

ママも 10分でお弁当がつくれるとか
真っ暗な中で 君たちの居場所と
寝息のちがいがわかるとか
今にも雨が降ってきそうな匂いを
知っているよって

ゆったりしているのが好き、とか
ボーッとすることができる、とか
小さな文字を書ける、とか
指ぱっちんと口笛をうまくなりたい、とか

みんな ひかる宝物だね

そしてきのう 君は大人の背丈に届いたよ
お腹が痛いのを我慢して
誰にも言わないでトイレで吐いたりして
バレーの練習試合をやり通した
監督に怒られながら
君の横顔は かっこよくて
遠くで見守るだけしかできないママに
なったよ


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斑(フ)入りの葉みたいになって

2013-10-06 | Photo-ry (写真)
   


  独特の濃い緑の精彩を見せていた葉が
  日ごとに、“斑(フ)入りの葉”みたいになってきた。

  室内の、掛花入れに活けられて
  数日間、凛と、美しい深緑色を
  放っていたが
  風や光や雨が恋しかったのだろう。

  白い縁取りが拡がりだし
  葉脈部分に緑色は残り
  ハッとするくらい、
  それは綺麗ではあるのだけれど
  少し、かわいそうな気がする。

  葉っぱたちは、しっかりとした木の幹に
  押し合うように葉を繁茂させ、
  土壌から、充ち満ちた時間の糧を吸い上げて
  色を積み重ね、結晶させていたのだな、と
  あらためて、気づかせてもらった。


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塔 和子(とう かずこ)さんの詩

2013-10-01 | 気になる人、ことば
塔 和子(とう かずこ)さんが亡くなって一か月が過ぎた。
数日、陶さんの詩を、読んでいた。

1929年に愛媛県で生まれた塔和子さんは
14歳の時、ハンセン病を発症し、
1943年に国立療養所大島青松園に入所。
病気は治るが、後遺症の為、療養所にとどまる生涯だった。

ハンセン病は感染力も弱く、現代では完治する病気だ。
しかし、愚かな人間の浅はかな偏見と、病気への恐怖心から、
脆弱で卑劣な人間の心が社会の多勢を占め、
ハンセン病患者を隔離し、この病気の差別史は続いてきた。

陶さんの詩を、静かに読んでみる。
心に、深い傷を持ち、いのちの深淵をのぞきながら
歩いていった人の言葉の前に、かなうものはなく、
頭を垂れて、その言葉に聞き入るのみだ。

詩とは、何だろう。
陶さんのいのちのまなざしは、言葉へと変貌し、
病苦と闘う絶望の淵で、そこに光を見つけ、
美しい花を咲かせる。
言葉というものが、人間が生きていくために、
どんなに必要なものなのか、ということを
思い知らされる。

陶さんは、<透明な祈り>という。
深い傷を心に持ちながら、見たもの、触れたものを
希望の光に変えてしまう詩人の言葉。
彼女の生涯を通じての祈りは、美しい光で世界を
包んでいくような、清らかな覚悟のように感じられる。



  



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