[個人史]: 日記 思想・信条・(宗教 聖書) 終末観
※ 【非学術的】 天地創造 罪と罰 契約の民
これは 聖書解説 ではない。
10年ほど前、 西暦2000年くらいまでなら 「終末感」など まだ感じる隙も無かったが、年を追うごとに これが『印(しるし)か?』 と実感してしまうのは決して 不況の故ではない。
「前回記事」 でも、 『ヒトの人生とは 晩年の終焉を迎えるころにならないと 理解できない事が多いらしい』 と記したが つくづくそう思うのは 「お迎え(に行く)」のも近いせいなのだろうか。
今回の 聖書関連記事で 「現代」を選択したのは、
新約聖書の 末巻に綴じられた 「黙示/予言の書」 の内容が 履行されているのだ と思うからだ。
<ほどほどの素>
基本的に私は 権力者や人間たちには 頼る気などない。 だが、非常に幸いなコトに 10代最後に巡り会った 『師匠』 がいる。
ゆくところ敵なしの”恐いもの知らず”だった絶頂期、
私には唯一、 三度挑戦したが 三度とも勝つことができずに 自らその軍門に下った次第だ。
<イスラエルの擁護者>
師匠が 30年ほど前に教えた話では、 イスラエルを護るために特別に訓練された 擁護者(守護者) がいるそうな。
最近、 平気でイスラエル(ユダ)に対する 批判や悪口を繰り返す私だが、 もし そんな擁護者が私の前に現われたりでもしたなら 正に”晴天の霹靂”。
しかし、
出かけている(不在)のか、 不義なユダの叫びが(小さくて)聞こえないのか、あるいは とぼけているのか、 その恐ろしき擁護者(守護者)はいまだに現われない。
それだから (われらも) 心配する意味すらない。
(続)
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'08.09/17 聖書から見る現代(1)- 序章
'08.05/12 聖書から見るシリーズ- 記事一覧(古代編)
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これは 聖書解説 ではない。
10年ほど前、 西暦2000年くらいまでなら 「終末感」など まだ感じる隙も無かったが、年を追うごとに これが『印(しるし)か?』 と実感してしまうのは決して 不況の故ではない。
「前回記事」 でも、 『ヒトの人生とは 晩年の終焉を迎えるころにならないと 理解できない事が多いらしい』 と記したが つくづくそう思うのは 「お迎え(に行く)」のも近いせいなのだろうか。
今回の 聖書関連記事で 「現代」を選択したのは、
新約聖書の 末巻に綴じられた 「黙示/予言の書」 の内容が 履行されているのだ と思うからだ。
<ほどほどの素>
基本的に私は 権力者や人間たちには 頼る気などない。 だが、非常に幸いなコトに 10代最後に巡り会った 『師匠』 がいる。
ゆくところ敵なしの”恐いもの知らず”だった絶頂期、
私には唯一、 三度挑戦したが 三度とも勝つことができずに 自らその軍門に下った次第だ。
<イスラエルの擁護者>
師匠が 30年ほど前に教えた話では、 イスラエルを護るために特別に訓練された 擁護者(守護者) がいるそうな。
最近、 平気でイスラエル(ユダ)に対する 批判や悪口を繰り返す私だが、 もし そんな擁護者が私の前に現われたりでもしたなら 正に”晴天の霹靂”。
しかし、
出かけている(不在)のか、 不義なユダの叫びが(小さくて)聞こえないのか、あるいは とぼけているのか、 その恐ろしき擁護者(守護者)はいまだに現われない。
それだから (われらも) 心配する意味すらない。
(続)
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