カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『イナバウアー』

2006-02-28 10:25:48 | Weblog
 耳で聞いて気持ちの良い「語感」ってあります。

 商品の大半は商品名がヒットするかどうかの決め手だとも言われている。

 もちろん気持ちの良い「語感」と言うのは個人差があって万人が同様に気持ちが良いとはならない。


 今回久しぶりに万人が共感する「語感」を持つキーワードが誕生した。



 『イナバウアー』



 いろいろなところで紹介されているので既に知れわたっていますが、これ人名です。

 「Ina Bauer」さん

 旧西ドイツの出身で1950年代に活躍したフィギュアスケートの選手。もちろん女性。

 正式に「イナバウアー」とは、「開いた両足を前後にずらし、両足のつま先を外側に向けたまま滑走する。」ことで、今回ゴールドメダルを首にかけてもらえた「クールビューティー」さんの代名詞。

 実は後ろに反りかえることがイコール「イナバウアー」ではなくて、反りかえったヤツは「レイバック・イナバウアー」というらしい。

 今回のパフォーマンスを見て「あのワザはこれから「アラカワ・レイバック・イナバウアー」と呼んでいい。」と外国のフィギュア通らしき人が言ってた。


 本家の「イナバウアー」さんも美しく、映画2本に出演している。

 「白銀に躍る(1961)」「空から星が降ってくる(1962)」



 帰国する「クールビューティー」をゲ~ノ~ジンみたいに扱うのだろうな。マスコミュニケーションという皮をかぶったジャーナリズムってやつが。

 まあいいや。



 我が家の天使(娘)ちゃんと「四旬節」(これはメジャーになる「語感」じゃないね)について話をしていた。

 お風呂に入りながら「今度の水曜日学校に行く時さあ、お弁当無しにしてみたら。「四旬節」だし。」と聞くと

 間髪いれずに「ヤダ。」

 理由は

 「お弁当を持っていかないとシスター(先生)がコンビニに買いに行っちゃうから。」なのだそうだ。

 娘は集団行動の中で「特別」なこと「目立つこと」があまりスキではないらしい。最近少し変わりつつあるようだけど。

 立候補して何かをやりたいタイプでは無いようだ。これくらいの歳ならみんなそうかなあ。たぶんこんなところは妻の影響なんだと思う。


 ぼくは「シスターだってたぶん「灰の水曜日」には断食してるはずだから説明すればわかってくれると思うんだけどな~。」と言ったが、そんな「特別」な質問するはずも無いのであきらめた。


 「「何か」を控えることで、そのことのありがたみや別のうれしさやお恵みをあらためて感じようとしてみる。それが「四旬節」の過ごし方のコツじゃないでしょうか。」神学生のあっちゃんが信者のための勉強会で話してくれた。



 いろんなとこに話が飛んで、なんだか支離滅裂だ。

 そうなることなどわかっているけど。

 書かなきゃいい、書いてる場合じゃない、書くべきではない。



 あ~あ


 肝心なことなにひとつできもしない



 神様お守りください。


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『雨の道』

2006-02-27 10:58:56 | Weblog
 雨の中、バスを待つのももどかしくて


 ひとり歩いた


 傘の柄から雨のしずくが伝わり落ちる


 見た目はなんともないようなのに


 ほんとうは破れていたことに今ごろ気づく


 いつもより遠く長い駅までの道


 何度白い息を吐き出しても


 このモヤモヤは簡単には逃げて行ってはくれない


 出発間際のバスにあわてて飛び乗る


 きょうの出来事いろいろ話そう


 そう思っていたのに


 いとも簡単に

 
 玄関のチャイムの音がココロをまたコチコチにする




 夜が明ける


 新しい朝を迎える


 いつもなら透き通った石神井川も


 濁って少しだけ荒々しい

 
 きのうの雨が残した足跡




 なにやってんだろう




 などと朝早く、会社のデスクでふがいなさを書いていたら


 少しあとに出社された社長に声をかけられた。

 「○○さん、早かったなあ。」


 ぼくは「えっ。」といって絶句した。

 

 その方は経理と総務関連の取締役部長さんで去年の年末から体調を崩されて入院されていた。

 朝早く出社するぼくより一足早く出社されていて普段は口数は少ないがお酒が入ったり、興味のある話題のときは饒舌で、あと何より「ご意見番」みたいなタイプで仕事には厳しかった。


