県議選の候補者発表、新春の集い

2015-01-14 13:27:14 | 日々のこと

今日の午前中、今年の10月に予定されている宮城県議選の泉選挙区の候補者発表を行いました。

共産党県委員会の政策委員長の中嶋れんさんです。中嶋さんは、これまでも宮城県の県議団とともに活動し、被災者支援や原発再稼働反対など県民運動にかかわり、政策活動の中心になってきた方です。新人とはいえ、並みの新人とは違います。

さて、先日10日には、宮城県の共産党後援会主催の新春の集いが開催されました。

高橋ちづ子衆院議員が記念講演。21名に前進した共産党衆院議員団の決意が語られました。

 

今年は、地方選挙が連続します。県議選、仙台市議選をはじめ、候補者から決意表明がありました。

こんなパフォーマンスも。

うれしい報告もありました。若林区の庄司あかり仙台市議が衆議院選挙の宮城3区でも候補者として活躍した吉田剛さんと婚約したことを発表しました。年明けから、たいへんうれしいニュースです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「本能寺の変 431年目の真実」

2015-01-04 10:27:01 | 私の愛読書

このお正月は、実家への里帰り等、のんびりと過ごしています。

昨年末の躍進をかみしめつつ、今年の勉強の計画を考えています。

  さて、このお正月に読み切った本が『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著)。

  

 年末のブログにも書きましたが、NHK大河ドラマの舞台にもなる松下村塾。そこで朝鮮や中国を征服するという思想が教育されており、その中心に吉田松陰がいたことを事務所で話題にしていたところ、ある方から、「明智光秀の謀反、千利休や関白秀次の切腹の背景に信長や秀吉の中国侵略計画があったという説があります」と紹介されたのがこの本。正月休みを利用して、一気に読破しました。

  なるほど、これは面白い。これまでの日本史の定説を根底から覆す新説です。当時の文献から裏付けを一つ一つとりながら、「本能寺の変」を再現する。もちろん、私自身は、ここで紹介されている文献を読んではいないので、この本の説が真実かどうかを確認する手立てはないわけですが、でも概ね筋は通っていると思います。

 これまで、「本能寺の変」で光秀が謀反を起こした理由は、怨恨説で、歴史小説も大河ドラマもほとんどこの線で描かれています。しかし、これは江戸時代に書かれた軍記物を参考にしており、その軍記物は、「本能寺の変」の4ケ月後に羽柴秀吉の命令で書かれた「惟任退治記」をベースにしています。マスコミもネットもない時代に、時の権力者によって書かれた「本能寺の変」報告書にどれほど信憑性があるのか、これまでほとんど疑いの目を向けられることはありませんでした。(※私は、この部分を読んで、かつてスターリンがレーニンが死んだ3カ月後に「レーニン主義の基礎」という演説を行い、自らをレーニンの忠実な弟子にカモフラージュしたことを思い出しました。この演説が基になって、今日でも、レーニンとスターリンを同一の流れでとらえている人が大半です)

 著者によると、光秀が信長を討った理由はいくつかありますが、その一つが信長の中国侵略計画を未然に阻止するためだったというものです。その後の、秀吉による朝鮮出兵の歴史を考えれば、かなり真実に近いものがあると思います。秀吉による「文禄・慶長の役」と呼ばれる朝鮮侵略は、15万人が朝鮮に駆り出され、5万人が犠牲になりました。朝鮮側の犠牲者は、もっと膨大なものです。秀吉は、朝鮮人の耳や鼻を切り取ることを武将に命じ、実に凄惨な事態となりました。

 なぜ、本能寺では、信長がわずかな手勢しか同行させなかったのか、これは歴史の謎でした。しかし、単なる油断ではなく、そこにはある計略があった。それを逆手にとって、光秀は信長を奇襲で討った。しかし、実は、秀吉も光秀の謀反計画を事前に知っており、あの中国大返しが実現できた、というものです。

 著者は、その後の歴史の展開から、この説を裏付けていますが、私としては、かなり納得しました。細部については、推測の域を出ないと思いますが(それはある意味当然ですが)、今後「戦国史」を考える大きなきっかけとなりました。

  2015年、かなりカルチャーショックをうけたお正月でした。

  昨年は、「哲学史」を勉強することを重点に年間の独習計画をたてました。達成度は目標の60%くらいで、どこまで理解できたかはおもかく、ヘーゲル「論理学」が半分くらい残りました。いろいろな場面で、自分自身の知識不足と知識のいい加減さを痛感しているので、「哲学」の勉強は昨年をもって一旦打ち切って、今年は「歴史」と「経済学」に重点を移して、学びたいと思います。