日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

3月26日の説教

2023-03-30 09:50:10 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年3月26日(日)
四旬節5主日
エゼキエル37:1~14、ロマ8:6~11,ヨハネ11:1~45【朗読17~27,38~40】
「マルタという女性」
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先週、火曜の春分の日、松崎保育園で卒園式がありました。歌がいくつも歌われ音楽ゆたかな式でしたが、「おもいでのアルバム」という歌も歌われました。この歌のことは、のちほど取り上げたいと思います。
さて、本日の福音はヨハネ福音書でしたが、1節から44節までの大変長い話でした。かいつまんで言うとこうでした。べタニアという村に、マルタ、マリアの姉妹と兄弟ラザロがいた。ある日イエスは、ラザロが重い病気だという知らせを聞いた。しかし、彼はラザロの死には間に合わなかった。村の入り口でイエスを迎えたマルタは言った。「ここにいてくださったら兄弟は死ななかったでしょうに」。するとイエスは「ラザロは復活する」と言った。イエスはこのあと姉妹と共に墓に行った。そしてイエスが「ラザロよ、出てきなさい」と言うと、生き返ったラザロは布にくるまれたまま出てきたのだった。
ところで、この話の中でのマルタとイエスの会話は、かなり高度な内容になっていました。イエスが「私は復活であり、命である。」と言うと、マルタは「あなたは来たるべき神の子、キリストです」の言葉で応答しました。これは立派な信仰告白で、彼女以外にはペトロしかしていません。従って、彼女はぺトロと肩を並べる弟子なのでした。
なお、マルタはズケズケ物が言える女性でした。墓の前での「もう臭います」は醒めた感覚でないと言えません。ただイエスはここでは彼女を叱りました。「それでは、今あなたが口にした復活信仰はどうなるのか!」。こういうことはペトロにもありました。イエスが自分の十字架を示唆した時、「それはとんでもないこと」といさめたペトロに「サタン、引き下がれ」と𠮟りつけたからです。信仰は失敗しながら成長するしかないという話であります。
なおマルタはあとルカ10章38節以下にも出てきます。マリアが座してイエスの話を聞いていると、食事作りで忙しいマルタが来て、「先生、妹は私にだけ仕事をさせている。手伝うよう言ってください」と言うがイエスは「あなたは多くに気を遣い、心を煩わせている。しかし必要なことは一つ。彼女が選んだそれを取り上げてはならない」と言ったという話です。しかし聖書には、そう言われたので彼女は食事作りをやめたとは書かれていません。
ところで東京のある教会では、婦人会という名称がマルタの会に改められました。私たちはマルタでいいじゃないの。マルタで頑張ろうというわけです。塩川久子という戦前生まれの神学者は言います。マリアは良いほうを選んだだって? 二人はまるで比較可能なように書かれている。しかし、マルタもその時は真剣そのもの。全力投球の姉が妹と較べて無意味なんてとんでもない。教会でも、会堂掃除、食事作りは女性の仕事だった。私たちはマルタ的だった。
ところで、ここからは、「マルタが日本にやって来た」というお話をしたいと思います。それは、明治20年(1887年)の12月のことでした。そのマルタは神戸の港に船から降りたちました。その人はアメリカ人で、名前をハウと言いました。彼女の来日の目的は、日本で多くのマルタを育成することでした。彼女は、日本に来る前は、女子専門学校で音楽の勉強をし、さらにフレーベル保母伝習学校で幼児教育の勉強をしました。卒業後、日本の教会が幼児教育の指導者を求めていることを聞き神戸にやってきたのでした。その当時の日本の幼児教育はまだ保育のプロが皆無に等しく、また幼児を一人格として尊重するという考えも日本人にはありませんでした。