 会社のゴルフコンペでご一緒させていただいたときは楽しかった。

 あれは確か夏、ぼくは半ズボンにポロシャツといういでたちでスタート前にパターの練習をしていると「シャツはズボンの中に入れなきゃ。」と一言。

 マナーにも厳しくて当然ぼくも「あっ、しまった。」と思い瞬時に身だしなみを整えたのを思い出した。こんなふうに言ってくれる人、中々いなかったりする。

 実の父を亡くしているぼくには、会社にいる「頑固なおやじ」というか、なんというか、勝手に頼もしいと思っている存在の方だった。



 去年の年末頃朝出社するといわゆる「嫌な音の咳」をされていることに気づいた。

 ぼくも小さい頃に小児喘息を患ったので「嫌な音」がわかる。

 「咳の音がよろしくない感じがします。一度、ちゃんと検査されてはいかがですか。心配を煽るつもりは無いのですが。」

 程なくして入院され、なかなか良くならないらしいとの情報の中、次に来た明確な知らせは悲しいものだった。

 ご冥福をお祈りします。



 なくしたり、いなくなったり、壊したり

 そんなことを何度も何度も経験して

 チョッとだけだけど受け止められる間口みたいなものができちゃって

 ほんとは怖くて怖くてしょうがないのだけど「ココロの準備だけはしておこう、いつか来る日に備えて」みたいに。



 たいせつなものを傷つけている。傷つき続けている。

 こんなことやってる場合じゃない。

 「ごめんね」とすら言えない。


 なにやってんだ。


 今週の水曜日「灰の水曜日」から四旬節がはじまる。


 「クチダケオトコ」の迷走は続く。


 でも、ずっといっしょに歩いていきたい『雨の道』でも。


 


 神に感謝。
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『スタンディング・オベーション』

2006-02-24 08:22:55 | Weblog
 第九の初演のとき、副指揮をしていたベートーヴェンに対して、観客がスタンディングオベーションで讃え、カーテンコールが何度も何度もあったというエピソードがあったのだそうです。


 ベートーヴェンは耳が聞こえないため観客の拍手に気付かず、この演奏会は失敗に終わったと思い込んでいたそうです。そこでソプラノ歌手がベートーヴェンの手を取って観客の方を振り向かせて、この初演が大成功だったことを知らせたというエピソード。



 週末の早朝の『スタンディング・オベーション』


 感動して、鳥肌が立ち、涙が出た。


 天使ちゃんのバスの時間の都合で後の演技者を見ることは出来なかったがもう結果はわかっていた。


 しーちゃん、おめでとう!!!



 その女の子は小学校3年で3回転ジャンプを成功させた。

 1994、1995、1996年と全日本ジュニア選手権を3連覇。

 1997年にシニアへ転向直後、全日本選手権を制し、16歳で1998年長野五輪代表に選ばれるも本番では13位に終わった。

 4年後の飛躍を大いに期待されていが、長野五輪後にスランプに陥り、2002年ソルトレークシティー五輪への出場権を逃すという試練を味うことになる。

 しかし、2003年から練習拠点を米国へ移すと、この年のユニバーシアード、冬季アジア大会を連続で制し、見事な復活を遂げる。

 そして、2004年の世界選手権ではフリープログラム7種類の3回転ジャンプを含むコンビネーションジャンプをすべて成功させ、技術点でめったに出ない満点の6.0を獲得して世界チャンピオンとなった。

 トリノ五輪を競技生活の集大成とする彼女。

 2005年は世界選手権で9位と低迷、今季のグランプリ(GP)シリーズでも中国、フランス杯ともに3位と精彩を欠き、ファイナル出場も逃した。

 しかし明確な目標設定と高いモチベーションで、12月の全日本選手権では3位。2大会ぶりの五輪出場を決めた。


 そして9年ぶり、最後と決めた大舞台で大輪の花を咲かせた。


 美しい。


 彼女は競技がはじまる前の段階で


 「もう一度見てみたいといわれる演技をしたい。」と言っていた。




 いま、世界中が叫んでいる。


 「もう一度、もう一度、もっと、もっと見たい。」と。



 おめでとう。


 神様は微笑んでくれた。


 すべての人に。


 さあ、もう一度『スタンディング・オベーション』を



 神に感謝。
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『期待』

2006-02-23 08:37:51 | Weblog
 「よい結果や状態を予期して、その実現を待ち望むこと。」


 たぶん日本中のかなりの人が、いま『期待』している。


 何らかのきっかけではじめたことが好きになり、「天才だ」と言われたりして、楽しくなり、闘争心や向上心が芽生え、ストイックなまでに才能を磨き、失敗し、挫折し、また立ち上がって練習して晴れの舞台に立つ。


