まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

北の国から

2010-04-18 20:40:57 | お知らせ
4月18日(日)。

らーら~ららーら~。
何のことかと思ったことでしょう。北の国からのテーマです。

前回の書き込みはタンザニアについてでしたが、なんと今は、北海道にいます。札幌のすぐ隣、江別市というところからです。

全くいろんなことがありまして、日本で働くことになりました。
アフリカとの、世界との関係は、これからも続けて行きたいと考えており、その努力もして行きます。夏にはケニヤに戻る予定ですし、本当です。

でもこれからは、責任もありますので、書きたいことを公の場で書ける立場にはいないと考えます。ですので、昨年からすでにあまり書いていませんが、これからは、さらに書かないか、違う形でメッセージを発信することを考えています。今までコメントをくれた皆さん、どうも有難う。これからは、簡単に会えるかも、ですね。

とりあえず、お知らせまで。

再びアフリカへ

2008-09-24 10:37:54 | お知らせ
9月23日(火)。

昨日、公募された仕事に応募していた国際機関から、採用通知をいただきました。
11月から3年間、再びアフリカ大陸に戻ります。

就職活動では、実はこのポストにしか正式に応募していなかったので、ラッキーというか、導かれたというか、厳しい選考があったにも関わらず、意外とすんなり決まりました。

機関名は、国際家畜研究所(ILRI:イルリ)といいます。勤務地は、本部のケニアの首都ナイロビで、アフリカ大陸7カ国の食品衛生向上を目的としたプロジェクトのチームに配属されます。

ウガンダでは、合計1年ほど、4年間に渡って活動しましたが、いつも単身での調査でした。今回は、初めて家族でアフリカに住みます。早く野生動物が見たいなあ。キリンなんか見たら、うちの子もビックリするだろうなあ。妻も、仕事が決まって、とてもほっとしています。イルリには、大学の同窓生の知り合いもいるし、エディンバラ大学とも一緒に仕事を継続出来そうです。とても楽しみです。

国産牛乳を守りましょう

2008-04-04 12:22:42 | お知らせ
4月3日(木)。

今日は、ちょっとお知らせとお願いを書きます。

日本の食糧自給率が低いことは、周知の事実ですが、最近、牛の餌が高くなっていることもあり、また牛乳の値段が本当に長年の間、不当に上げられなかったことから、多くの日本国内の酪農家が、廃業に追い込まれています。

酪農家の方々には、乳価上昇の交渉権がないため(スーパーと乳業メーカーに決められてしまう)、下記の会が現在署名を集めて、乳価引き上げを求める陳情書を、農水省と各政党に提出しようとするところです。

安全安心な国産牛乳を生産する会
http://www1.ocn.ne.jp/~mo-moo/top.html

そこで、このブログは、たまにしか更新しないし面白いことも書かないのでアクセス件数も非常に少ないはずですが、読んでくれたあなた!上記の会のホームページで趣旨に同意されましたら、用紙はダウンロード出来ますので、至急署名して会に送っていただけますよう、お願いします。

消費者にとっては、牛乳の値上げは少々負担かも知れません。しかし、我々と、将来の子供達の食生活を守るには、必要なことなのです。

かつて食糧自給率の低かったイギリスは、第2次世界大戦中に、食糧を輸送する貨物船をドイツのUボートに次々と沈められ、大きな窮地に立たされました。キューバでは、東西摩擦による経済ブロックにより輸入食糧の供給を絶たれ、ちょっとした空き地でも農作物を生産し、食糧危機をなんとか逃れました。

こういった不測のシナリオは日本にも当てはまり、現在でもすでに、安全な国産食糧の確保は出来ていない状況です。

つきましては、目の前に差し迫った我々の牛乳、乳製品という食糧危機回避のために、特にブログや自治体活動などで顔の広い方は、ご協力していただけますよう、私からもよろしくお願いします。

Happy New Year 2008!

