Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

日本辺境論   内田 樹(新潮新書)

2015年05月31日 | 
Hitorigaten

 「革命は辺境から」と言う言説に出会ったのは何時のことだったか… 何か言い知れぬ浪漫を感じたのも事実である。
 人口減少のフェーズに突入した豊葦原瑞穂国では、中央による地方切り捨て論が巷間詳らかになってきた。「限界集落」、果ては「消滅集落」と煽り、地方に対するネガティブキャンペーンを執拗に繰り返している。
 しかし、地理的、歴史的視点を広く高くして俯瞰してみれば、極東の小国は何を隠そう存在そのものが「辺境」と気付かされるのだが…


◯梅棹忠夫「文明の生態史観」:ほんとうの文化はどこかほかのところでつくられるものであって、自分のところは、おとっている
◯丸山真男「超国家主義の論理と心理」:現実的に行動するということは、だから過去への緊縛のなかに生きている
◯「辺境」は「中華」の対概念
◯「アメリカの軍事的属国である」というトラウマ的事実を意識に前景化することを免れてきた -「日出ずる処の天子」以来の辺境人の演じる「作為的な知らないふり」
◯第一次世界大戦の生々しい外傷的経験から戦後のヨーロッパの人々は国際平和と軍縮の必要性を生身の痛感基づいて実感しました
◯「息をしていても、飯を食っていても、風呂に入っていても私は常にアメリカ人である」
○自分の固有の意見を言おうとするとき、それが固有の経験的厚みや実感を伴う限り、それはめったなことでは「すっきり」したものにはなりません
○武道的な「天下無双」の意味 ←→ 「敵を作らない」:空間的な用語法、時間意識
○澤庵禅師:「石火之機」
○狭隘で資源に乏しいこの極東の島国が大国強国に伍して生き延びるためには、「学ぶ」力を最大化する以外になかった
○岸田秀:「外的自己・内的自己」論 - 近代日本人に取り憑いた「狂気」
コメント
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