あした、という言葉はきれいだな、と思う
あまりにも疲れてしまった夜に
「また、あした」
あしたやればいいこと
あしたになれば、変われること
あしたがくるということは
あしたも生きていられる
ということ
だから
「また、あした」
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あまりにも疲れてしまった夜に
「また、あした」
あしたやればいいこと
あしたになれば、変われること
あしたがくるということは
あしたも生きていられる
ということ
だから
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精力的に書き続けておられることを拝見しています。
さて、「あした」の語源について、最近面白いことを知りましたので、紹介します。
夜を中心にした古代の時の表現の一つで、「ゆうべ」→「よい」→「よなか」→「あかとき」→「あした」の最終部分だというのです。広辞苑にこの記述があって、「あした」のイメージがひろがりました。
知人から志野茶碗を頂きその茶碗に「晨光」と名付けたのですが、晨(あした)の意味を探るうちに、この記述をみつけまました。
ブログに詩も書いてみましたので、よろしければ見て下さい。
益々のご健筆をお祈りします。