日本に着くとハウはすぐ仕事を始めました。彼女の使命はわが国最初の保育者養成学校を作ることでした。学校の名は頌栄。そのような学校は神戸以外にはなかったので、幼子に奉仕するマルタになりたいと、全国から若い女性が集まってきました。その一人に、東北仙台からの増子としもいました。としが入学したときの学生たちの出身校は、金沢の北陸学院、東京の女子聖学院、神戸女学院、姫路日の本、松山女学校、名古屋の金城、下関の梅光だったりとミッションのオンパレでした。としはこの時期に洗礼を受けました。なお頌栄は今もマルタつまり保育者の養成をしています。
さてとしは、卒業後東京墨田の区立江東橋保育園で働きのち園長になりました。園長室には彼女とお話がしたい園児たちでいつもいっぱいでした。さて、増子としは、ハウ先生が重視していた音楽を自らも重視し、その分野の本まで書きました。その本に収められていた「おもいでのアルバム」という歌を放送局が見つけ、芹洋子という歌手に歌わせ電波に乗せると、あっというまに全国に広まりました。以後この歌は、幼稚園、保育園の卒園式の定番となり今日に至っているのです。先日の松崎保育園でもこれが歌われたのでした。
ところで、音楽の次は絵のお話です。西欧の画家は好んでマルタとマリアの話を絵にしたのですが、絵は必ず、マルタが立ち、イエスは腰をかけ、マリアは地面に座っている。マルタは常にイエスより高い位置に描かれたのでした。しかし、19世紀に入るとモーリス・ドニという画家の「マルタとマリア」の絵はこの3人の配置の構図を打ち破っていました。というのも、二人の姉妹は一緒に並んで、テーブルの反対側のイエスと向かい合い、マルタは両手でパンが乗ったお盆を捧げ持ち、イエスの前にはぶどう酒が入ったグラスが置かれていたからです。まるで、マリアは初めての聖餐に与ろうとしており、マルタはその聖餐式のお手伝いをしているがごとき絵なのでした。
ところで、聖書学者の福島裕子は、マルタはとっくにイエスの弟子だったが、妹はこれから弟子になろうとする途中だったと見ています。だから、イエスが、「マリアの邪魔をしてはならない」と言ったのは、叱責でもなく、姉妹の優劣を云々するような言葉では全くないのでした。福嶋教授はこうも書いていました。「世の中の人間には、マルタとマリアの二つのタイプしかいないのだから、どちらが偉くてどちらが劣るという議論はあまり意味がない」。
なお、神戸の頌栄はあくまで一つの例ではありましたが、婦人宣教師ハウという米国のマルタから学んだ日本のマルタたちは、さらに多くのマルタを育ててきたという事実は覚えておきたいと思うのであります。
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3月12日の説教

2023-03-13 12:32:30 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年3月12日(日)
四旬節3主日
出エジプト17:1~7、ロマ5:1~11,ヨハネ4:5~42
「サマリアの女」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
本日の福音は、「イエスとサマリアの女」という、ヨハネ4章5節から42節までの大変長い話だったので、その一部だけを読みました。そこで、この話の全部のあらましを見ておきたいと思います。
ある日、イエスはヤコブの井戸のそばに座っていた。そこにサマリアの女性が水を汲みにやってきたので、イエスは彼女に水を飲ませてほしいと頼んだ。ところが、サマリア人とユダヤ人とは声を交わすことも禁じられていたので、彼女はびっくりした。するとイエスは、あなたにものを頼んだのがいかなる人間かわかれば、あなたの方から私に水を求めるであろう、なぜなら私の水は、一度飲めば永遠に渇きを癒すからだと言った。そこで女はますます驚き、それならその水を飲ませてほしいとイエスに迫ったのだった。
女は彼が預言者だと確信した。話題がメシアのことになった時、イエスは、そのメシアは自分のことだと言い始めた。その時、食料の買い出しに行っていた弟子たちが戻って来て、イエスが見知らぬ女と話しているのを目撃して大いに困惑した。しかし女は、持参した水がめをそのままに大至急町に行き、人々に「私のことを何もかも言い当てた方がいる。メシアに違いない」と話した。それを聞いて、人々はイエスの所にやって来て、彼を見て信じた。イエスは町に二日滞在したので、もっと多くの人たちが彼を信じた。
