カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『几帳面』

2007-02-28 08:36:53 | Weblog
 地下鉄のそのまたはる~か下を通る地下鉄に乗っている。


 地上から何メートル下がったのか。


 意識するとチョッとだけ息苦しいような気がするが、瞬時に忘れている。


 都内では新しくできたといっていい(はずの)地下鉄。


 車両が従来のものよりコンパクトで、ぼくらサイズが乗り込むと迷惑なんじゃないかという気すらする。っていうか狭い。雰囲気は14年前に新婚旅行で行ったロンドンで乗る機会があった地下鉄(Underground(通称TUBE(チューブ)))に似ている。ちょっとだけ。


 通勤電車。


 ぼくはとにかくラッシュタイムの人の混雑が好きではない。満員電車が好きな人はあまりいないと思うが、ぼくは積極的に好きではない。


 ぼくの時間だと座れる可能性も高い。たかだか30分弱なのだからメタボなカラダにムチ打って立っていけばいいのだろうが、なかなかどうして人は弱い、楽な方へ傾く。


 新聞や本を読んでいることが多いのであっという間に降車駅ってことが多い。


 飲みすぎた時や寝不足の時はあたたかいシートと適度な揺れがありがたい。




 一応暗黙のルールみたいなものがあって、自分の立っている前の人が降りるとその空いたシートに座る権利が発生する。まれにオバタリアン(死語?(爆))様が強引に、そして、どうすればそんなに俊敏に動けるんだ、というくらいの勢いでお座りになられるが、まぁそれもご愛嬌。座りたかったんだからね。おおらかに、おおらかに。


 ところでぼくの隣に立っている中年サラリーマンさんの前の席が空きました。


 じろじろ観察したわけではないのですが、たっている時も背筋をピンと伸ばして、やせていて、銀縁のめがねかけてて、あたまもちょっと薄くなっていて、真面目を絵に描いたような方。(勝手な想像です。ゴメンナサイ。)


 その方はおもむろに着ていたスプリングコートを脱ぎ、丁寧にたたみ始めました。


 それを網棚にのせたビジネスバッグの上にそっと重ねてシートに腰をおろしました。


 あ~あ、こういう人が『几帳面』って言うんだなと。モノを大事にするというか、良くない表現をすれば神経質。だからやせてるし。そうそう、太っていて神経質な人っていなくないですか。(笑)


 ぼくは背広やシャツのハンガーへの掛け方すら悪くていつも妻に教育的指導を仰いでいる。しかし「新しいもの好き」で妻がゲットしてきた服なんて次の日には袖を通している。そして、それを片付けるときにまたまた指導を受ける。


 話を戻すが、その中年サラリーマンさん、座っているいる時でも背もたれに背中を付けていない。お背中ピ~ンだ。


 そういえば、ぼくも高校球児だった頃、移動中の電車やバスの中で「つま先立ち」していたっけ。子供の頃に夢中になった「巨人の星」の影響だったと思う。足腰を鍛えるつもりでいたが、根拠など無い。でもやせていた。


 ハッとして、朝の通勤途中に何を考えているんだと思った瞬間に降りる駅に地下鉄が滑り込んだ。


 降りる時にもう一度目線を向けると。


 中年サラリーマンさんはやっぱりお背中ピ~ン。だった。


 
 地下鉄のそのまたはる~か下を通る地下鉄から降りて。


 地下から何メートルも浮上していく。


 ようやく地上に出て深呼吸して歩き出す。


 後ろから「ピ~ン」「ピ~ン」と気配がする。


 「えっ、おじさんにつけられちゃった?あんまりジロジロみてたからまずかったか。」



 と思っておそるおそる後ろを振り返ったら



 東京タワーが


 ピ~ンと


 空に向かって



 立ちすくんでいたとさ。







 神に感謝。
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『「だって、もう何も」』

2007-02-27 08:29:10 | Weblog
 先週の土曜日に侍者講習会が開催された。これからも継続的に開催される。



 基本から叩き込まれた。(笑)