2008-01-02 04:55:10 | お知らせ
2008年1月1日(火)。

新年明けましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いします。

今年は、子供が大きくなったので、初めてエディンバラ中心部のNorth Bridgeでカウント・ダウンに参加しました。

息子も妻も、初めての年越しに興奮。子供は早めに寝かせて出発直前に起こしました。喜んでいたけど、やっぱり眠かったみたい。写真でも真顔です。

新年を迎えたと同時に、市内7ヶ所から花火が打ち上げられました。
良かった、良かった、とにかく良かった。

さあて、今日は一日まったりしたので、明日から仕事モードに戻らないとね。

ただいま

2007-11-17 21:54:55 | お知らせ
11月17日(土)。

今朝10時に、ウガンダからエディンバラに帰ってきました。

仕事もいよいよ忙しくなり、一ヶ月も更新出来ませんでした。ご心配掛けていたらすいません。

インターネットの使える環境にいなかったし、土日も含め、朝5時起きで6時か6時半には出発し、赤道直下の太陽に焦がされながら牛の採血。夜と空いた時間は、ひたすら集めた質問票のデータをデータベースに打ち込む作業。

背中の広い範囲を、ウガンダの強烈なアリに噛まれてひどい状態になったり、疲れで蕁麻疹も出たりしましたが、なんとか関係スタッフ、特にドライバーの、まさに昼夜休日関係なしのサポートで乗り切ることが出来ました。

こうしてブログを書いていると、インターネットの揃っている環境では、かなりの時間をコンピュータの前で取られてしまっているのだなと痛感します。あんまり個人的には良くないなと思います。ま、これからも短い時間で、今回ウガンダで感じたり出会ったりしたことを書いてみたいと思います。

とりあえず、イギリス帰国のお知らせまで。

NHKラジオ

2006-12-09 10:41:57 | お知らせ
12月8日(金)。

お知らせです。
12月23日(土)の、午後5時5分~6時50分にかけての時間帯で、NHK第一放送の地球ラジオに出演することが決まりました。

エディンバラと、こちらの介助犬に関する内容を、短い時間でご紹介する予定ですので、もしお時間がありましたらお聴きください。

当日は、日本にいる訳ではありませんので悪しからず。
電話を通じての生中継となります。

電話が開通しました。

2006-10-25 08:14:08 | お知らせ
10月24日(火)。

ようーやく、電話が開通しました。

来てくれたのは、一見頼りがいのなさそうなエンジニアでしたが、意外ととてもいい人で、前の電話番号を使わせてくれるよう電話会社と交渉してくれました。
お礼に、ビスケットと日本茶をご馳走したら、すごく喜んでくれました。

あー、電話があると安心するなあ。日本にも、アメリカにいる某親戚にも、これで電話が出来る。向こうから受けることだって出来る(ほぼそういうことはないけれど)。

ついでに、またネパール時代の話をしますが、1998年の赴任当時は、村には一台、富士通製の衛星電話がありました。しかし古いので、すぐ故障し、しばらく使えなくなるのです。直っても直ってもそんな調子でした。電話線が届いてからも、結局同じような状況でした。

その代わり、部屋には、協力隊事務所から支給された無線機があって、これで皆、通話していたのです。電気がないところでも、ソーラーで充電していたと思います。
チャンネルは二つあり、一つは通常使う共通チャンネルで、週に一度、定期交信があり、事務所から無事でいるかこのチャンネルで点呼されました。もう一つは、共通チャンネルが使用されているときの緊急チャンネルでした。

任地は離れていても、ふとしたきっかけで仲の良くなるカップルはいるものです。相手がどうしているか、無事でいるか、知りたい。そういう時は、皆に聞かれないように、緊急用を使いたくなる。でも、無線は皆に筒抜けなので、

「○○さん、チャンネルを変えてください」

とでも言おうものなら、ネパール全国にいる若さ溢れる健全な協力隊員たちは、当然のことながら、皆チャンネルを切り替えます。

そういうことも実際あったように思いますが、自分と妻の場合はどうだったか忘れました。何度か共通チャンネルを使ったのは覚えてます。

ま、電話もなきゃないで生きて行けますが、あると有難いなあということです。

スコットランドに帰国

2006-09-30 22:09:13 | お知らせ
9月30日(土)。

昨夜、なんとか家族3人でエディンバラに帰ってきました。
なんとかと言うのは、息子に帰国前に喘息が出て、二日前に入院したりで、飛行機に乗れるかどうか分からなかったからです。広島の小児科の先生方が、とっても丁寧に相談に乗ってくれまして、お陰さまで大事無く帰ることが出来ました。本当に感謝してます。

