まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

感動のハグ

2008-04-30 05:24:12 | ほっと一息。
4月29日(火)。

先週、田舎にあった校舎から、街中の旧校舎に移りましたが、ラボのセットアップも終わり、ほぼ普通に仕事出来る環境になりました。

この旧校舎は、家から歩いて5分のところにあるので、とても便利です。一番変ったことは、僕が子供の送り迎えが出来るようになったことです。朝は9時に幼稚園まで連れて行き、月曜と金曜は1時に、それ以外の日は12時に迎えに行きます。いったん家で昼食を摂り、午後からまた歩いて大学に行きます。

お陰で息子と話す機会も増え、仲良くなったように感じます。面白いことに、幼稚園にいる他の子供たちとも仲良くなってきました。

今日昼に幼稚園に迎えに行く途中で、ルイースという4歳の男の子に会いました。彼は、母親と幼稚園から帰るところでした。昨日帰りに、ルイースが「ハロー、マイフレーンド!」と握手をして来たので、今日は顔を見てすぐ、「ハロー!」と両手を大きく振ってみました。すると、両腕を広げて「ハロー!」と言いながら走ってくるではありませんか!

僕も駆け寄って、二人は抱き合ったのでした。感動的なハグ。しかし、お母さんは横で困ったような顔をしていました。いいんです、本人達がハッピーなら、それで。

これまでの昼食は、コンピュータに向ったまま、ただ弁当を食べるだけでした。職場(学校)の環境が変るだけで、これだけ一日の生活が変るんですね。本当に精神的に良い昼休みを取ることが出来るようになりました。

提出予告

2008-04-27 06:37:25 | 学業
4月26日(土)。

エディンバラ大学の博士課程では、博士論文提出の最低2ヶ月前に、Intention of submitという書類を提出しなければなりません。これは、何月何日に博士論文を提出しますよ、という宣言をするものなのです。

今週は、研究室の移動にともなって、ラボの掃除やら機械の搬入やらで時間が取られ、就職のための情報集めや、またこの提出予告のための書類に必要な作業で時間が取られてしまい、論文自体には手を付けられませんでした。

焦るけれども、その予告のための書類を書くのに、博士号の試験に関する大学の規則を丁寧に読み込み理解しておくことが必要だったのです。

規則には、試験の採点方法や、成績によってどうなるか、ということも生々しく書いてありました。思わず手に汗を握ってしまいます。途上国と違って命に別状はないけれど、別のスリルがあります。

提出予定の7月初めまでに、それほど時間に余裕がないことは分かっていますが、こういう時は、一気にカタを付ける方がいい、という直感がします。はい、簡単に言い切っちゃいましょう。なんとかなります。いや、なんとかします。完璧は求めないぞー。とりあえず終わらそー!

ということで、来週頭に、書類を出しちゃいましょうかね。

研究室の引越し

2008-04-18 05:09:44 | 学業
4月17日(木)。

来週から、これまでど田舎のイースター・ブッシュにあった研究室が、エディンバラ市内のサマーホールに引越しします。来週からは、バス賃が浮く!なんと、家から歩いて5分の距離です。

というわけで、引越し作業ミーティングの後に、グループのみんなで記念撮影しました。さて僕はどこでしょう?ウォーリーを探せ!

6章終わり

2008-04-17 17:08:31 | 学業
4月16日(水)。

朝6時半から一時間、合気道の朝稽古に参加してから大学へ。

いろいろと文献を探して読むのに時間がかかりましたが、とうとう夜7時、博士論文第6章の執筆が終わりました。時間はかかったけど、この章は、必ず出版できる内容に出来上がったので、満足です。

さて、明日からは、最後のデータ、牛乳検査と流通をまとめる第7章に取り組みます。4月末に書き終える予定。そして、5月半ばには、博士論文全8章、全てのドラフトが完成する予定です。

折りしも、こちらは桜がとても綺麗です。メドウズという公園の八重桜はもうちょっと後かな?気持ちよく仕事が出来そうです。

やっぱり夢が大事。

2008-04-15 07:40:10 | 学業
4月14日(月)。

ウガンダの首都カンパラとその周辺における、牛乳を介して牛から人に伝染する、牛のブルセラ病について論じた、博士論文の第6章も残すところわずかになり、明日には完成してしまいそうな勢いです。残るは、カンパラの牛乳の流通と牛乳検査のデータが第7章に来て、第8章が全体の考察となり、お終いです。

なんだか変な表現ですが、卒業間近になってきたー、という実感が、全身にみなぎって来ました。

なかなか暇もないのだけれど、職探しをしなければなりません。でも、同時に急いで書き上げなくてはいけないのです。ああ、こんな素浪人生活から開放されて、契約でいいから早く働きたい!