 案の定「やっぱりわかってなかったじゃん。」て事のオンパレードで、それゆえに大変勉強になった。



 急に思いついたので的確さを欠くかもしれないが



 オーケストラに例えて言うなら



 司式司祭はコンダクターで



 侍者はコンサートマスター(コンマス)みたいなものかな。



 会衆が様々な楽器を持って集まってきて、それこそ様々な弾き方で、様々な音色を奏でている。



 もちろん演奏曲はみんなが共通認識している「ミサ」という楽譜。



 当然だけどいわゆる「初見」(初めて楽譜を見るっていう意味)の人もいるわけです。



 だからコンマスは演奏というパフォーマンスを前にして、しっかり準備して、ピシッと引き締めたり、演奏中にアイコンタクトして、微妙な部分をアジャスト(調整)したりしてコントロールするみたいなイメージ。



 なんだけど、決して出しゃばってなくって、それでいてキリッとした存在であり続けるもの。



 「そういえば、今日の侍者って誰がやってたか覚えてないけど、なんか清々しくて、引き締まった雰囲気だったよね。」ってのが理想みたいな。



 こどもたちが見ていて「いつかやってみたいな」って思えるような美しい立ち振る舞い。かっこつけてるだけじゃない感じ。



 表現は良くないが、二日酔いだろうが、寝不足だろうが、気持ちが萎えていようが、心にさざなみが立っていようが



 やるからには、真摯に向かわなければならない。



 勉強会の後に娘の勉強を見る約束をしていたので弱冠後ろ髪を引かれながらも帰ろうと思って司祭館を出たら



 外でひと休みしてた、神学生のゆうじから声がかかった。



 「ハシパパと分かち合いをしたいことがひとつだけあるんだ。」



 ぼくは足を止めた。



 「もう、何でも来いって感じになってる。」



 『「だって、もう何もこわいものないんだもん。」』



 ぼくは正直「うらやましい」と瞬時に思った。



 彼のこの現時点でのフィーリングについては誰一人評論するものでもない。言葉尻を取ってあ~だこ~だ言うセンスだったら陳腐すぎるし。またそれを人に言わせないのが彼の「真っ直ぐさ」なんだよね。



 つまんない評論家気取りでないことを自覚しながらぼくは



 「那須から帰ってきてから、骨太っていうか、前から骨太なのは知ってるから、何ていうか突き抜けたっていうか、太い骨にしなやかな筋肉が付いてきたっていうか、颯爽としてるよね。」



 と正直に口にした。



 教会はホントに懐が深い。



 こうなったら神学生三連発にしよう。(昨日の分から数えて)




 教会報「いしずえ」の500号記念の紙面にパブロの文章が載る。昨日校正で目を通した。



 そこにしるされている文字は力強く、地に足がしっかりついて、これから太い根っこが生えることを予感させる(もうすでに始まっている)ゴキゲンな文章が跳びはねていました。乞うご期待。




