遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

奈良への道

2024-05-06 11:33:00 | パワースポット情報
奈良には特別な思いがあります。
間違いなく前世でいた。しかも飛鳥時代と呼ばれる頃に。

箸墓古墳

小学生の頃に習った歴史で最初に覚えたのは「大化の改新(乙巳の変)」。
「むしころし(645ろし)」
645年に起きた大化の改新。
語呂合わせでそう覚えました。

その時になぜかスッと頭に入ったのは天武天皇。
てんむ、てんのう?

何度も頭にあがってくる言葉
天智天皇でも、藤原鎌足でも、蘇我馬子や蘇我入鹿でもなく、なぜか。

ありありと浮かぶ、青い草が茂乾いた黄土色の土の上を歩く、四角い持ち手の刀を腰に刺す若者。
卑弥呼様ーとでも呼びかけそうな服装と髪型だけど、どこか大陸風の男性。
そして天女の羽衣のような肩巾を着た自分。

国語の時間に教科書に載っていた
「あかねさす、むらさきのゆきしめのゆき、のもりはみずや、きみがそでふる」
誰が読んだのか、どんなシチュエーションだったのかも知らず、どうしても頭から離れなかった。

なぜか頭には、新緑の草原(くさはら)に立つ卑弥呼さまーと呼びそうな出たちで,腰に刀を刺す男の人。
桜がハラハラと落ちていて、その奥に小さな山なのか丘なのか、そんなものが見えている。

なんじゃこりゃ,である。
のちに、天武天皇によんだ歌だと知り、しかも、聖徳太子の親戚筋の出雲系の巫女とされる(諸説あるけど私の中ではこれだなと勝手に確信)額田王が読んだと。

まあ、聖徳太子の叔母の推古天皇の諱(いみな→貴人の本名は気軽に読んではいけないので、忌み名というと。つまり本名)は、
額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)

まあ、額田部地方の天皇の娘,と言う意味だから,私たちの考える本名ともちょっと違うけど。

額田部地方は法隆寺のあるあたりとされていますが、なんと、出雲(島根県)にもあるのです。

ね、なかなかきているでしょ?
出雲と秦氏が好きな私がなぜかたまたま奈良で気になるのは額田王や聖徳太子って言うのがバカみたいにピンポイントで繋がる,と言う。

ていうか、全て同じ系譜のものしか心に響かないのか?と思うほど,全部裏で繋がるのです(歴史の表にはでこなくとも)

とにかく、歴史を調べる→私がずっと好きだったあれとあれが繋がっていることを知り、
いや、全部気になっているシリーズやん!
こわ、なんか知らんけどこわ!
となる(笑)

これを読む皆様からしたら、
「知らんがな」
だと思うんですけどね(爆)

よくわからないけど、とにかくあれ(草原に立つ卑弥呼様的な男性をみている天女の衣的な衣装な人)は前世なのか?
単なる妄想,想像なのか。

どっちでもいいけど、なぜ繰り返し浮かぶのか、もう、とにかく気になって仕方ないんす!

それを確かめに奈良に行きたい。
そう願ってどれほどの歳月が過ぎたのですが。
だから今回自分が行きたいと思っていた場所にぜんっぜん行けないと後に知って、
はあああああああああ?(ガチギレ)となったのですよ。
なぜ、なぜ、私に一言確認しないのだね!(ワナワナ)的な。

なんとか彼らの行きたい場所に合わせてねじ込めたのは石舞台古墳と大神神社。
一日別行動したため、少しは回れましたが。

本当は、この「額田王と聖徳太子を巡る旅」をしたかったのです(笑)
ですが、最優先事項が、
「三峯神社と関わりがある三輪山に登る」
のため、三輪山を中心に巡るコースを選びました。

まあ、これにも意味があったのだと、いつかわかる日がくるからよしとしておく。

かつて奈良にきたのは修学旅行のみ。
しかも奈良は、200人くらいでバスで行き、一気に回ったため、詳細のきおくはあまりなく。
3ヶ月入院して退院してすぐの時期だったし、バスに酔っており、ずっと具合悪かったしね。

その時は、バスから降りて、バスガイドの旗を目印に集団で歩いて何かを見て、どこかで写真をとり、まだバスに乗る、を繰り返した中で覚えているのは、

大仏。
薬師寺のだと思われる美しい仏像。
法隆寺の何か塔。
鹿、鹿、鹿。
よくわからんけどやたらおる鹿。
そして鹿せんべいを食べてはしゃぐ男子ども。
帰りのバスで
「先生、鹿が一匹(頭)乗っています(嘘)」
と手を開けて報告する誰か。

うん、ざ⭐︎修学旅行。


奈良京都の修学旅行で一番印象的に残っているのは、自由行動で行った広隆寺の弥勒菩薩。
ここに、この仏像の前に座布団を敷いて一晩座らせて下さいと思うほど、ずっとみていたかった。

のちに、広隆寺を作ったのは秦河勝で、作らせたのは聖徳太子と知り、またここにおるやーーん!
となるわけで。

そんな奈良。

私の魂の真の故郷。
そしてなぜか殺戮やら血生臭い記憶がある、不思議な前世の断片。

やっと念願の奈良入りをしたのは、2024年4月15日。

とこのブログに書いて、
唐突に
「その旧暦を調べよ」
通りてきたので調べたところ、3月7日でした。

次に
「その日に何があったのか調べよ」
と言うので、
「3月7日奈良時代」と入力すると、
「推古天皇が亡くなった日」

↓こちらのサイト

はあ?
推古天皇と聞くとくらくらする。

聖徳太子の叔母で初めての女性天皇。
その母親は蘇我稲目の娘。
本人は蘇我馬子の姪でもある。

うわ。

なんか、こわ!

ということで、奈良までの道、実際の行程も。

7時前に千歳空港到着。


9時過ぎの飛行機で伊丹へ。

お昼を食べる時間がないので、伊丹でパンを買い,リムジン内で食べる予定。


リムジンー


ホテル着


タクシーで春日大社へ。



さあ!
奈良の旅スタートですよーー



春日大社は、奈良駅に最も近く、奈良の大仏で有名な東大寺や、鹿で有名な奈良公園などもあり、まずはここに来るのが鉄板の周り方かな、と思います。






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