日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

5月5日

2024-05-08 14:39:37 | 日記
使徒言行録10:44~48、ヨハネの手紙一5:1~6、ヨハネ4:16~23
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二日市教会主日礼拝説教 2024年5月5日(日)

「イエスに従った女性たち―その2」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さまお一人お一人の上にありますように。アーメン。
Ж
これまで考えてきたのは、イエスの十字架と復活という場に、大勢の女性たちがいたということでした。その時、男性の弟子は逃げていたので、残った女性にだけ復活のイエスが姿を現したのだと聖書は書いていました。でもそれは彼女たちにとっては大変なことでした。なぜなら、イエスの復活を告げることが出来るのは彼女たちだけだったからです。彼女たちは伝道者として歩み始めた。福音書が書いているのはそこまでです。

そこで、これから見てゆきたいのは、彼女たちの個々の人生です。もちろん、誰にも共通しているのは、イエスと出会ったことで、出会ったがゆえに従った、従い歩むその先にイエスの十字架と復活があったということでした。にもかかわらず、私たち一人ひとりにも自分の人生があるように、彼女たちにも様々なヒストリーがあったのでした。それを知ることで、イエスに従う生き方には豊かな内容があり、「何々であるべき」という画一的な考えに縛られない自由な発想へと導かれるのかも知れないと思うのであります。

さてその意味で、たくさんいた女性たちから何人か選んで見てゆきたいと思います。最初に取り上げるのはヨハネ福音書4章のサマリアの女です。
なおこの話は、福音書にある話としてはかなり長く、1節から42節まであります。そこで、これを4幕もののドラマに見たてたら、わかりやすくなるかもしれません。そこでその観点から、ヨハネ4章を見てゆきたいと思います。
では、まず第一幕です。1節から15節までですが、内容は、イエスと女の出会いです。緊張感があふれています。続く第二幕は今も読みました。16節から26節まで。女の私生活が明らかになりますが、彼女は果敢にイエスに挑戦してゆきます。
次が第三幕で、27節から38節までここは、本当の食べ物に関するイエスの説教です。最後は第四幕。39節から42節までです。大勢のサマリア人が、イエスを信じたという話です。女はリーダーシップを取っています。

それではまず、全体の背景を考えます。話の舞台はサマリアです。サマリアといえばイエスの「良きサマリア人」が思い浮かびます。そのたとえ話のサマリア人は、ユダヤ人から憎悪されていますが、ユダヤ人の誰よりも情け深い人でした。
本日のヨハネ4章もそのことを念頭に置くとよいと思われます。言い換えるなら、本日登場するイエスは「良きサマリア人」の話をしたイエスでもあるのです。なおユダヤ人とサマリア人が憎みあっていたことは、サマリアの女にも無関係ではありませんでした。

さて、そのことを念頭に第一幕の7節に目を移します。するとイエスは女に「水を飲ませてください」と言います。しかしこれは彼女にとっては身震いするほどおぞましい依頼でした。話は井戸のそばで、水を飲ませてもらうことは、彼女が持参している水がめに口をあてがうことでした。それは彼女や他のサマリア人もそうしていたことで、イエスは自分もそうしたいと言ったのでした。しかしイエスにとっては二つの民族を分断する壁を乗り越えることでした。そういうことだったので、女はサマリア人を代表してその依頼を受ける立場に置かれたのでした。
それと、女がもうひとつ身震いしたのは、見ず知らずの男がいきなり語りかけてきたことでした。それはタブーだったので、イエスは二重に壁を乗り越えようとしていたのでした。イエスの「水を飲ませてください」にはそれだけの複雑な事情が前提なのでした。

ところで、この第一幕の話の終わりを先に見ておきたいと思います。15節なのですが、そこにあるのは女の「その水をください」という言葉です。最初イエスから「水を飲ませてください」と言われて、恐怖の固まりだった彼女が、最後は「その水をください」と言えるほどの関係になっていたのでした。
このドラマの第一幕の演技指導をする人は、終わりの彼女の表情は笑顔であると指示するはずです。なぜなら「その水をください」は心を開いている言葉だからです。第一幕では、二人の関係が、緊張から優しさへと変わってゆくドラマなのです。

しかし、第二幕は、取扱注意所です。16節でのっけからイエスの「あなたには五人の夫がいた」の台詞がでてくるからです。せっかく築かれた二人の友情が、これでは台無しになるのではないか。
実際、イエスのこの言葉を理由に、多くの学者が、この女は不道徳なふしだらな女だったと説明してきました。けれども、それだと第一幕とは大きく食い違ってしまうのです。ところで、アメリカに女性の聖書学者でゲイル・オデイという人がいますが、彼女はこのイエスの言葉のことをこう説明しています。「それは、この女性が5回離婚したと言っているのではなく、レヴィラ―ト婚という当時の中東にあった結婚制度から生じる現象で、何が何でも男子の跡継ぎを残そうと考えた男たちが考案した、しかし女にとっては牢獄も同然の制度だが、現代人には非常に理解が困難である」。
つまり、理解が困難な現代人の聖書学者たちが、そのため彼女をふしだらで罪にまみれた女性だったと、解釈してきたのでした。それはともかく、イエスは彼女に苛酷な人生から這い上がってきたたくましさを認め、目をかけたのでした。

さて、これも女性の聖書学者である福嶋裕子はサマリアの女のことをこう書いていました。「彼女は過去に傷をもつ女だというのは、現代人が現代人の感覚で想定する女性への偏見にすぎない。むしろサマリアの女は、イエスとの対話をとおして礼拝の普遍性の真理を受け入れた最初の人物としてヨハネ福音書では記録されているのである」。
イエスに従った女性たちを、このあとも見てゆきたいと思う次第です。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週、5月12日復活節第7主日
説教題:イエスに従った女性たちーその3
説教者:白髭義 牧師
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