以上が概略です。ところで、この話には、人が興味本位の関心を抱く話がありました。16節以下で、イエスが彼女に「あなたの夫を呼んできなさい」と命じると、女は「私には夫はいません」と答える。イエスは「そのとおりだ、今一緒にいるのは夫ではないから」と言う。又「あなたには5人の夫がいた」とも言う。以上が色々な憶測を呼び、女が悪いイメージを抱かれるもとになりました。つまり、彼女は性的にだらしなかったので、イエスはそれを注意し悔い改めを促した。女は深く悔い改め、立ち直った。そういう話だと言われた。以後彼女はそのイメージで、教会で語り継がれたのだった。
しかし、これがとんでもない誤解であることは、少々冷静に考えればすぐわかることです。第一聖書のイエスは他人の罪をあばいたりとがめたりすることしていません。しかし、彼の「あなたには5人の夫がいた」の言葉に、人は彼女のふしだらぶりを想像し、眉をひそめてきたのでした。けれども、イエスが言う「夫」は、あくまで正式な結婚をした相手の男性のことでした。
ですから、「5人の夫がいた」は文字通りなら、最初女は正式の手続きを経て結婚したが、その後別れた。次にまた正式の手続きを経て結婚し別れた。これが5回繰り返されたので、夫が5人だった。でも、これはほとんどありそうではありません。それに、当時の女性は自分から夫と別れる、つまり離婚はまず不可能でした。つまり「あなたには5人の夫がいた」を含めて、現代人には理解が難しい古代社会の婚姻制度が背景にあって、謎の部分が多いのです。
ところで、そういうことに心を奪われているうちに、一番大事なことがあいまいになってしまった。これが教会の歴史なのです。なぜなら、ヨハネの第4章は、聖書の中でもきわめて特別な立場にあるからです。それは25節以下のことです。すなわち女が「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています」と言い、イエスが「あなたが今言ったキリストはこの私だ」と答えた。この会話こそが聖書では突出しているからです。
というのも、ここでイエスは女に、自分はキリストだと打ち明けたのですが、そういうことはこのヨハネ4章だけなのです。なぜならイエスは誰にも自分はキリストだと言ったことがないからです。最高の弟子ペトロに対してすら言ったことはありません。つまりこのサマリアの女だけなのです。ヨハネ4章はそういうことですから、よく記憶されなければならない箇所なのです。
なお、イエスがキリストであることが明らかになるのは、イエスが十字架で死んで三日目に蘇ってからです。生きている時はサマリアの女以外は知らなかったということを聖書は言っていたのでした。
ところで、来月の8日(土)から福岡美術館でミュシャ展が開かれます。アールヌーヴォの旗手と呼ばれるミュシャは19世紀末から20世紀初頭フランスで活躍した画家で、グラフィックデザイナー、イラストレーターとしても有名です。美しい女性が次々登場するポスター画が特に人気で、そのポスター画の中に『サマリアの女』という絵があるのです。まさに聖書のサマリアの女の絵なのですが、彼女も美しい女性として描かれています。そして、人目を引くのは彼女に足もとに、裸でうずくまっている男が描かれていることです。この男、実は「善きサマリア人」の話で強盗に襲われ丸裸にされた旅人の絵なのです。つまり、一枚の絵の中に「サマリアの女」と「善きサマリア人」が同居している、これが何を意味しているのか、画家ミュシャの頭の中に何があったのか、興味深いことではあります。なお、このサマリアの女が福岡美術に出品されるかどうかはまったく分かっていません。
なお、ミュシャはチェコの出身です。チェコといえば昨晩の侍ジャパンが対戦したのもチェコですが、ミュシャのフランス滞在期間はそう長くはありませんでした。あとはチェコに戻って、腰を据え、今までとは違った画風の絵を描きました。ところが、その後チェコに侵攻してきたナチス・ドイツが、ミュシャの絵には危険思想があると断じ、逮捕し、長々と厳しい尋問をした末に釈放。しかし、釈放された時はもう78歳。そのあとすぐ死にました。ところで、フランス時代の作品には「主の祈り」というのもあると文献には書かれていました。