 「乞うご期待」って言葉は何とも素敵だ。






 神に感謝。
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『「はい、そう思います。」』

2007-02-26 08:37:19 | Weblog
 ミサ前の控室で神学生のあっちゃんが言った。



 「今日の聖堂の雰囲気いいですね。凛としていて。」



 Pくんが続く



 「ぼくは、ほんわかあったかい感じがする。」






 洗礼志願式







 教会的に、正式にというか、公(おおやけ)に「洗礼」を「望みます」と志願し



 この日を迎えるにあたってココロとカラダと少しのお勉強などトータルで「準備は良いですか~。」という問いかけに対して



 要理担当者、入門係など準備をお手伝いさせていただいた者みんなが



 「準備万端ですよ~」の気持ちをこめて



 『「はい、そう思います。」』と言う。



 4月7日の復活徹夜祭での洗礼式に向けての荘厳で清々しいプロセス。



 このプロセスの一端に携われる幸せ。



 そして、その志願者の中に自分の母親がいることのお恵み。



 侍者を務めさせていただきながら



 まばゆいばかりの光に目を細めた。



 「顔が輝く」から。



 ホントなんだからね。



 聖香油をいただく列に並ぶ一人一人のみなさんのに



 「ほんとにほんとによかったね。」と心底思った。



 「ひとりひとり全員を抱きしめてあげたい。」って言った人いたけど



 全く同感。



 どれほどの暗闇をどんな気持ちで、時に駆け抜け、時につまずき、時に這いずり回って来たのだろう。痛いほど気持ちがわかる。



 「もう、だいじょうぶ。安心して。」



 やっぱりそう言いたくなるのです。



 今日教会に来れなかった方のためにも信徒全員が心をひとつにして祈りました。



 心配しなくてもだいじょうぶです。



 すべては神さまがなさっていることだから。



 復活徹夜祭、いまからワクワクしちゃいます。







 いつまでもいっしょに。ねっ。







 神に感謝。
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『おふくろの味』

2007-02-23 18:15:54 | Weblog
 母に体力と気力が戻ってきたようだ。



 ここ数日、台所に立っているのがその証拠だろう。



 神さまに感謝します。



 教会に行きはじめてから、というか行けるようになったことがとても自信になっているようだし、いろいろな方から励ましの言葉をいただいて心強いのだとほんとによろこんでいます。



 もちろん、なんてったって



 「信じること」



 をはじめられたことが絶対的だし



 「安心して委ねてもイイのだな」と感じ始めていることも相乗効果になっているのだろう。



 母の料理がテーブルに並ぶ。



 ほんとに久しぶりの『おふくろの味』だ。



 母は、しきりに出来栄えを気にして



 「味はどう?濃い?しょっぱくない?」と聞いてくる。



 ぼくは、刺激のつもりで



 「ちょっと、塩味っていうかお醤油ききすぎじゃないかなぁ。」とかなんとか言ってみる。



 クチダケオトコの本領発揮だ。



 今の段階で味などたいしたことではない。






 「美味しくできてるよ。おかあさん。」





 心の中で


 そっとつぶやく。





 神に感謝。
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『灰』

2007-02-22 08:37:48 | Weblog
 「回心して福音を信じなさい。」



 「人」の肉体は焼かれれば、ほんのひとつかみの「塵(ちり)」であり、『灰』となります。 



 額に『灰』で十字を刻まれる時、自分が『灰』のような、「塵」のような無力な者である事を思いおこして、主の御前に深くへりくだります。



 神父様はお説教で言われました。



 「自分の行いに対する評価を期待していたのではないか。」



 「過信してはいけない。」と。 





 主はアダムに仰せられました

 「ひたいに汗して、あなたは、糧(かて)を得るだろう、土にかえるまで。 

  あなたは土から取られたものだから。 

  あなたはちりであり、ちりに帰らねばならないものだから。」(創世記3:19)。




 家に帰り着き



 鏡に映った自分の顔を見た



 額に塗られた『灰』が



 とっても



 とっても



 大きく感じた。





 回心  節制  愛徳





 神に感謝。
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『あても無く』

2007-02-21 09:07:33 | Weblog
 ぼくはいつも、向かいの家で飼われているトイ・マンチェスター・テリアのピクシーくんが羨ましかった。


 
 彼はぼくと違って小さくってかわいい。



 ぼくらの洋服であるカラダに生えてる毛だって、短くてピカピカだし



 なにしろ引き締まったカラダをしてる。



 ぼくは人間だったらメタボリックなんとかって部類に入るんだろうな。この前テレビでチラ見した。



 今朝も、活発でちょっと神経質な彼は、飼い主さんと散歩に出かけたよ。



 あの、「さあ、これから散歩に行くよ~」って時の飼い主が近づいてくる瞬間、そう首輪にリード(散歩ひも)が付けられて飛び出す瞬間ってたまんないんだよ。



 ちょっとした開放感というか、もうどうにもこうにも止まらない勢いみたいなものがカラダから溢れ出してくる。ガ~ッて感じさ。

 