どこでどうやって働こうか(仕事が見つかるか)、最近毎日あれこれ考えます。そんな中、昨日、単純だけれどシンプルな言葉との出会いがありました。それは、「夢」ということです。あー、一文字だし、ほんとにシンプル。でも、これを失ったら、生きる原動力も失ってしまう。お金がもらえる(今月頭にちょっともらえました)残るわずかな数ヶ月の間で、夢を再確認して、進んで行こうと思います。なんとかなるさ、なんとかなる。ということで、おやすみなさい。

マオイスト優勢

2008-04-14 08:17:14 | 異文化
4月13日(日)。

先週末から、1999年以来9年ぶりの、ネパールの選挙での選挙について報道されていますが、何と驚いたことに、現在マオイストが集計が終わった128の議席のうち71も勝ち取っています。

1999年といえば、丁度僕たちがネパールにいた頃。選挙はネパール語では、ツナップと言いますが、ツナップの頃は、僕が住んでいた村でも不安定な状況になっていて、結局2000年7月に日本に帰るまで、村長が不在という事態に陥っていました。

1998年にネパールに行った頃は、素朴で平和な国だったのですが、徐々にマオイストのゲリラ活動が盛んになって来て、政府のオフィスや銀行を襲撃する事件も多くなってきました。近くの学校の先生が襲われ、殺害されたという話を聞いてからは、実は毎晩ククリという短刀を枕元に忍ばせて寝ていました。懐かしいなあ。

ある友人は、寝込みを襲われ、銃口を突きつけられてパスポートと、確か政府開発援助プロジェクトの資金を取られました。僕はと言うと、焼酎を飲みすぎて泥酔していた2000年4月のある夜1時頃、住んでいたジリという村からルクラというエベレスト街道の村へ物資を送る停泊中のヘリがマオイストによって爆破され、ジリの谷全体が震えるほどの爆音に包まれた、と言う事がありました。この時、全く気付かなかったので、翌朝近所のおばちゃん達の笑い者になりました・・・。ジリ谷上の尾根にある警察署は、マオイストからの襲撃を受け、銃撃戦となりました。

そして、僕は任期を3ヶ月残して首都カトマンドゥに撤退となり、悔しい思いをしたのでした。

あのマオイストが、国民に絶大な支持を得ているなんて。マオイスト支持者が、どうどうと顔を隠さず(赤く塗ってますが)町を行進しているなんて。10年一昔とは言いますが、信じられない状況です。今後、ネパールで仕事をするとしたら、マオイストと笑顔で仕事をして、家に招待されちゃったりするんでしょうか。そんな時、昔話もしちゃうんでしょうか。実はあの時スパイで、あんたを見張っていたんだよ、なんてカミング・アウトもあるんでしょうか。

2003年に一度村を訪れましたが、その時、よく挨拶をしていた明るいおばちゃんが、久し振りに話していたら、急に泣き出しました。息子が少し前に、家の傍でマオイストに襲われ、銃殺されたそうです。

ネパールで共産主義が優勢になることと、2006年に宣言されたマオイストによる武力活動の停止が守られることを秤にかけたら、前者のほうが僕には喜ばしいことです。今回の選挙は、240年間続いた王政を廃止する決定を正式に認めるものとなります。とにかく、早くネパールが安心して旅が出来る国に戻りますように。

日本の紹介

2008-04-12 18:55:25 | イベント
4月11日(金)。

モーニング・サイドの教会で、親日家のロシア人、イゴリさんが日本文化の紹介を企画してくれたので、日本語教会の皆さんと家族で参加してきました。

僕は、音楽仲間サムと、「ふるさと」を演奏しました。
天馬は、あちこち走り回って、それなりに交流をしていました。10日前に5年鳥取にいた後スコットランドに帰ってきたリサさんとお話して、「あらまあ、見事なエディンバラ・イングリッシュねぇ。」(なまってますねということ)と感心されてました。
妻は、生け花を手伝った後、折り紙ワーク・ショップで、鶴を教えました。

この日はその他、そろばん、書道のワークショップがあり、イゴリさんが、日本へ行った時の写真をスライドで見せて紹介しました。個人的に良かった写真は、浅草にある食品模型の卸売り販売店。よくレストランのショーウインドウに、スパゲティーやカツどん、カレーライスなど、プラスティックのものが展示されているでしょう?あれは日本ならではなので、みんな感心してました。

ブルネイからの友人

2008-04-11 19:38:21 | いろんな人がいるよ。
4月10日(木)。

昨日、10日は、夕食にブルネイ人の友人ロスリが来てくれました。
ロスリは、インペリアルカレッジの修士課程の学生で、2月の統計の研修でご一緒しました。専攻は昆虫学。昆虫学と言っても幅は広く、農業の病害虫対策も、昆虫が媒介する人と動物の疾病対策も、環境の評価、環境の進化(Environmental evolution)も扱うので、とても重要な学問なのです。