以上見てきたように、サマリアの女の話には、色々考えさせられることがありました。その中で特に忘れたくないことは、彼女についての教会の解釈には偏見があったことです。教会も間違いを犯すという話ではあります。
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3月5日の説教

2023-03-08 15:22:21 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年3月5日(日)
四旬節第2主日
「神の愛とは」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。このメッセージを人に伝えることが自分の使命であると感じている若者がオランダにいました。その名はヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。のちには画家の道を歩む彼は、今はキリスト教の伝道で身を立ててゆくことを真剣に考えていました。
ゴッホは、その父親が牧師であり、またその家系にも牧師だった人が何人もおり、彼も子供時代から、聖書を読むこと、お祈りをすることは身についており、自分の招来を牧師として考えるのはごく自然のなりゆきでした。
ゴッホは、1853年、オランダのズンデルトという町の牧師館で生まれました。彼は長男で、下に弟と妹が5人いましたが、その中の一人、テオという名前の弟も兄同様あとで有名になります。16歳になると、親戚の半強制的な世話でハーグという町の画廊に就職しました。最初は働き者の評判でしたが、一人の少女に恋をしてふられてからは急に無口になり、そのためか聖書にのめりこむようになり、仕事に身が入らなくなり、パリ支店に左遷となりますが、そこでも勤務態度が好ましくなく、ついに解雇となりました。
画廊とは美術品を売買する仕事でしたが、彼はその仕事をあまり好まず、今後の人生を考え始め、自分はキリスト教の世界でやってゆこうと思いました。しかしそれは、その仕事を介して人々に救いの手を差しのべるという意味で、宗教に逃避する姿勢ではありませんでした。さて、そのため彼は、神学校に行く決意をしました。ところが神学校に入るためには、ラテン語とギリシア語の試験をパスしなければなりませんでした。夢中で勉強しましたが、ラテン語はかろうじてなんとかなったものの、ギリシャ語で落とされてしまいました。
そこで今度は、さほど難しくはない伝道者養成学校に入学し、そこを出たのちベルギー南部の炭鉱地帯に行き、おそらくかつて筑豊にもあった炭住と同じ感じの住宅を間借りし、教会にある伝道委員会に許可してもらって、半年限定の臨時の説教伝道者として働き始めました。そしてその土地でバイブルクラスを開き、子どもたちの勉強を見るようになり、病人たちを見舞うという内容の仕事が始まりますが、これこそ彼がいちばん望んでいた仕事だったのでした。
ただ、そういうことをしているうちに、もっと困難な仕事をしなければという思いに駆られるようになり、お金もベッドも服も貧しい人たちにあげてしまい、ガランとした部屋での寝泊りを始め、自分は炭鉱夫たちと共に生きるのだからという思いから、地下700メートルの坑内にまで入ってゆき、そこで爆発事故が起きると重傷を負った炭鉱夫に寄り添いわが身のように介護するなどの行為に及んだために、伝道委員会は、そういうのは伝道師の仕事から逸脱しているから止めるようにと勧告してきました。けれども彼が言うことを聞こうとしなかったので、教会は彼の伝道師の身分をはく奪した。要するにクビにしたのでした。
しかしゴッホはなおも留まり続け、ずっと以前から始めていた絵を描き続けます。それは、炭鉱夫やその家族、その生活用品や、石炭掘りの道具などのデッサンでしたが、それを描きつつ心は、本格的に画家になることに傾いてゆきました。この時期が、のちに世間が認める本格的な画家になった出発点だったのでした。