 そしてその中の選ばれし者にご褒美として首にかけれれるもの。


 「日の丸」所属の銀板の回転跳躍系舞姫は、「どんな色のご褒美が欲しいか」という質問に「自分色でいい、自分色にしたい。」と答えていた。




 「『期待』しています。」

 場面によっては、とっても勇気付けられる言葉なのだが、時として「プレッシャー」という亡霊を呼び込む。

 最近その亡霊を退ける便利な言葉がある。


 「楽しみたい。」


 素敵な言葉だ。人生常にそうありたい。


 ただし競技などの「戦いの場」においては「リラックスしたい」という強い願望も感じる。


 見ている側は、国民性というか過去からのDNAというか、特攻精神やサムライハートの持ち主で応援している人が結構多い。

「楽しむなんて冗談じゃねーぞ。失敗しても楽しきゃイイのか。こっちは『期待』していっしょうけんめい応援してんだ。コノヤロー。」って感じで理解できない昔気質の人も多い。



 もうそれはそれはやり込んで、突き詰めて、小さい頃からお友達が遊んでいる時間にも練習して、お金も時間も費やして、苦しい練習に耐えて、「よくやった。」と自他共に認めるくらいになって、日の丸まで背負わされて試合に出て、結果的に


 「楽しめた。」


 と言うのが本物じゃねーのかよ。と。

 わかる気もする。


 応援する方も真剣だからだ。(まあ勝手といえば勝手だけど)


 何年か前にサッカーのワールドカップ予選でいわゆる「ドーハの悲劇」をテレビを通して目の当たりにした時、このフラストレーションから抜け出すのに数日かかった。それ程熱狂的ファンでもないのに。

 これがナショナリズムというものか。


 まだまだ「日の丸」の国の国民は「いっしょうけんめいやる」ことと「楽しむ」が同居することを完全に理解できない。


 「日の丸」所属、情熱系の銀板の舞姫のコメントにたびたび「神様」というフレーズが出てくる。


 なんとなく身びいきしたくなる。(笑)


 「『期待』してませんから」といわれることほど寂しいことはないが、明日の朝は過度な『期待』はやめて、激励、応援しましょうよ。


 もちろん『期待』レベルを下げるのではなくて。


 出場者みんなが自分のパフォーマンスに満足できるようお祈りいたしましょう。


 でも、やっぱり、ちょっとだけこっちをむいて微笑んでくれないかな。


 ねえ、神様。



 神に感謝。
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『神経を抜きます』

2006-02-21 22:03:57 | Weblog
 「それじゃあ、今日は左の上やっていきますね。」

 「麻酔をして『神経抜きます』」


 自分の姿は見えないが、たぶん口を開けた間抜けづらで、「はひ(「はい」の意)」などと答えた。


 今月ぼくの口の中で二本目の『神経抜きます』だ。

 昔から歯医者さんには大変お世話になっている。

 野球をやってたせいで奥歯は擦り切れ、何度補強したのか、わからない。治してもすぐにダメになった。

 格好イイ話ではないし、娘にも読ませられないが、子供の頃、食事後に歯を磨いてから寝る、という「しつけ」をされなかったのも大きな要因だろう。

 だから娘の歯磨きには結構シビアな対応になっちゃったりする。



 歯医者さんをどんな基準で選びますか。


 ぼくは、田舎の親に紹介された今にしてみればオゾマシイ歯医者さんに高校生まで通っていた。



 歯医者さんとヘアサロンだけは新しいところに行くのって勇気がいる。この感覚は現在も微妙に残っている。



 東京の出てきて、やはり歯を治しに歯医者さんに行って先ずはじめに言われた言葉。「こりゃあ、酷いねぇ。これ治してあるようですけど中で全部虫歯になってますから。」

 こんな具合である。

 お医者さんはどんな科目にしろよ~く選択しなければいけませんね。




 ところで『神経を抜きます』なんだかいつも言われるがまま、なすがままなのだけれど、イイのかなあ何本分も神経抜いちゃって。




 こうやってヒトは「無神経なヤツ」になっていくのだな。




 お後がよろしいようで。



 体調管理は自己管理が中心になります。具合の悪いときは余程のことがない限りむりをせず休養を取りましょう。神様が「休みなさい」と背中を押してくれているのでしょう。

 「きょう出来ることは、あしたもできる。」

 神経を抜かれるならまだしも、神経を削られたり、魂まで抜かれたりすることのないようにケアしたいものです。


 神に感謝。
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『うた』

2006-02-20 12:41:56 | Weblog
 『うた』を作りたい。


 センスや技術やコツを知っているヒトがたまらなくうらやましい。





 大きな声で歌いたい。


 日曜日のミサの中で聖歌を大声で歌う。


 気持ちイイ。


 それは当たり前だよね。

 神様との交わりを確かめるあいさつなどを歌うことは、まさに、「目に見えない神、全能の父と、神のひとり子、主イエス・キリストを、心を尽くし、声を限りにたたえること」(復活賛歌)なのだから。

 知って人もいると思うが、古くからのことわざには「よく歌う人は、倍祈る」というものがあって、聖アウグスティヌスも「歌うのは愛している証拠」(『説教』336,1)と話されている。



