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「太宰治」はかつて赤旗を支えてくれた人だった

2016-02-04 23:16:07 | マスコミ・報道

お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹さんは大の太宰治好き。そのせいか、昨年は若者の間で太宰の小説がよく読まれたそうです。彼が理想とした愛や友情、正義のあり方を今の若い心はどうとらえるのか。

青森の大地主の家に生まれた太宰が屈折した思いを抱えながら上京したのは、21歳になる1930年。東京帝国大学文学部に入り、創作活動をつづけながら、波乱の人生を歩んでいくことになります。

太宰上京の翌年、日本は中国への侵略戦争を開始します。当時は「戦争反対」や「民主主義」を口にしただけで弾圧された時代。非合法下で活動していた日本共産党が「赤旗」を通して国民の前に姿を現したのはこの頃でした。

発行し、配るのも命懸け、印刷所も転々と。苦心の末に訪ねた先には太宰の下宿もありました。その時期、彼も党の運動を支えた一人でした。郷里の後輩を頼った工藤永蔵さんは生前、「赤旗」日刊紙に語っています。「赤旗」は待たれ、発行するたびに読者を鼓舞し、激励した。「だからどんなに苦しくともがんばれた」。

 

いま、ふたたび戦争への足音が高まるなかで「赤旗」への期待は大きい。戦争法案をめぐる昨年のたたかいをみても、「今言わなければ」をはじめ百数十人におよぶ各界各層の人びとが紙面で発言。全国でわきあがったデモや集会も連日報じました。

戦争法を廃止し、日本に立憲主義、民主主義を取り戻すたたかいはつづきます。2月1日、88年の米寿を迎えた「赤旗」の役割もさらに。国民共同の新聞として。しんぶん「赤旗」潮流より


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