日本にいる間、ほとんどブログも書けませんでしたが、これも充実した日々を送っていたため。
毎日遅くまで誰かと話をし、一緒に時間を過ごせていたということは、とても幸せでした。ある叔父にいたっては、横になったまま布団に入ってまでも話をし続け、夜中の2時にようやく勘弁してもらったほどでした。

帰ってくると、すぐまた当然のようにスコットランドでの生活が始まりました。
お金は払っているはずなのに、家の電話が使えなくなっており、今日携帯から電話すると、月曜から新しい電話番号をもらって使えるようになりました。ここら辺の不便さ、理不尽さが、ああ、スコットランドに帰ってきたなあ、と思わせてくれます。国民がみんなきっちり5時に帰り、労働者を守る法律がしっかりしていると、こういう風になるわけです。でも、この方が人間らしいように、今の僕には思えてしまいます。

さて、博士課程終了まで、またこれから頑張っていこう。どんな毎日が待っているのかな。

イギリスの空港の所持品規制

2006-08-22 09:13:28 | お知らせ
8月21日(月)。

今日は、先日固い肉を食べていて奥歯の詰め物が取れかけているので、歯医者に行きました。左上の奥歯で、位置も難しかったようですが、口を開かされすぎて、左の口の端がまだヒリヒリしてます。直したところも水が沁みて痛い!せっかく首が治りかけたら、今度は歯で、ついてないです。

さて、9月4日から3週間ほど日本に帰るので、日本での日程調整やらで忙しくなってきました。準備のうちで、今困っていること。それは、飛行機に持ち込む荷物の規制についてです。

イギリスで、10日だったかな?飛行機を使った同時爆発テロが未然に防がれたのは、ご存知ですか?さすがに報道されているでしょう。当日は、日本の空港でも、所持品の規制が行われたそうですね。

昨日は、現在身柄を拘束されている22人のうち、11人がcharged(多分再逮捕)されました。22日に法廷で裁かれる予定です。

イギリスにおける安全脅威レベルは、criticalからsevereに下げられたとはいえ、まだまだ空港での規制には厳しいものがあります。

Criticalの時は、液体、電気機器の持ち込みは禁止(今回のテロの計画が、複数の液体を混ぜて爆薬を作ることを狙っていたため)、手荷物は全て透明なビニールに入れること、でした。
現在は、35×45×16cm以内のバッグ、もしくはハンドバッグは、一人一つに限り持ち込み可となり、携帯電話もよくなったようですが、許可されたけど困るのはラップ・トップ。
ラップ・トップは、バッグから出して、見えるようにトレイに乗せること

*All laptops and large electrical items (eg large hairdryer) must be removed from the bag and placed in a tray so that such items neither obscure nor are obscured by the bag.
→http://news.uk.msn.com/Article.aspx?cp-documentid=776513

と書いてありますが、手荷物検査のときに、とは書いてない。多分そうだとは思うのですが、飛行機の中で、コンピュータを裸でラックに入れなければならなかったり、コンピュータを持っているおかげで手荷物を飛行機の中に入れることが出来なかったりするのが面倒なので、今回は、大容量のペン・ドライブにドキュメントをたくさん保存して、ラップ・トップは持ち歩かず、親戚等のコンピュータで仕事をさせてもらうようにしようと思います。

子供が一緒に移動するため、非常時の着替えは持たねばならないので、少なくとも最初の規制よりは楽になって良かったと思います。

しかしこの厳重な警備のお陰で、まだ今回の大惨事は防げているわけですよね。そう、まだ終わってはいないのでしょう。飛行機での移動が、アフリカでの危機意識とはまた別の、テロのリスクを身近に感じさせるのでした。