my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

サリューが暮らした海辺の村

2006-11-01 16:14:20 | 好きな絵本

 ささめやゆき さん。

 挿絵はよく描かれているけれど、文ともに ささめやさんの絵本となると、その数は
めっきり減ってしまいます。


  
 『マルスさんとマダムマルス』
  ささめやゆき 作

 だから、この本はとても貴重な1冊です。しかも、ここで描かれているのは、ささめやさんが、
はる なつ あき ふゆ を、実際に過したノルマンディ半島の先端に位置する海辺の小さな村‥
エッケールドルヴィル。パリ、ニューヨークと暮らしてきた後に、ひとりの知り合いもいない
その村にやってきたのだそうです。

 あとがきにはこう記されています。

 こんな地図にものっていない村で、誰も怨まず誰にも憎まれず、心はすみずみまで
澄んで、ずっと絵を描いてくらしてきたのだ。もし人にその核となる時間と空間が
あるとするならば、ボクはまちがいなくこの村をさすだろう。


 
 私は、今までに一度も、ひとりで暮らしたことがありません。
 自宅から高校へ通い、自宅から大学へ通い、自宅から通勤して‥そして結婚してしまいましたので。
実際的な意味での、孤独も寂しさも経験してこなかったのだろうと、思っています。
 
 でも、この本を開いていると、なにもない海辺のこの村に自分が居て、すぐそばで聞いて
いたかのように、大家のマルスさんの声を感じます。


 「サリュー、絵はうまくいってるかい」

 
そうなると、サリューの淋しさややりきれなさは、私の内なるものでもあることがわかってきます。
どこに居ようと、誰かと暮らしていようがいまいが、コドクはいつもひっそり「内側」に潜んでいますので。

 しかし、コドクが悪者であるわけでもありません。純粋な喜びがあるように、純粋な孤独も
あり、そのどちらも欠くことができない大切なものです、きっと。何にとって欠くことが
できないかといえば、サリューにとっては、もちろん絵を描くこと。

 では、わたしにとっては‥?

 答えは返らぬまま、また最初から本をめくります。


 日めくりカレンダーをめくってもめくっても
 同じような一日しかやってきません。
 でも本当は今日は昨日ではないし、
 明日は今日とはちがう一日なのです。


 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神保町ブックフェスティバル | トップ | 心にあるギフト »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まつかぜ)
2006-11-01 18:17:37
こんばんは
rucaさんと同じ様にこれまで一度も一人で暮らした事の無い私は、本当の孤独…「純粋な孤独」も含めて
未だ知らずに生きてきたかも知れません。

>心はすみずみまで澄んで---もし人にその核となる時間と空間があるとするならば、ボクはまちがいなくこの村をさすだろう。
そして、こんな風に確固たる心の目で見つめる場所とは?
どこだろう?なんだろう?
たくさんの問いかけがどんどん重なっていきます。
読んでみたいです。
返信する
まつかぜさんへ (ruca)
2006-11-03 17:45:10
こんばんは。

きれいな月が出ていますね。

この本にも、扉と裏表紙に三日月が描かれていました。
どこに住んでいても、同じひとつの月をみんな見ている
ということなのかなあと、思いました。

先日の『ブリキの音符』はとても大きな絵本だったけど、
この本は、反対にとても小型です。だから余計にひっそりと
海辺の村で暮らしていたことが、伝わってくるのかも
しれません。

「核となる時間と空間:」

私も、私にとってのそれを考えてみましたが、あのときの
あそこ、ということはなかなか難しいです。
返信する

コメントを投稿

好きな絵本」カテゴリの最新記事