ちょっと一息  加藤 幹夫のブログ 

天網恢恢疎にして漏らさず

共産主義の理念を考える

2017-11-01 15:19:43 | 科学的社会主義

  今回の総選挙。前原氏、小池百合子氏による野党分断(バックには巨大な力が働いていると思われるが)という逆流の中、共産党は身を挺して市民と野党の共闘を守り抜き、立憲民主党、共産党、社民党で69議席を確保。最悪の事態を避けることができた。そのことは、選挙後、多くの有識者から共産党へのメッセージにも現れている。

 同時に、共産党自身の反省としては、日常的に共産党の理念を有権者に知らせていく活動がいかに不足しているのか、いかに若い世代に共産党が知られていないのか、痛感させられる結果となった。

 これは、もちろん、私自身の反省でもある。

  「共産主義」とは、本来、コミューン、共同という意味であり、コミュニティセンターなど、日常生活に定着している言葉である。しかし、この言葉が政治的意味で使われると、旧ソ連や中国などを連想させ、「一党独裁」「自由と民主主義の抑圧」など、暗いイメージがつきまとってくる。

 しかし、このイメージは自然にはなくならないし、歴史の事実は消せない。そうであるならば、どうして「共産主義」にマイナスイメージがこびりついたのか、旧ソ連や旧社会主義国はどうして破たんしたのかなど、事実に即して徹底して明らかにする必要があろう。

  科学的社会主義の創始者であるマルクス、エンゲルスは、生涯を通じて、革命論を発展させ、最終的には、議会を通じての多数者革命、平和革命が多くの国々で主流になることを明らかにした。日本共産党は、綱領で政党・団体・個人による統一戦線によって社会を変革することを宣言している。実際、今日、市民と野党の共闘をつらぬく日本共産党の姿勢は、この党の綱領路線から来ているものであり、一時期の場当たり的な戦術では決してない。同時に、これは、日本共産党という世界でもユニークな共産党の路線というにとどまらない。ここには、科学的社会主義の本来の姿が体現されているのだ。

 問題は、「日本共産党の野党共闘への姿勢は評価するが、背景にある『共産主義』はやはり一党独裁であり、不安だ」という有権者の率直な思いだ。ここを事実と理論で納得していただかないと支持は広がらないと思っている。

  現存の自称「社会主義国」、崩壊した自称「社会主義国」は、なぜ一党独裁だったのか。それは、世界の共産党が出発点において、当時のコミンテルン(世界共産党)の支配下(コミンテルン〇〇国支部という形態だった)にあったことに原因がある。コミンテルンは、レーニンの革命論の誤り(マルクス・エンゲルスの理論からの逸脱)から、人類の英知である議会制度を敵視し、資本家を排除するソビエト型の政治制度を世界に押しつけた。それが、スターリン時代に極端に肥大化し、強権的なやり方で世界の共産党に強要された。それに反する動きは、徹底的に抑圧された。自由と民主主義を弾圧、抑圧する体制は、1953年にスターリンが死去し、ソ連国内でスターリン批判がなされたときにも、この誤りの根本は総括されず、1989~90年のソ連東欧の崩壊まで、継続することとなった。

 日本共産党は、試行錯誤を経ながらも、コミンテルンや旧ソ連からの干渉とたたかい、彼らとは一線を画してきた。議会内外の運動と連携し、議会を通じて多数の国民の支持を得るという路線を歩んできた。それは、自由と民主主義を何よりも大事にし、多数者の世論と運動で社会を変えていくという、科学的社会主義(共産主義)の本来の立場を歪める者とのたたかいでもあったと思う。

 一党独裁とは、本来の科学的社会主義とは無縁なものである。複数の政党が国民の前で自由な論戦を交わし、国民の間でそれぞれ草の根活動を強めることなしに、国民主権の政治が発展することはありえない。

  総選挙の結果から、いまそんなことを毎日考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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