 たまにいつもより猛ダッシュしたらこのリードから解き放たれて自由になれるんじゃないかなって思うんだけど、そうやって野良犬になった友達も結構苦労してるみたいだから、どっちがしあわせかなんてわかんないね。



 でももし首輪が抜けたり、リードが切れたりしたて自由になったらどうなるだろうって良く考えることがあるんだ。



 好きなだけ走り回って、行ったことないとこ行ってさ、好きな電柱選んでおしっこしちゃってさあ、イイかおりのする女の子のところへ行ってじゃれ合ったりね。



 寝るところだってもうどこでも好きなところでって感じで。






 あれっ、あれあれっ、チョッと待ってよ~、ぼくの飼い主さん昨日の散歩から帰ってきた時にリード付け忘れちゃってるよ。ぼくはいつもの習慣でいつものこの犬小屋でゴロゴロしてたけど・・・。



 どうしよっかな~、いまだったら自由な世界に出て行けるよな~。



 いまの飼い主さんも全然嫌いじゃないんだけど、もっともっとイイ人いるかもしれないしな~。



 でもずっとこの環境にいたからちょっと不安だよなぁ。



 でも思いっきりダッシュしてみたいよなぁ。



 でもあの角曲がったら車がビュンビュン走っている大きな通りあるんだよなぁ、反対側に渡れないかもしれないよなぁ。



 食べものだって何とかなるのかなぁ。水だって勝手に飲んでもイイのかなぁ、それよりどれが飲めて、どれが飲めないのかな~。ぼくたち犬は鼻が利くからわかるのかな~。



 その前に、この家の門を飛び越えられるのかなぁ、このカラダで。何の準備もしてきてなかったしな~、昔はジャンプ力だけは自信あったのにな~。



 あっ、向かいの家のピクシーくんが散歩から帰ってきた。彼だってホントは、ねずみ捕りの名人じゃなくて名犬になるように外国で改良されたんだって聞いた。人間て恐ろしいことするよね。彼の本能っていうかDNAにはしっかりそんな情報が刷り込まれているのだろうけど、ねずみを捕ったの見たことないや。



 これから食事の時間だな、きっと。



 そういやあ、ぼくの飼い主さんは忘れちゃってるのかな~。



 う~ん、なんかイイにおいしてきたぞ。



 ごはんだ、ごはんだ。



 とりあえず腹ごしらえさ。



 今日は何かな~。



 おっ、肉だよ肉。



 めずらしいな~。うまそ~。



 えっ、ちょ、ちょっと待ってよ~。



 今日って「灰の水曜日」じゃん。



 肉、食えない日なんだよ~。



 なんだよ~、もうイイや



 チクショ~。



 とにかく飛び出すぞ。






 雑種のぼくは都会という荒れ野にとびだした。





 『あても無く』





 四旬節のはじまりはじまり。






 神に感謝。
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『切れ味』

2007-02-20 08:02:25 | Weblog
 スパッといこうよ



 そう思った途端に



 雨が降ってきた



 えっ、天気予報は雨だったんだ



 傘がないや



 でもイイ



 外に出ないから








 スパッといこうよ



 って思った途端に



 重い低気圧



 ぼくの切れ味に嫉妬してるの?



 レインコートじゃないや



 でもイイ



 止まない雨なんてないから







 雨は



 結構



 好きかも







 すっごくうれしいことがあった



 ケイタイから聞こえてきたその言葉は



 冷たい雨も



 かったるく垂れ込める雨雲も



 一瞬で吹く飛ばしてくれたね



 「この前あなたが、『おやじの会』に招待した男性の方いたでしょ。その方の奥さまがたった今、そのご主人の洗礼志願書を提出に来られましたよ。奥さまが「きっとluke8488さん、驚くでしょうね。」って言ってましたよ。」って。