 カラオケもワルクナイ、いやむしろ積極的に好きな方だ。書いていて思い出したが就職して2年目くらいに仕事帰り5日間連続でカラオケボックスに行き(それも男だけ三人で同じメンバーで)600曲歌ったことがあった。
 
 若かったし(いまより)、田舎で他に娯楽もなかった。(笑)

 そういえば東洋一と銘打ったボーリング場があったっけ。名前が「ヤングファラオ」(爆)冗談抜きでホントに広かった。随分前に帰省してそこに行ったら半分がト●ザラスっていうおもちゃ屋になってた。



 最初はおっかなびっくりだった(歌詞やリズムや音階に自信がなかった)ミサ中の歌も経験を積んだり、ちょっと勉強したり、他の人の姿勢などを見習ったりしているうちにだんだん声が大きくなってきた。

 いまは不謹慎だが真剣に「『うた』を歌い」にミサに行ってる。

 周りの人はいい迷惑かもしれないね。



 Live『VOICE』という3ヶ月くらいに1回のペースで開催しているライブコンサート。

 第3回目はゴールデンウィークの最終日5月7日(日)14:00からに決定した。

 実行委員会も設立して仲間の力を集結して動き始めている。



 『うた』を作りたい。

 とびきりのラヴソングを。



 インスピレーションで今回のライヴのタイトルを決めた。勝手に。



 「Passion lives here」


 情熱はここにある。




 神に感謝。
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『マイ ブログ』

2006-02-18 19:46:45 | Weblog
 日本カトリックメディア協議会(SIGNIS(シグニスジャパン))主催のセミナー「インターネットが拓く 新・福音宣教Ⅱ」に参加した。

 教会のお姉さま(笑)から案内をいただいたときのリーフレットに、テーマとして「ホームページからブログまで」とあった。

 この「ブログ」というキーワードにまんまと引き寄せられたのと、わたしたち高円寺教会の主任司祭が主催者側の副会長をされていることもあって、誘っていただいた方や講師の方には大変申し訳ないが内容についてはあまり吟味せずに参加申し込みをお願いしていた。


 正直なところ講演が始まったら「まぶたが重~くなっちゃうのではないか」などと思っていたのだが、それはもうとんでもなく失礼な想定であった。


 講演が始まったとたんに身を乗り出して聞いていた。


 聖霊の働きはこちら人間側の浅はかな「想定」などとは全くもって無関係に降り注がれるのだということなのだ。



 四谷にある聖イグナチオ教会ヨセフホールに入っていくと誘っていただいたお姉さまや見慣れた教会の方がスタッフとして参加されていた。


 会場はすでに30~40人近く着席されていて(最終的には60人を超えた参加者だったようです)シスターたちの姿もたくさん見られた。


 講演が始まった。

 
 べラルド押川壽夫カトリック那覇教区司教様のお話しにはただただ感心し、励まされた。

 20数年前よりコンピューターやインターネットに興味を持たれて、かつそれをご自身で具体的に活用されてきたことや先進国、技術大国と言われて久しい日本だが使う側がいかに後進的であるか等々。


 「インターネットによる福音宣教の霊性」


 この部分では「自分の目の中の丸太」に気づかされた。


 続いて「ブログ」中心の講演となった。


 阿部仲麻呂神父様(ぼくのとなりに座ってる「よっちゃん」の小中学校の同級生なんだそうだ(ビックリ))は「ブログ」を神学的見地から解説された。

 独特のリズムと語り口、内容も共感するところが多く「おもしろかった」


 そのあとはさながら「オフカイ」の様相を呈してきた。

 「ブログ」の紹介を何人かされたのだがネット上では知ってる方ばかりだからだ。


 古い言い方で例えれば「文通していた本人に直接会う」感覚ですかね。


 ぼくの『マイ ブログ』も紹介させてもらおうかなあ、訪問者も増えるだろうし(笑)、とも思ったが、なんとなくそうすることの「違和感みたいなもの」が喉元に引っ掛かって、出しゃばりの腰を重くした。


 この「違和感みたいなもの」ってなんだったのだろう。


 「匿名性」かなあ。


 『マイ ブログ』は広く皆さんに読んで欲しいけど、ぼく自身を知って欲しいんじゃないような・・・、う~ん、難しい。


 まあイイ。とにかく続けていこう。


 いろいろアタマで考えて理解しようとしても、いまはムリ。



 できるだけ、素顔のままで。

 様々な「流れ」に身をゆだねて。


 神に感謝。
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『目がまわる』

2006-02-17 16:16:26 | Weblog
 体調が悪いからとか飲みすぎてとかじゃなくて『目がまわる』状況になっている。 

 来期の予算編成の締め切りの日程とお客様先でのプレゼンテーションが重なり「自分がもうひとりいてくれたら」という感じで、時計の針が進むのがやたらに早い。

 弱音を吐きたいようなシチュエーションのど真ん中なんだけど

 「チョッと楽しい。」

 まだキャパオーバーじゃない。(と思いたいだけかもしれない)


