読めなくなって残念におもう作家はたくさんいるが、身近なところでは、まず藤沢周平、司馬遼太郎といったところか。彼らの作品は、いつ読んでも読書の楽しみを味わせてくれ、また作品からにじみ出る人品に卑しさが感じられなかった。そのほか五味川純平とレマルクももっと多くの作品を読みたい人たちだった。
「ノルウェイーの森」を読んだとき、「違うなあ」とおもいつつ、その対極にある作品として自然に浮かんだのは五味 . . . 本文を読む
死についていろいろな捉え方があるだろうが、私の中で死の作法は単純なもので、親より先に死ぬことはできないというものだ。親の死は悲しいものだが、それを看取ることができればその悲しみはいずれ癒される。親不孝をわびることがたくさんあっても、子を失う悲しみを与えなかっただけで最低限の義務を果たしたと自負できるからだ。
私がそう考えるようになったきっかけもやはりY先生のことばだ。あるとき、先生が絞るよう . . . 本文を読む
男性の平均寿命が78歳だとすると、私の場合あと20年余りの持ち時間がある。時間をつぶすには本を読むのがいちばん手っ取り早いのだが、最近の悩みは図書館に行っても読みたい本がないことだ。好きな作家の本はほとんど読んでしまっている。といっても好悪が激しいので、そんなにたくさんの本を読んでいるという意味ではない。
好きな作家が故人だと、遅かれ早かれ作品を読みつくすことになる。そういう意味で、生きてい . . . 本文を読む