 神さまの



 『切れ味』は



 やっぱりすごいや。







 ぼくらは砥石。



 そうか今日の雨は



 砥石の効果を出させるための



 必要な



 恵みの水だったんだね。




 そうだ




 ヨシッ




 スパッといこう








 神に感謝。
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『4と5のハザマ』

2007-02-19 08:42:33 | Weblog
 4と5のあいだには



 ポツンと



 小さい



 でも、ちゃ~んと



 意味のある



 「.」(point)があった。



 数字遊びに見えたかもしれないけど



 結構重く刻まれた



 ぼくたちみんなの「意思表示」



 わたしたちみんなの「情熱」



 その空間にいたみんなの「愛」



 みんなのココロからの「VOICE」



 いってらっしゃいの「気持ち」



 そして「感謝」



 4と5のあいだには



 「無くてはならない」





 
 「.」(point)があった。






 Live『VOICE』4.5



 とってもとっても大きな



 光り輝く



 「しるし」だった。



 楽しかった。



 うれしかった。



 新しい出会いもあった。



 笑った。



 涙も出た。



 自然に、ほんとに自然にカラダが踊り



 ココロが躍った。



 準備から打ち上げまで



 たくさんの人といろんな場面で話をした。



 アイコンタクトをした。



 「普通のことじゃん。」



 そう、普通のこと。



 でも「いま」は



 味わい深く



 意味深長に



 そしてなにより具体的に



 ぼくを救う。



 出演者のみなさん、スタッフのみなさん



 会場に来てくれたみなさん



 応援してくれたみなさん



 本当にありがとうございました。






 さ~て



 次は



 どこへ向かおうか。







 神に感謝。
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『ちょっとキラリ(きっかけにしたい)』

2007-02-17 19:09:56 | Weblog
 今日、入門講座で話を聞いていて



 ドック~ンと



 ガッツ~ンと



 ううん、違う。



 もっとリアルに



 ちょっとだけ



 キラリンと



 光りが差し込んだ。



 「最近なんかおかしいっていうか、ダメダメなのは



  迷って、おそれて



  こわくなって



  その場しのぎの



  小手先の範囲で



  アガイテルダケジャン。」って。




 




 「「信仰」「信仰」って言ってるけど



  信じきれてなかったじゃんないの。」って。




 自分の手の内で何とかしようとしてもたかが知れている。
 ムダではないことだろうけど
 ただただ硬く固まっていくだけじゃん。







 心を尽くして神をたたえ すべての恵みを心にとめよう


 神はわたしの罪をゆるし

 
 痛みをいやされる


 わたしのいのちを危機から救い


 いつくしみ深く祝福される


 心を尽くして神をたたえ すべての恵みを心にとめよう(典礼聖歌93番より)






 神に感謝。
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『聞いてる?』

2007-02-16 08:45:06 | Weblog
 このところ、いろいろな場面で「コミュニケーション」について深く考えさせられることが多い。


 「ねぇ、ちゃんと『聞いてる?』」


 「お前さぁ、ちゃんと『聞いてる?』のかよ」



 考え事をしていて、その瞬間、そのタイミングで会話がかみ合わない。



 いわゆる聞く側、もっといえば、受け止める側に「余裕」が無くて、一瞬のSOSが、魂の叫びがキャッチできない。



 だから真意が伝わらない。



 だから反応が的外れでガッカリする。



 最近読んだ本、作者も本のタイトルすらも記憶に無いのだがこんなことが書いてあった。


 不登校になってしまった子供(息子だったと思う)を連れた母親がカウンセリングを受けにその手の専門家のところにたずねていったときの話し。


 母「この子は、いつになったら学校に行けるようになるのでしょうか。」


 カウンセラー「そのことをお子さんに聞いて見ましたか。」


 母「いいえ、そんなこと聞いてはいけないような気がして。」


 カウンセラー(こどもに向かって)「ねぇ、君、その質問、聞いてはいけないの?」


 子「ううん(と首を振る)」


 カウンセラー「ほら、おかあさん。聞いてもいいと言ってますよ。」


 カウンセラー(こどもにむかって)「いつになったら学校に行けそう?」


 子「わからない。」


 母「あ~、やっぱり、答えになって無い。」


 カウンセラー「おかあさん、お子さんはちゃんと立派に答えてくれましたよ。「わからない」って。」


 母「でもそれじゃあ・・・」


 カウンセラー「おかあさん、思い出してみてください。あなたが結婚してない独身だった時に家族の人が「お前、いつ結婚するんだ。」って聞かれた時に「わからない。」と答えたんじゃないですか。」