ところで、ゴッホの生涯はきわめて短く、37歳で亡くなっています。そして本格的な画家になるためパリに出て行ってから死ぬまではわずか5年でした。しかし、その5年でのちの人々が目を見張るようになる名画を次々と生み出したのでした。けれども、美術史という専門的な観点からすれば、フランスに行く前にも書き続けていた5年間も絵画制作活動をしていたのであり、従ってゴッホの画家としての活動期間は10年と見なさなければならないのでした。しかしその前半つまり炭鉱町で描いた5年間はそれほど注目されないままに今日に至っているのであります。
しかし、考えてみれば、若い頃あれほど牧師の仕事がしたいと思っていた彼でしたが、後半その考えを大きく変えていたのでした。それはズバリ言えば教会への不信でした。それに対して、教会は彼を無能で社会への適応力のない人間と見なしていました。従って彼が炭鉱町で本格的な画家になろうと決意したことは、既成の教会と決別することなのでした。
しかし、美術研究家の木下長宏さんは言います、それは信仰を捨てたと言うことではない。既成のキリスト教への失望がかえって、真実な信仰を見つけたいという思いなったにすぎないからである。木下さんは言います。その時期のゴッホには、真実な信仰に近づくためには、芸術こそが有力な方法だと思えたのである。
ところで、木下さんは、ゴッホ絵画の宗教性を語っているユニークな学者です。しかし、ゴッホはキリストの絵は一枚も描いていないのです。けれども木下さんは、ゴッホの自画像に注目しなさいと言います。そのあまりにも短い生涯に描いた自画像があまりにも多いからです。そこで木下さんは、ゴッホはキリスト像を描くようにして自画像を描いていたと言うのです。けれどもこの種の議論は、かなりの知識や絵画理論も要求することなので、わたしたちはここまでにしたいと思います。そこで木下さんの言葉をあともうひとつ。「ゴッホの自画像の中にイエス的なものが立ち現れる」。
ところで、ゴッホのように教会から離れていく人間を、教会内に留まっている人たちは脱落者と見なしがちです。けれどもゴッホの宗教性は生まれながらに備わっていたもので、それは死ぬまでそうだったと木下さんは言います。つまり、人の信仰は外見だけでは判断できないということでしょうか。そのことを私たちも、自分のこととして受け止めてみたいと思うのであります。

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2月26日の説教

2023-03-04 12:20:48 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年2月26日(日)
四旬節第1主日
創世記2:15~17,3:1~7、ロマ5:12~19,マタイ4:1~11
「人はパンのみにて」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 2月21日付けのキリスト新聞は次のように報じていました。「世界各地のルーテル教会の共同体であるルーテル世界連盟は、トルコ・シリアの壊滅的な大地震が発生した直後、支援金の寄付を呼びかけるとともに、現地パートナーであるカリタス・シリアと協力して救援活動を行うことになった。日本福音ルーテル教会は、この活動を支援するため、差し当たって災害支援基金より100万円を送金。さらに支援を続けるために個々の教会にも寄付を呼びかけている」。なお、二日市教会も募金箱を受付に用意しましたのでよろしくお願いします。

 さて、本日の聖書朗読は、最初の二つが創世記とローマの信徒への手紙でした。この両者にはアダムという言葉が出てくる共通点がありました。創世記は、アダムが蛇の誘惑に負けたこと、ローマ書は、そのアダムから人類の罪が始まったことを書いていました。私たちにも大いに関係があることが書かれていたと言う感じでした。
 ところが、三番目のマタイ福音書の4章「誘惑を受ける」ちょっと違う感じがしました。なぜなら、その話の誘惑の対象は神の子だったからです。この話には、イエスが受けた三つの誘惑が出ていますが、それは自分にも関係がありそうと思い込む人もいます。けれども、それはありえません。なぜなら、私たちは神の子でもキリストでもないからです。
