早いものでエッセイを始めて半年以上が立ってしまいました。
始めた頃は果たして自分がエッセイを書くことによってどれだけ効果があるか読めないところがありましたが、ここまでは自分が考えていた以上の効果があったと感じています。
エッセイを書く上にあたって一番心配していたことは、書かれている内容を完全に無視されてしまうことでした。
もしそうなってしまったら自分がしていることなんて全くの無意味になってしまいますからね。
そういう意味ではエッセイを書いて本当に良かったと思っています。
ただそう思う反面、未だ根本的な解決には至っていないというのも事実です。
始めからエッセイだけでは無理だということはわかっていましたし、あくまでも種まきという意識で書いていたわけですが、やはりカードワースはひとつの限界点に来てしまったという感が強くあります。
カードワースというのは基本的に寄せ集めの集団なんですね。
リーダーがいてそれを中心に動いている組織というものではないわけです。
ですから考え方はみんなバラバラで、カードワースの現状に対しても認識はまったく違います。
認識どころか真面目にシナリオを作る者だけではなく、カードワースの足を引っ張ろうとする連中も同じ屋根の下で同居することを認めているような状態なわけです。
家庭や会社組織やスポーツのチームなどもそうですが、お互いの気持ちがバラバラであったなら、いざ問題が生じてきたときに対処することができません(組織の体を成していなかったからこそ問題が生じてきたとも言えるかもしれません)。
間違った価値観を論破することは個人でも可能ですが、それを確立することは個人ではなくカードワース全体で対処していかなければ不可能なわけです。
ところが現状のカードワースはそれができないし、人によっては興味すらないかもしれません。
問題に対処できないということは、これ以上カードワースは発展しないということです。
発展しないということは、もはやカードワースは滅びるしかない。
今すぐ突然、消えてなくなることはないかもしれませんが、緩慢な死を迎えるということは間違いないでしょう。
始めた頃は果たして自分がエッセイを書くことによってどれだけ効果があるか読めないところがありましたが、ここまでは自分が考えていた以上の効果があったと感じています。
エッセイを書く上にあたって一番心配していたことは、書かれている内容を完全に無視されてしまうことでした。
もしそうなってしまったら自分がしていることなんて全くの無意味になってしまいますからね。
そういう意味ではエッセイを書いて本当に良かったと思っています。
ただそう思う反面、未だ根本的な解決には至っていないというのも事実です。
始めからエッセイだけでは無理だということはわかっていましたし、あくまでも種まきという意識で書いていたわけですが、やはりカードワースはひとつの限界点に来てしまったという感が強くあります。
カードワースというのは基本的に寄せ集めの集団なんですね。
リーダーがいてそれを中心に動いている組織というものではないわけです。
ですから考え方はみんなバラバラで、カードワースの現状に対しても認識はまったく違います。
認識どころか真面目にシナリオを作る者だけではなく、カードワースの足を引っ張ろうとする連中も同じ屋根の下で同居することを認めているような状態なわけです。
家庭や会社組織やスポーツのチームなどもそうですが、お互いの気持ちがバラバラであったなら、いざ問題が生じてきたときに対処することができません(組織の体を成していなかったからこそ問題が生じてきたとも言えるかもしれません)。
間違った価値観を論破することは個人でも可能ですが、それを確立することは個人ではなくカードワース全体で対処していかなければ不可能なわけです。
ところが現状のカードワースはそれができないし、人によっては興味すらないかもしれません。
問題に対処できないということは、これ以上カードワースは発展しないということです。
発展しないということは、もはやカードワースは滅びるしかない。
今すぐ突然、消えてなくなることはないかもしれませんが、緩慢な死を迎えるということは間違いないでしょう。