 母(ハッとした表情になり)「そうですね、わたしが焦りすぎていたってことですね。」


 正確な記憶ではないので申し訳ないがおおよそこんな内容だったと思う。(筆者の方、出版元の方ゴメンナサイ)



 「気を使う」とか「良かれと思って」とか「何とかしてあげたい」とかって事は「人として」否定すべくも無いが、受けて側の思惑や余裕の無さで結果的にコミュニケーションになって無い場合が多いのだなと。



 

 世に言うバレンタインデーの14日に娘がビーフシチューを作ってくれた。チョコじゃないのが、まぁ偶然かもしれないが彼女らしい(笑)


 本格的かどうか、なんてことはまったくの問題ではなく


 ほんのちょっと水加減が多かったなんてことはまったく問題ではなく(笑)


 素材の牛肉に助けられた部分もあったなとかそんなことはまったく問題ではなく(しつこい)




 おいしかった~。



 三度おかわりした。



 妻はトリュフタイプの手作りチョコ2種類をふるまってくれた。



 うまかった~。



 ココロあたたまる


 
 すてきな



 コミュニケーション。(結局、食い物でかよ!(爆))




 大切なこと



 大切なもの



 大切な人




 『聞いてる?』







 神に感謝。
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『生まれてくる赤ちゃんの名前のように』

2007-02-15 08:55:24 | Weblog
 今度の次の日曜日、2月25日は洗礼志願式が執り行われます。



 いま我が家の話題に頻繁に登場するのが






 母の「洗礼名」について。






 現在の人間界(笑)での氏名、特に「名前」は自分で選んだものでない場合がほとんどでしょう。


 生まれてくる我が子のために、両親やおじいちゃん、おばあちゃん、親戚縁者、少し前なら仲人さんなどが、期待に胸をふくらまして、頭を悩ませ、本買ったり、相談したりしながら付けてくれた「名前」。


 そうそう我が家の天使(娘)ちゃんの名前も仲人であるお寺の住職に相談したっけ。音感は妻のおなかの中にいる時から仮決定していて(笑)その名前で話しかけていた。漢字標記はその真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)のご住職に選定していただいたものだ。


 当然、生まれ出てくるこどもには選択権は無い。


 法的には変更も可能らしいが、基本的には一生変わらない。




 そこで「洗礼名」。




 いわゆる成人洗礼の場合は各個人に選択肢がある(かのように設定されている)。


 
 聖人カレンダー見て自分の誕生日と同じ祝日の聖人からその名前をいただいたり


 代親(洗礼式でのいわば仲人さん的役割の人)から勧められたり、その代親と同じにしたり


 先輩信者(この表現はあまり好きではないが)に相談してアドバイスしてもらったり


 高円寺教会の場合は入門係がケアさせてもらったり


 神父様に相談したり、お願いしたり(ちなみに当教会は現在、受洗者が多数のため&不公平感等排除等の理由により基本的に不可です)


 もちろん本人が書籍(聖書)などで、その生き様に感銘を受けてその聖人の名前をいただいたり


 表現は適切ではないかもしれないが、インスピレーションや音感で「いいな~」と思ったのを素直に受け入れたり。


 こんな風にしていると


 洗礼に向けて着々と進んでいるのだなぁと感慨深い。




 母の洗礼名はまだ決まらない。たぶん時が満ちているのだろうが、人間レベルの情報としてキャッチできないだけだろうと思う。







 春一番が吹きました。



 春がもうすぐそこまで来ているんです。







 神に感謝。
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『締め切りはあくまでも』

2007-02-13 08:29:41 | Weblog
 この前の日曜日が高円寺教会(洗礼委員会)で設定した今年の洗礼志願者の締め切りの日だった。



 洗礼志願に「締め切り」などは無いのだが



 一つの区切りではある。



 数字を書くのはいまの段階ではいかがなものかとも思うが、もし、今現在も迷っている方がいるかも知れないので、あえて書いときましょう。今年も50を大きく大きく上回る方々が洗礼の恵みに与かります。