ロスリのお姉さんはエディンバラに住んでいて、ご主人共々医学部のポスドクをされているのですが、今回は、お姉さんが長男を出産されたので、しかもそれが兄弟の中で最初の出産だったので、ロスリはロンドンから、ご両親もブルネイから集まって、応援に来たのだそうです。

恥ずかしながら、彼と会うまでは、僕はブルネイという国の存在を知らなかったので、いろいろ知ることが出来て良かったです。宗教はイスラム教で、マレーシアとボルネオ島を分け合っています。観光局のウエブサイトを訪れると、自然豊かな写真が多く、綺麗な布を生産しているようです。意外なことに産油国でもあるようですね。

研修は忙しくて、あまり話す機会もなかったのに、こうしてちゃんと交友関係を続けてくれるのは有難いことです。いつか観光か仕事でブルネイを訪れ、彼と再会出来たらいいなと思います。みなさんも、ブルネイは治安がいいということなので、観光にどうですか?

権力への執着

2008-04-05 09:57:02 | 異文化
4月4日(金)。

日本では、ジンバブウェの大統領選挙の話は報道されているでしょうか?

土曜日の選挙から6日も経った今日、開票は未だ終わらず、接戦の末、1980年の独立以来28年間も大統領の座についていた84歳のロバート・ムガベが、政党の応援を得てrun-off(2者決定戦)を戦うことを宣言しました。

接戦と言っても、2日前には、対立候補のツヴァンギライが過半数を超えて勝利したと宣言しているのです。

2日経っても、報道されている議席数の円グラフは同じままだし、確実にコントロールしようとしているのでしょう。外国人報道陣も拘束されたままだし、この権力への執着というのは、恐ろしいばかりです。

ムガベ政権の下、経済は10万%のインフレ、成人の失業率は80%に達しています。

ウガンダにいた時に大統領選があり、対立候補を逮捕拘束したことへのデモと、学生の学費関連のデモが同時に起こって、その時は催涙弾の餌食になりました。先日のケニアといい、全くアフリカの権力者としたら、どうしてここまで権力に執着するんでしょうか??アフリカには、選挙に負けたら国外へ亡命することも多く、それだけ一度権力から離れたら危険にさらされるのかも知れないけれど、そんなこと国民にとっては関係ないこと。ムガベの場合は特に、国民のことなんか考えているとは到底思えません。でも、半数近くも未だにムガベに投票するのは、分けが分からん。美味しい汁を吸っているのは一部だけだろうし、何故なんだろう???

調査は数ヶ月して来たけれど、やっぱりアフリカは僕の想像を越えています。

国産牛乳を守りましょう

2008-04-04 12:22:42 | お知らせ
4月3日(木)。

今日は、ちょっとお知らせとお願いを書きます。

日本の食糧自給率が低いことは、周知の事実ですが、最近、牛の餌が高くなっていることもあり、また牛乳の値段が本当に長年の間、不当に上げられなかったことから、多くの日本国内の酪農家が、廃業に追い込まれています。

酪農家の方々には、乳価上昇の交渉権がないため(スーパーと乳業メーカーに決められてしまう)、下記の会が現在署名を集めて、乳価引き上げを求める陳情書を、農水省と各政党に提出しようとするところです。

安全安心な国産牛乳を生産する会
http://www1.ocn.ne.jp/~mo-moo/top.html

そこで、このブログは、たまにしか更新しないし面白いことも書かないのでアクセス件数も非常に少ないはずですが、読んでくれたあなた!上記の会のホームページで趣旨に同意されましたら、用紙はダウンロード出来ますので、至急署名して会に送っていただけますよう、お願いします。

消費者にとっては、牛乳の値上げは少々負担かも知れません。しかし、我々と、将来の子供達の食生活を守るには、必要なことなのです。

かつて食糧自給率の低かったイギリスは、第2次世界大戦中に、食糧を輸送する貨物船をドイツのUボートに次々と沈められ、大きな窮地に立たされました。キューバでは、東西摩擦による経済ブロックにより輸入食糧の供給を絶たれ、ちょっとした空き地でも農作物を生産し、食糧危機をなんとか逃れました。

こういった不測のシナリオは日本にも当てはまり、現在でもすでに、安全な国産食糧の確保は出来ていない状況です。

つきましては、目の前に差し迫った我々の牛乳、乳製品という食糧危機回避のために、特にブログや自治体活動などで顔の広い方は、ご協力していただけますよう、私からもよろしくお願いします。