 夕方になって「えっと、次は・・・」などと考えているとメールを受信した。


 「今日、赤坂でいつものライヴあるんだけど行けるようだったら道案内よろしく。なので待ち合わせしませんか。」と。

 もともと今日のスケジュール的には、優先順位の上位にあったライヴだったのだが、忙しさというフィルターが頭の中にかかっていて、恥ずかしながら忘れていた。

 ほんの数秒「どうする?」と思案したが、最初から答えなど出ている。


 「じゃあ銀座線の溜池山王の駅で19時。」

 
 本当は最寄の駅は違うのだが、待ち合わせ時間と自分が最短時間で行ける最寄の駅をチョイスしてまでも、「行きたい、行かなきゃ。」って気持ちを具体化した。

 この選択によりスケジュールがより一層タイトになる可能性があるが、そんなことより(結構シビア)やっぱり行きたかったから。

 一緒に行ける可能性のある仲間を更に誘って待ち合わせ場所に急いだ。


 溜池山王の駅は東京メトロの駅でも新しいので便利に設計されているのだろうけど実際は迷路です。


 まあでもいまどきは地下でもケイタイは通じるし心配はない。


 4人ほどの集団になって、小雨の中、「ちょっと遠回りじゃない?」などと鋭いツッコミを受けながらも目的地であるライヴハウスに到着しました。


 ぼくたちの応援する「びゃっきー」さんは出番待ちで控え室から出てきてくれて「今日も「緊張」している。」って。その通り顔に出てた。



 ライヴ、やっぱりイイです。


 「言葉」とか、「音」とか、「パフォーマンス」とか、「表現の方法」や「アプローチ」や、まして、それが上手か下手か、なんて全然関係なくて


 「好きで好きでたまらないんだ。」って


 告白を聞くのだから


 気持ちが悪いわけがないよね。




 そうだよ。「好きだよ。」って、もっと言ってみようよ。

 たとえ「ごめんなさい。」って、差し出した手を握ってもらえなくてもさ。

 
 待ってればイイことあるかもしれないけど

 こっちから「一歩だけ」先に踏み出してさ。


 神に感謝。
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『台無し』

2006-02-15 08:27:43 | Weblog
 「笑おう」などと書いておきながら今日は、やり場の無いモヤモヤを八つ当たりします。

 不安に苛まれ、ドキドキして寝付けない状況を逆なでされると今はバランスなど簡単に崩れる。

 「そんなの甘い」とか「自分だけじゃない」とかそんなレベルのプレッシャーじゃない。



 まあイイ。



 方針やヴィジョンというものは、そのときの気分で簡単に変えるべきものではない。

 それは「約束」しているからだ。

 ましてや、共同作業であればなおさらのことだ。


 まあイイや。



 八つ当たりしたい対象は昨日の夜やってた「ビュー○ィー・コ○シアム」とかいうTVプログラムについてだ。

 なんなんだあの構成。

 人間をあたかも「化け物」であるかのように前フリをして、外科的整形や脂肪吸引、フェイスメイク、ヘアメイクの技術を駆使して「あ~ら、こんなにキレイに素敵になりました。」だって。

 出演している芸能人の中には涙まで流している人までいる始末。

 この番組を見ている視聴者は何を考えているのだろう。

 「外見で差別されたり、不幸な目にあってきた人が自信を持てたり、人生が変わって良かった。」などと思うのだろうか。

 結果そうだとしてもTVでやる、公共の電波を使ってやるようなことか。


 挙句の果てにだよ、あれだけ美容整形などについて感心させておいたくせに、やらせのような一人の女性が出てきて「絶対整形したい。」などと言わせる。

 その人には「そんな必要ない、心の問題だ。」的なアプローチで改心させる。

 今までの「そんなに変われるのならわたしも整形しよう。」と煽ったことに対するアンチテーゼ的な構成。


 人間のことを何だと思っているんだ。

 アホな芸能人が「人間の尊厳を・・・」などと発言していたが、恥ずかしくないのか。


 どんな方法にしろその人にとって「救い」になったのなら良いのかもしれないが、利益追求、宣伝効果期待のスポンサーベッタリのゲス企画は公共の電波に乗せるなといいたい。

 良識のある方には説明する必要もありませんが、救いを求めた人を否定しているのではありません。「苦労してきたんだよね、よかったね。」と言いたいくらい。


 まあ、見なきゃイイっていわれればそれまでだけどね。


 昨日、がんばって妻が作ってくれたギョウザはとびきりおいしかった。

 なのに『台無し』だよ。


 さて、ガス抜きはここまで。


 今日も一日「笑って」がんばろう。


 神に感謝。
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『笑おう』

2006-02-14 08:25:50 | Weblog
 眩しい(まぶしい)。

 とっても眩しい。

 天使の笑顔。



 最近、我が家の天使(娘)ちゃんが、よく笑う。

 なんだか羨ましいくらいに輝いて見える。



 このところ少しゆるんでいたネジをチョッとだけギュッと締めた。

 これは親のモノサシで判断され実行されることなので、この行為には、強弱とか、タイミングとか、父と母のコンビネーションとか、いろいろなものが結構複雑に絡んでいて、時には「逆効果」などという結果があらわれることもあって難しい。