 仲間がたくさんいるので、安心して身を委ねられたらイイと思います。



 ぼくは、いま、このタイミングがフィットすると思うので、ずっと取り上げさせていただこうと思っていた記事を紹介させてもらおうと思う。



 いまもなお「洗礼」について思い悩まれている方々に。


 
 少し前のカトリック新聞に掲載された


 「洗礼は自由への招き」という記事からの引用です。


 「教皇はバチカンのシスティーナ礼拝堂で1月7日、「主の洗礼」の祝日に当って、13人の赤ん坊に洗礼を授けた。

  洗礼の秘蹟について即興で説明した教皇は、



  洗礼とはことばと水による「魔法のような」儀式ではなく、



  聖霊との協力に向けた人間の自由への永続的な招きだ、と語った。



  ある意味で、キリスト者は、洗礼によって神である御父の「養子」とされる、と教皇は続け、


  同様に、


  教会をこの家族の母とみなすべきだとして、



  「こうして私たちが理解するのは、キリスト教が単に霊的または個人的な現実でもなく、



   自身が下す主観的な決断でもなく、



   本質的で具体的、実質的なものだということです。


   
   神の家族は、教会の具体的な現実の上に築かれるのです。」と語った。




 まだ間に合うし、もちろん来年でも再来年でも、いつでもイイけど



 頭で理解する「勉強」的なモノは、いつでもできます。



 準備を整えるのは自分自身だってカン違いというか思い込んではいませんか?と言いたい。


 劇的に困り事や悩み事が解消されるのではないかもしれません。


 
 しかし、具体的にピンポイントで救いの手は差し伸べられます。事実いまこの瞬間もなのです。



 信じて、安心して苦難と向き合える力をいただける。



 イイから信じてみましょうよ。



 必ず、わかります。



 『締め切りはあくまでも』ひとつのマイルストーン。



 もう一度書きます。



 まだ間に合う。





 神に感謝。
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『「大丈夫、気づかないうちに、守られてるから」』

2007-02-09 09:04:01 | Weblog
 久しぶりに明日の予定を書こうと思う。


 なんてったて、「反省」や「後悔」は後ろ向きだし。


 明日の土曜日楽しみにしていた「入門講座」が休講になっちゃった。半年くらい前から決まっていたのだそうですが、神父様は名古屋で講演会です。お近くの方は是非どうぞ。ちなみに昼の部(10:00~)がお休みになるだけで、夕方と夜のクラスは開講になりますので是非どうぞ。


 朝、早く娘を起こして、白い息を吐きながら自転車をこぐのです。善福寺川緑地から和田掘り公園に向かって。


 その後レンタカーでドライブ。家族四人一緒でね。千葉方面か横浜方面に。


 暗くなってから戻ってきてカラオケかな~。


 積極的な、息抜き、ガス抜き。


 


