出すことのない手紙

出すことのない手紙を書く。宛先はまだわからない。

田山幸憲

2005-08-31 16:20:11 | 日々平安

    パチンコついでに、田山幸憲について少し書く。田山は「パチンコ必勝ガイド」という雑誌に「パチプロ日記」というエッセーを連載していた。彼が亡くなって久しいがいまだに彼の名前を覚えている。といっても個人的に面識があったわけではなく、彼の「パチプロ日記」という本を熱心に読んだというだけのことだ。

  彼はパチプロという、一般的には他聞をはばかる生業をしながら、それを卑下するわけでもなく、かといって大言壮語することもなく淡々と日々の生活を綴っていた。パチプロの生活が、雑誌で書かれているような遊んで儲かるようなものではなく、一日数千円の稼ぎで一喜一憂する根無し草の生活であることをありのまま書いていた。シャイで(小年の頃吃音があった)、意地っ張りで(東大中退)、彼のように社会からはみ出た仲間への視線が暖かかった。彼を慕う早稲田の学生パチプロが学校を止めると言った時、田山が「よく考えたほうがいいんじゃないか?」と身の上を心配したところ、「田山さんも東大を中退したじゃないですか!」と返されぐうの音もでなかったエピソードは、田山の人となりを偲ばせる話だ。

  本の内容はパチンコの勝ち負けの記録が主だが、彼の周りに集まる個性的な人たちの横顔や飲み屋で知り合った中国人女性コウさんとの交流のエピソード、毎朝通う道が、季節ごとに違った様相を見せる一瞬の風景を切り取った詩情の流れる文章が魅力だった。連載が単行本になると発売日には必ず買った。(1巻から9巻までそろえた。)田山さんの生活がいちばん活き活きとしていたのは一発台や連チャンフィーバー機が全盛だった頃だった。一発台ではジェットライン、フィーバー台では花札の絵柄のものを打っていたが、彼の戦績をわがことのように楽しみにしたものだった。私自身もあの頃のフィーバーパワフルや綱取物語がいちばん懐かしい。

  田山の自由気ままな生活もうらやましいものだった。朝10時過ぎから好きなパチンコをして、夕方からは飲み屋で気のあった仲間とがやがややりながら酒を飲む。それで生活が成り立つならそんなけっこうなことはないと思う。しかし、実際に彼のような生き方を実践するには勇気を必要とするだろう。例えばそのような自由を享受しつつ家庭も持とうとすることは無責任といわざるをえない。田山は自由の代償として生涯家庭を持たなかった。そのほかにも多くのものを棄てただろう。

  何も荷物を持たない自由は、反面としてとても重いものだ。私のような凡人では、自由の重さに耐え切れず、錘のない凧が風に吹かれて飛んでいくように生活がぐちゃぐちゃになるような気がする。その意味では、自分なりの規範をつくって生活を律する意思の強さが必要となるだろう。田山は言葉は適当ではないかもしれないが、アウトローなりの覚悟と美学を持って生き抜いた。なかなか真似のできることではない。

  昔買った単行本も、田山さんが亡くなってからは読む気がなくなってしまった。たまった本を整理するときに処分した。本を読めば今でも、「ケもなく」、「間夫(マブ)の退け時」と思い「脱兎のごとく」店を飛び出す田山さんの姿がありありと浮かぶような気がするがそれも寂しすぎる。


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