 みんな自分自身子供の頃体験してきたことなのでわかっているようだけど実際に現在の環境でその状況に立たされると勝手が違うことを実感する。


 「自分自身の余裕の無さ」が浮き彫りにされ目の前に突きつけられたりする。

 やっぱり「子供は親の鏡」だから。

 

 天使ちゃんはがんばっている。

 無理してなきゃいいけど、たまには「ターボチャージャースウィッチ、オン!」も悪くないでしょう。

 粘って、もうひとふん張りして、やり遂げる楽しさを実感して欲しい。

 すぐに結果が出なくても、報われなくてもね。



 でも今の環境だと結果が出やすい。だから誉めてあげられるチャンスも増える。

 こうなると好循環になります。

 「笑う」機会が多くなります。


 仲間がブログで「笑えない」ことを書いていて、その気持ちもよくわかるし、ぼくも実際現況は決して笑っていられる状況でないんだけど、とにかくいっしょに『笑おう』、笑っていよう、笑いたいと思う。

 カラ元気でも、バカみたいでもとにかく。

 笑っていればイイ事あるよ。


 当然のことだけど悲しいときは泣くし、寂しいときはそういう顔します。

 
 でもなるべくなら


 『笑おう』

 
 笑えるようにいっしょうけんめいやることも忘れて


 とにかく


 『笑おう』


 ニコッ。



 神に感謝。
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『徹夜』

2006-02-13 08:59:28 | Weblog
 土曜日に、高円寺教会に二年間司牧研修(専門用語で「アポストラートス」というのだそうだ)に来てくれていた神学生の送別パーティーが開催された。

 先週の日曜日の夕方


 「驚かそう。」


 主任司祭のこの一言でこの会は「サプライズ」企画となった。

 このような「プチお祭り」みたいなことが好きで得意な芸達者の集まっている当教会の若者達は早速、縦横無尽に駆け回り、グルグル脳を働かせて、本人にわからぬよう極秘裏に準備をした。


 当日早くからお手伝いに行こうかなと思う気持ちが「大声を出してストレス発散したい」という欲求にいとも簡単に打ち負かされ、家族揃って「カラオケ日和(びより)」しちゃって、大幅に出遅れた。



 「冷えて美味しいシャンパンを予約しておいて持って行こう。」

 「せっかくだから美味しいワインも。」

 おやじのサル知恵レベルでは「モノで釣る」ような「サプライズ」しか思い浮かばなかったが最大限の気持ちは込めたつもりだ。



 乾杯にも間に合わず、「サプライズ」の最初のクライマックスにも立ち会えなかったが、お茶の間のドアを開けて入っていった瞬間に「はあ~ん、上手くいったのだな」ってことは容易に想像できた。



 濱ちゃんは今度の4月、そう、桜の花が咲く頃、神父になる。


 「おめでとう。」

 そして

 「ありがとう。」

 それから

 「これからも、よろしくお願いします。」


 『めがねの会』の開催のお知らせは必ずしますから。

 

 午前一時を過ぎた頃からネムネムモードになって一瞬深~くオチかけたのだがタイミングをはずし、眠気がどこかへ逃げて行っちゃった。

 最後は「だめだめT」と二人『徹夜』で語り合いました。

 最近のお互いの思いや福音宣教について。

 すごくイイ時間だった。

 「気づき」もすごくあった。

 聖霊の働きを感じた。

 彼は「今日は送別だから、7:30と9:30のミサ両方出るんだ。」と言い、ドアを開け、新しい朝の光の中に飛び出していった。



 ぼくはコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを飲みながら9;30の主日のミサを待っていた。


 みんな、楽しい時間をありがとう。


 あ~、でも眠いや。土、日で2時間の睡眠時間じゃ。


 神に感謝。
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『甲子園』

2006-02-10 17:07:21 | Weblog
 元高校球児は『甲子園』という文字やキャッチフレーズに敏感に反応する。

 TV番組や町おこしに至るまで「○○甲子園」と銘打った企画モノは様々にあった。

 日本全国から予選を勝ち上がった者たちが最後に集い雌雄を決する場所。


 日本一決定戦。


 みたいなイメージが『甲子園』というキーワードにはある。

 たしかに本家本元の高校野球はドラマチックだし、「感動したい」っていう衝動が自然と湧き上がる。


 高校球児には『甲子園』は「聖地」です。


 16~18歳のイケイケドンドンなときにアタマをボウズにしてストイックなまでに毎日泥だらけになる。(まあ最近は乱れてるところもあるようですが)