 家族に支えられ、だからこそあらためて家族について考えさせられた時間。


 映画館に飛び込んで観た映画も期せずして家族モノ。




 「イカとクジラ」



 「幸福な食卓」の2本。



 「幸福な食卓」はガツンときた。



 なんてったって冒頭のセリフが



 「父さん、今日で、父さんを辞めようと思う。」ときたもんだ。



 「もっと甘えたらいいのにって思う。

  家族はさ、作るのは大変だけど

  その分滅多になくなったりしないからさ。」同じこと最近言われた。




 『「大丈夫、気づかないうちに、守られてるから」』



 もう一度観に行きたいと思う映画は初めてかもしれません。きっと行かないけど。



 最後に流れるミスチルの「くるみ-for the Film-幸福な食卓」



 これもガッツ~ンときました。





 神に感謝。
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『まず、くつを磨こう』

2007-02-08 11:40:16 | Weblog
 引っ越してから、そう、靴磨きセットの所在がわからなくなってから


 くつを磨いてない。


 ぼくは意外にくつを磨くのが好きなほうだと思う。


 野球をしてた時は、とにかく「「道具」を大事にしろ。バットやグローブを自分の怒りに任せて放り投げたり、叩きつけたりするヤツは上達しないし、野球をやる資格ない。」


 間違ってないと思った。それでいいと思った。


 先輩のグローブやスパイクを顔が映るほどピカピカに磨いたものだ。


 くつやスーツやワイシャツやネクタイは、ぼくにとっては「道具」そのものだし、ステージ衣装であって、戦闘服みたいなものだ。


 そういえば思い出したんだけど、ユニホームの着こなしで、その人が「上手」か「いまいち君」かが、おおよそわかってしまう。雰囲気と言うか、センスがにじみ出るから。


 ところが言っちゃあ何だけど営業マンは見た目だけじゃ判断できない。野暮ったいヒトがトップセールスマンだったりする。しかし、そんなヒトも必ずくつはピカピカなんです。




 そこで「くつ」。




 娘も茶色の革靴なので、汚れてたり、カサカサしてたらカッコウが良くない。タイミングを見計らってはキュッキュと磨く。


 ぼくも「くつ磨いて無いじゃん。」てわかっているのに先送りしている。


 駅前のくつ磨きのおじさんに何度かお願いしようかとも思ったが、やっぱり自分で磨きたかった。


 「仕事がなかなか充実していなくて悩ましい。」などと、のたまっていたら


 それこそ真剣に考えなくてはいけない状況に放り出される。


 人生はこんなものだ。





 まあイイって話でもないんだけど



 とにかく



 『まず、くつを磨こう』



 そうだよ、そこからじゃん。




 すべて「自分の足元から」ってこと。






 神に感謝。
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『まん月』

2007-02-07 08:19:38 | Weblog
 「そりゃぁもう呑むしかないね。今夜どう?近所で軽く」


 
 夕方に着信したメールに正直、久しぶりに、心躍った。



 長く続いた「皆既月蝕」から細~い三日月が顔を出してきそうな期待感。



 それを打ち消すように



 「またそうやって自分だけ逃げ込むんですか」と声がする。



 でもそんな雲を吹き飛ばす、あたたかい南風を感じた。



 そしてある思いに駆られた。



 「今日は・・・」





 月ほどもある大きな(いや、月そのものだったかもしれない)石が投げ込まれた池に波紋が広がる。音も無く。





 「あなた、人を愛してますか?」






 愕然とする。



 息をのむ。呼吸をすることを忘れるくらいに。



 あまりにも真相をえぐりとられ、八つ裂きにされる。






 「おまえはそうやっていつもいつも自分をかわいそうぶってるけど、こっちは「八つ裂き」どころか「コッパミジン」にされてるだろ」と声がする。




 待ち合わせの『まん月』に彼はいた。ぼくは6分くらい遅れた。



 いろいろ話しをし、話を聞いた。



 程なくして彼のパートナーも合流して更にいろいろ話をし、話を聞いた。



 「こんな話しを昔、聞いたんだけどさぁ

  自分は、ずっと神さまといっしょ、いつも神さまと並んで歩いていると思っている人がいたんだって。あるとき、ふと後ろを振り返ったら足跡が一人分しか残ってないことに気づいたんだって。

  ハッとするんだよ、そこで。

  いっしょに並んで歩いていると思ってたんだけど、実は、いままで、神さまが抱っこして歩いていてくれたってことに。

  そういうことだよ。」



 「神さまと同列にってことじゃないけど、おなじことじゃないのかなぁ、信じているのなら身を委ねてみる。」




 皆既月蝕は時間が経つにつれて



 細~い三日月に変化し始めたかもしれない。



 「手をつなぐんだよ。」



 二人と握手して空を見上げた。



 でも



 満月を少し過ぎた月は



 笑ってなかった。



 ごめん。手、つなげなかったよ。




 でもありがと。少したすかったよ。






 神に感謝。
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