相手との話し合いや交渉において、相互の論点がづれていれば話は噛み合いません。
例えば商談において、ある商品を100個必要としている場合には、それに満たない個数しか準備出来ない場合、発注元にとっては例え価格が安くても魅力的ではありません。
その際、どの様に製品の品質や納期を前倒しが可能だと提案しても意味はありません。
つまり、商品を100個供給出来て初めて価格なり納期などの具体的な条件を詰めることが可能になります。
相手が何を望んでいるのか、相手が何を聞きたい、知りたいのか、理解して初めて相手の要求や質問に適切に応えることが可能となります。
その要求なりに腹が立ったからといって、質問に答えず、論点をはぐらかして答えない、ということが得てして起こりがちです、特に男女間においては。
つまり、相手の土俵に乗らなければ話にならないということです。
違う土俵に立っても、それは話し合いになっているとはいえません。
にも関わらず、話し合うとすぐにこじれてしまうことに考えが及びません。
違いが対等と考えているならば、相手の土俵に乗らないといけません。
その上で相手の質問に対応した上で、自らの考えなり反論なりをすればよいことです。
感情的になり、嫌だから嫌だ的な幼稚な思考しか出来ない人には、論理的な話し合いそのものが無駄です。
世間でよくある話ではないでしょうか。
この場合、相手が賢しげに、本人は論理的に反論してきてもほとんどの場合、論点のすり替えが行われます。
矛盾点を指摘して、聞く耳を持つことはほぼないでしょう。
私は社会人になってから大学院に通いました。
そこでは、男女間関わらずかなり論理的な討論などを経験しました。
むろん、中にはお話にならないほどレベルの低い人もいましたが、性別、年齢の違いを感じさせない同期や先輩、後輩がいました。
一般論として、女性は論理的ではありませんが、個別に見れば男性よりしっかりしている人もそれなりにいます。
お話にこうした人達と接してうえで、妻の意見、主張などを比較すると、全くお話になりません。
性格の悪さに対応して、比例的に意見を潰しにかかると、必ず論点外しや自己矛盾した反応を示します。
そして、こちらの話が終わらないうちに反論を始めるいつものパターンになります。
こんこんと順を追って…ということがいかに愚かな作業であったか、今では痛切に感じています。
本人曰く、きちんと話せるし、人の話も聞けるとのことですが、一番は自分の考えを兎に角話したいたという欲求しか感じられません。
自分が考えているほど大したことはないと、理解させることは最早無駄なことと確信していますが、お節介な性格なのか、なかなか止められません。
自分がもっと冷たい人間であったら、今頃3度目の独身生活を謳歌できているでしょう。
妻は全く自覚してきませんが、今の我が家は二つの土俵にそれぞれ立って、それぞれの土俵で勝負しようとしている様なものです。
一歩引いて冷静に考えれば簡単に分かる話なのですが、それすら分かりません。
妻の土俵に立っても、傲慢さと自己矛盾した点を指摘せざるを得ません。
何せ、妻の言葉の定義と世間一般の定義と異なることが多く、非常に戸惑うためです。(既出内容)
言葉遣いも適切ではないので、本当に何を言っているのか確認したいため、質問事項を再確認しようとすると機嫌を損ね、話し合いの雰囲気が一気に悪化します。
私はサンドバッグになるつもりは更々ありませんので、しつこく再確認の意図を伝えますが、最早その時には聞く耳を持ちません。
こうした虚しい時間の浪費で、私の厚生年金は少しずつ毟り取られています。
後悔役に立たず、です。
例えば商談において、ある商品を100個必要としている場合には、それに満たない個数しか準備出来ない場合、発注元にとっては例え価格が安くても魅力的ではありません。
その際、どの様に製品の品質や納期を前倒しが可能だと提案しても意味はありません。
つまり、商品を100個供給出来て初めて価格なり納期などの具体的な条件を詰めることが可能になります。
相手が何を望んでいるのか、相手が何を聞きたい、知りたいのか、理解して初めて相手の要求や質問に適切に応えることが可能となります。
その要求なりに腹が立ったからといって、質問に答えず、論点をはぐらかして答えない、ということが得てして起こりがちです、特に男女間においては。
つまり、相手の土俵に乗らなければ話にならないということです。
違う土俵に立っても、それは話し合いになっているとはいえません。
にも関わらず、話し合うとすぐにこじれてしまうことに考えが及びません。
違いが対等と考えているならば、相手の土俵に乗らないといけません。
その上で相手の質問に対応した上で、自らの考えなり反論なりをすればよいことです。
感情的になり、嫌だから嫌だ的な幼稚な思考しか出来ない人には、論理的な話し合いそのものが無駄です。
世間でよくある話ではないでしょうか。
この場合、相手が賢しげに、本人は論理的に反論してきてもほとんどの場合、論点のすり替えが行われます。
矛盾点を指摘して、聞く耳を持つことはほぼないでしょう。
私は社会人になってから大学院に通いました。
そこでは、男女間関わらずかなり論理的な討論などを経験しました。
むろん、中にはお話にならないほどレベルの低い人もいましたが、性別、年齢の違いを感じさせない同期や先輩、後輩がいました。
一般論として、女性は論理的ではありませんが、個別に見れば男性よりしっかりしている人もそれなりにいます。
お話にこうした人達と接してうえで、妻の意見、主張などを比較すると、全くお話になりません。
性格の悪さに対応して、比例的に意見を潰しにかかると、必ず論点外しや自己矛盾した反応を示します。
そして、こちらの話が終わらないうちに反論を始めるいつものパターンになります。
こんこんと順を追って…ということがいかに愚かな作業であったか、今では痛切に感じています。
本人曰く、きちんと話せるし、人の話も聞けるとのことですが、一番は自分の考えを兎に角話したいたという欲求しか感じられません。
自分が考えているほど大したことはないと、理解させることは最早無駄なことと確信していますが、お節介な性格なのか、なかなか止められません。
自分がもっと冷たい人間であったら、今頃3度目の独身生活を謳歌できているでしょう。
妻は全く自覚してきませんが、今の我が家は二つの土俵にそれぞれ立って、それぞれの土俵で勝負しようとしている様なものです。
一歩引いて冷静に考えれば簡単に分かる話なのですが、それすら分かりません。
妻の土俵に立っても、傲慢さと自己矛盾した点を指摘せざるを得ません。
何せ、妻の言葉の定義と世間一般の定義と異なることが多く、非常に戸惑うためです。(既出内容)
言葉遣いも適切ではないので、本当に何を言っているのか確認したいため、質問事項を再確認しようとすると機嫌を損ね、話し合いの雰囲気が一気に悪化します。
私はサンドバッグになるつもりは更々ありませんので、しつこく再確認の意図を伝えますが、最早その時には聞く耳を持ちません。
こうした虚しい時間の浪費で、私の厚生年金は少しずつ毟り取られています。
後悔役に立たず、です。
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