 まあもちろん野球だけに限ったことじゃないけどね。


 なんだか最近またまた『甲子園』企画があって日本一が決ったらしい。


 「居酒屋甲子園」


 低迷している外食産業を熱くしたい。と、はじまったらしい。

 この企画の目的は「情報共有」「刺激」「共に学び、共に成長し、共に勝つ」

 第一回目のテーマは「夢」

 日常社会においては、今まで相手を負かすことが勝ち方の基準であったけど、これからは「一緒に成果を出していく(共に勝つ)」という事を追求したいのだと。

 「勝つ」とは「目標達成すること」「夢に近づくこと」「成長のきっかけを得ること」。こんな風に掲げられていた。

 大手企業が数社スポンサーについてこの企画の『甲子園』である日比谷公会堂には決勝当日何千人レベルの人が集まったことだろう。

 実際のところ途中経過も知らなかったので「あ~そ~なんだ。」って程度で終わっちゃう話題なのだけれど「熱さ」に惹かれるんですね。

 ある企画をして、これだけ人やモノを集めたり動かせたりできることにジェラシーすら感じる。



 当教会のマイエホールでやってきたLive『VOICE』は次回5月7日に開催が決定した。

 『甲子園』にしたい。



 『甲子園』の拡大版トリノオリンピックがはじまった。


 ヨーコオノが「イマジン」を開会式で朗読してた。


 LOVE & PEACE


 4年に一度の発表会。

 
 「メダルの色とかナショナリズムを背負うことなく、精一杯」くらいで。どうですか。応援するほうも。


 応援するぞ。


 神に感謝。
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『風刺画』

2006-02-09 08:45:15 | Weblog
 ある国の、ある新聞に『風刺画』が掲載されたのだそうだ。

 昨年の9月ごろ。

 ぼくも「チャレンジャー」だけど、この手のものはなんともかんとも。


 その内容は、ある宗教の教祖の頭に巻くターバンが爆弾の形になったりしていて(計12枚)、偶像崇拝を否定する教徒が猛反発しているのだそうだ。

 今年に入ってから、周辺国の新聞や雑誌が「表現の自由」を掲げ、その漫画を転載したこともあって、抗議行動が激化しているらしい。

 実はこの新聞、3年前にキリストの「風刺漫画」の掲載も企てた。どういうモノサシなのかは不明だが、そのときは「読者を不快にさせかねない」と判断し、掲載を見送ったのだという。

 週末から「平和の祭典」が開催されるが、くれぐれも現在公開中の「ミュンヘン」という映画の再現にならぬよう祈りたい。


 アイロニー。


 皮肉。


 エスプリ。


 ギャグ。


 冗談。


 これらすべて、時と場所と場合を選べば、まれに「胸のすく」ような表現になったりする。

 笑って済ませたり、「うまい」ってほめられたり。

 「それ、それ、みんな思ってたんだけど普通は言えないよね~」みたいな。

 「逆もまた真なり」みたいな日本語もある。


 でもそれが他人の琴線に触れたり、地雷を踏んじゃったりしたらそれはもう単なる怒りの範疇を超えちゃう。簡単に超えちゃう。

 これを書いている途中にもフランスの新聞がまたまた挑発的な「乗りツッコミ」しちゃってるらしいニュースが飛び込んできた。

 編集長らしき人がインタビューに答えている。「「風刺」は表現の一手段であって「言論の自由」は守られるべきだ。」

 いつもは17万部程度の販売数がこの特集号は47万部売れたのだそうだ。


 人間の「立ち位置」、政治的立ち位置、宗教的立ち居地、「個」としての立ち位置。それぞれが縦横無尽に複雑に絡み合うネットワーク。



 今回の騒動に「愛」や「思いやり」はあるのだろうか。


 こんなタイミングでたまたまTVから流れてきたCMで、日いずる国のある新聞社が「ジャーナリスト宣言」と銘打ってこんなフレーズを打ち出してた。

 「言葉は

  感情的で

  残酷で

  時に無力だ。

  それでも私たちは信じている

  言葉のチカラを。」

 この新聞社については関知するところではないが、このフレーズ、ちょっと宗教の香りがする。ワルクナイ。



 とにかく無益な争い事はやめませんか。

 信じて、信じる力で祈ります。


 神に感謝。
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『大事な役目』

2006-02-08 18:20:31 | Weblog
 これだけ科学や産業が進歩、進化してるのだからそろそろ故障しない消耗しない家電製品があっても不思議じゃない。