たとえば最初の「石をパンに変えよ」がそうです。なお、イエスの三つの誘惑の話は、悪魔に都合がよいことは何かを知る機会になります。それを念頭に見ると、どこにでもある石ころをパンに変えて民衆に投げ与えたら、彼らは感激してお前について来るだろうという誘惑でした。リーダーに盲目的に従う民衆こそが、悪魔のつけ目だからです。
しかしイエスは「人はパンだけで生きるものではない」で反論しました。人間を真の意味で生かすのは食物ではない、神の言葉だからだ。神への徹底的な信頼を訴えるのがイエスでした。
さて第二の誘惑を悪魔は巧妙に仕掛けました。お前が神への徹底的信頼を言うのなら、その信頼でここから飛び降りて見よと言ったからです。さらに、飛び降りに成功したらお前の名声は全国に広まり、人はお前を奇跡の聖者としてあがめるであろうと囁きました。奇跡を自分の名声のために利用せよという誘惑でした。
最後は非常に露骨な誘惑でした。悪に屈すれば全世界はお前のものになる。悪の力はしたたかであるから、神の名のもと世界を統一する際も、悪の力を利用しない手はないだろうという誘惑でした。
このようにイエスの誘惑は、神の子だからこその悪魔の誘惑でした。それを眺めながら自分は関係ないさと傍観してよいのかと問えば、そうでもなさそうだということを考えてみたいと思います。
 さて、関係ないとは言えない言ったのは、ドストエフスキーでした。小説『カラマゾフの兄弟』でそう書いたからです。なお、小説は分厚いので全部読むのは大変。その中の「大審問官」という章だけ読めば分かると思います。
「大審問官」の背景は中世スペインです。スペインはずっとカトリックですが、大昔異端審問という残酷なことを教会自身がやっていました。その裁判の統括者が大審問官で、大審問官は善男善女である信徒たちの信仰生活にも立ち入っていました。
さて、話はセビーリヤの町で、ある日よそ者がやってきました。すると人々はすぐ、あれはキリストだと気づき、群衆が押し寄せ、大歓声が沸き上がります。するとそこを大審問官が通りかかり、彼もキリストだと気付き、逮捕させました。すると群衆は態度を変え、大審問官にひざまづいたのでした。
このあとキリストは大審問官の尋問を受けます。大審問官は言います。「お前は今さら何をしに来た。我々の邪魔をしないでくれ。お前の役目は終わっているのだ。お前には今さら、教会を改革する権利はない」。さらに大審問官はマタイ福音書の三つの誘惑を取り上げました。
それからキリストに、お前は人間の本性が分かっていないと言います。なぜなら、悪魔になびくのが人間の本性なのに、お前はその本性から人間を解放して自由にすると約束した。だがその自由こそ、人間を途方に暮れさせることをお前は知らなかった。なぜなら、人間は自身で善悪を判断するのは大変な重荷なので、ただひれ伏して権威に盲従したいのが人間の願望だったからだ。
 つまり、大審問官の教会はキリストなきあと、キリストが人間に負わせようとした自由を取り上げ、人々が本性のおもむくまま幸せを満喫できるようにしてきた。それなのに、お前はそれへの反逆を呼びかけるように現れた。だが、もう遅い。用はない。今すぐ立ち去れ。
大審問官が長い説教を終えると、キリストは大審問官に静かに接吻をして町を立ち去った。以上が大審問官の話です。奇妙で、しかし印象深いこの話は、多くの人々にたくさんのことを考えさせてきました。特に、「宗教とは何か」の問題にぶち当たった時人は、「カラマゾフの兄弟」を読みました。ただ、聖書のことやキリスト教のことをほとんど知らない人にはかなり難解な小説ではなかったかと思うのであります。
それはともかく、神の力を自分の都合のために利用してはならないというイエスの言葉は、神の子ではない私たちにも無関係ではないという思いにさせられます。
 ところでイエスは、悪魔に服従する道でなく、受難と死という神の意志に服従する道を選びました。その選択が、自分の人生とどうかかわるのか、それを考えることも、また私たちの生きる道ではないかと思うのであります。
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