 実際、絶対に切れない蛍光灯って出来てて一般製品化も可能なのだけど需要と供給の関係(利益追求)で商品化されないのだという。

 我が家の家電製品もいよいよ悲鳴を上げている。

 現在住んでいるところに引っ越してくる時(結婚したとき)に冷蔵庫やら洗濯機、乾燥機など等を買い揃えた。もう十年以上前の話だ。

 上手に使っているほうなのだろう。買い換えたのはTVと炊飯器だけだ。

 電子レンジもまだターンテーブル式のヤツで何年か前にそこに乗せるガラスのお皿が三分の一割れた。

 乾燥機も頻繁に「ピーピーピーピー」点いたり消えたり挙動不審だ。

 ただ、完全に寿命を迎えてくれるわけではないので買い替えのタイミングとはならない。

 最近はリサイクルの条例か何かで廃棄するにもお金がかかる。

 もちろん修理されることの無い新品同様のものがゴミとして回収されリサイクルショップなどに並んでるし、買うことにも抵抗感が無くなった。


 「デザインがかわったから買う」「直すの面倒だから買う」「コマーシャルの雰囲気だけで買う」こういう一昔前のバブルな時代も完全に古いアルバムの中の夢物語か何かに風化しようとしている。

 ある意味『大事な役目』を終えて。



 我が家の天使(娘)ちゃんが詩を書いている。たくさん書いている。

 いま、言葉が溢れかえっているいるらしい。

 素敵なので紹介しちゃおうと思う。

 

『大事な役目』

 「一人一人大事な役目を持ってる

  いらない人なんていない

  役に立たない人なんていない


  不安でしょうがない

  本当に役に立っているの?

  こんなに地球は不安でいっぱい


  笑ったり泣いたりおこったり

  そんなことしたりして

  悲しくてもうれしくても

  おこってもおこられても


  君は神様が創った 君のパパとママへのおくり物

  神様がさずけた特別な宝


  一人一人大事な役目を持ってる

  いらない人なんていない

  いらない生き物なんていない


  神様が創ったから

  むねをはっていられる」


 神に感謝。
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『先生』

2006-02-07 17:38:52 | Weblog
 ほんとに久しぶりに風邪らしい風邪をひいた。

 だから雪が降ってるのも積もったのも全然知らなかった。

 さっきから天気予報がはずれたと何度もニュースで流れている。

 「午後からは日差しが戻り16℃まで気温が上がって4月上旬並みの予定だったのですが現在7℃です。これは・・・」




 いつも通り午前5時35分に目覚ましが鳴る。

 目覚ましを止めてダイニングにあるガスストーブのボタンを押す。

 「チッチッチッチッチッ」電子の火花が飛ぶ音がする。

 「ボワッ」ガスストーブが温風を送り出し始める。

 やっぱり体が言うことを聞いてくれなさそうだ。

 ほんの少しの義務感も暖かい毛布の誘惑に簡単に負けてしまった。

 ぼくが仕切っている朝のミーティングもあるが今日だけはカンベンしてもらおう。



 週末に教会で遊びすぎて週の頭に疲れがドット出るってのはちょっと違うだろと思いながらもこの前の土、日曜日は楽しんだ。

 土曜日は「召命塾」と『おやじの会』ジョイントのシャンパンパーティー。

 築地直送の素材と本物の料理人による「ブリ大根」ウマかった。

 トビちゃんさすがだよ。

 プロボクサーに減量指南してもらったり、ボクシングの醍醐味を話してもらったり。

 その彼が神父様のことを『先生』と呼んでいてなんか新鮮で、ぼくが浅はかな知識を口にしたらニアピンだけど大きく間違っていて恥ずかしかったり。(ちなみに「ラビ」と「レビ」では違いすぎる)

 はじめて『おやじの会』に参加してくれた人もいたし、この方は今度の復活祭で洗礼を受けられるのです。素晴らしいでしょ。


 日曜日は侍者やらせてもらって、ちょっとヒヤヒヤして、ダメダメTのことばかり気にしてたら自分の動作まで混乱しちゃったりして。先輩にダメだしされるし。

 まあ不謹慎になるけど、それもご愛嬌。いっしょうけんめいやってるのは間違いないから。

 そのあと、Live『VOICE』実行委員会の第一回目を開催していろいろな思いをぶつけ合って。

 司祭館の本棚の整理したり。

 ちょっとエネルギー切れて、お茶の間のソファーでうつらうつらしたり。


 このコミュニティー楽しいよ。


 ぼくもこれから「ラビ」(『先生』)って呼んでみようかな。


 神に感謝。
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