父が旅立ってから、もうじき2週間が立とうとしてる。
2週間前の今頃は、まったく別れを予想していなかった自分だった。
先週の日曜日の真夜中と月曜の朝は、亡くなる直前の情景がフラッシュバックして何とも言えない心苦しさに襲われた。
::::::::::
17日の日曜に帰るつもりだった。ところが、父の尿がでていないので、
「危険な状態だから、今晩から誰かつくように。」
との姉の指示で、私が病室に泊まることにしたのだった。
「お父さん、苦しい?苦しいよね。今晩は、悦子がずっとそばにいるから寂しくないよ。安心していいからね。」
身体全身で息をする父に呼びかける。
月曜は仕事で、新宿の事務所に朝9時に入る為には、朝4時に病院を出ないと間に合わない。そこで、携帯の目覚ましを4時にかけながら、独り言をつぶやく。
「この目覚ましに、気が付いたら大丈夫だと思って4時に帰るよ。もし、気が付かなかったら、お父さんが私に『いかないで。』というメッセージだと思うから、お父さんの思ったとおりに私を導いてね。」
父のできるだけ側に椅子を置き、手を握りながら枕元で苦しそうな顔をみては涙を流し、顔をベットに伏せるの繰り返し。ふとした瞬間にうたた寝をしてしまった。
はっと目が覚めたときは、携帯は4:02の表示。
2分過ぎてる・・・・
お父さん・・・。
・・・・いるよ、今日は会社に究極の我が儘を言って休ませてもらって一緒にいるよ。だから、安心してね。
そう思うやいなや、看護師が入ってきて、自動式(電気)血圧計を測ると、大きく首をかしげ2度ほど測り治した。今度は、手動式血圧計を持ってきて、また、「あれっ?」といいながらさらに首をかしげる。次に病室に入ってきたときには、例の心電図がでる測定器をガラガラと運んできた。
馬鹿じゃなければ、これがどういったことを意味するのか誰もが察知できた情景だったように思う。
慌てて姉に電話し状況を説明すると
「うそ、ああ、だめかも。その画面にでている数値を上から読み上げてみて。」
「ああ、だめだ。朝まで持たない。今すぐ、お母さんを病院に呼んで。私も始発(松本から)でそっちへ向かうから。ああ、お父さんの最期に会えない・・・。えっちゃん、お父さんの側にいてくれて有難う。とにかく、すぐにお母さんへ。」
そこからは、パニック状態だった。
どんどん血圧は、下がっていっちゃうし父は苦しそうだし。
わけわかんない。
「お父さん、おじいちゃんとおばあちゃんがお迎えに来てるの?もうじき、会えるんだね。きっと怖くないよ。いずれ私もお父さんの所に行くから。それまで、見守っててね。。。」
何とか姉には、死に目にあわせてやりたいの一新で、我を忘れて泣きながら手や足や胸を必死にマッサージし続けた。1時間もすると疲れて、ああ、ダメかも。と何度も思った。
心電図の線は一直線で、マッサージをすると少しだけピコと山を見せる。
今思えば、息をしているかしていないかわからなくなって、最後に3分に1度の割合くらいで、3度ほど口をつぐんだ。
最後の1回の後、ぴったり私の背後に看護師がついたので
「えっ、もしかして、死んじゃったんですか?心臓とまっちゃってるんですか?うそっ、やだ・・・」
そこからは号泣で、よく見るテレビの風景みたいに決まった動作のように主治医が瞳孔を確認してあっさり「ご臨終です。」といった。
::::::::::::::::
ここまでが、産まれて一番悲しく切ない時間だった。
葬儀は終わり、自分にできることは、すべてやったように思う。
いつか、時間がたったら、葬儀の写真は公開するつもり。
::::::::::::::::
これまでの長い間、心温まるお言葉をくだった方々、それぞれの形でサポートしてくださった方々、本当にどうも有難うございました。
皆さんのおかげで、この私は活かしていただいております。
心から感謝申し上げます。
2週間前の今頃は、まったく別れを予想していなかった自分だった。
先週の日曜日の真夜中と月曜の朝は、亡くなる直前の情景がフラッシュバックして何とも言えない心苦しさに襲われた。
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17日の日曜に帰るつもりだった。ところが、父の尿がでていないので、
「危険な状態だから、今晩から誰かつくように。」
との姉の指示で、私が病室に泊まることにしたのだった。
「お父さん、苦しい?苦しいよね。今晩は、悦子がずっとそばにいるから寂しくないよ。安心していいからね。」
身体全身で息をする父に呼びかける。
月曜は仕事で、新宿の事務所に朝9時に入る為には、朝4時に病院を出ないと間に合わない。そこで、携帯の目覚ましを4時にかけながら、独り言をつぶやく。
「この目覚ましに、気が付いたら大丈夫だと思って4時に帰るよ。もし、気が付かなかったら、お父さんが私に『いかないで。』というメッセージだと思うから、お父さんの思ったとおりに私を導いてね。」
父のできるだけ側に椅子を置き、手を握りながら枕元で苦しそうな顔をみては涙を流し、顔をベットに伏せるの繰り返し。ふとした瞬間にうたた寝をしてしまった。
はっと目が覚めたときは、携帯は4:02の表示。
2分過ぎてる・・・・
お父さん・・・。
・・・・いるよ、今日は会社に究極の我が儘を言って休ませてもらって一緒にいるよ。だから、安心してね。
そう思うやいなや、看護師が入ってきて、自動式(電気)血圧計を測ると、大きく首をかしげ2度ほど測り治した。今度は、手動式血圧計を持ってきて、また、「あれっ?」といいながらさらに首をかしげる。次に病室に入ってきたときには、例の心電図がでる測定器をガラガラと運んできた。
馬鹿じゃなければ、これがどういったことを意味するのか誰もが察知できた情景だったように思う。
慌てて姉に電話し状況を説明すると
「うそ、ああ、だめかも。その画面にでている数値を上から読み上げてみて。」
「ああ、だめだ。朝まで持たない。今すぐ、お母さんを病院に呼んで。私も始発(松本から)でそっちへ向かうから。ああ、お父さんの最期に会えない・・・。えっちゃん、お父さんの側にいてくれて有難う。とにかく、すぐにお母さんへ。」
そこからは、パニック状態だった。
どんどん血圧は、下がっていっちゃうし父は苦しそうだし。
わけわかんない。
「お父さん、おじいちゃんとおばあちゃんがお迎えに来てるの?もうじき、会えるんだね。きっと怖くないよ。いずれ私もお父さんの所に行くから。それまで、見守っててね。。。」
何とか姉には、死に目にあわせてやりたいの一新で、我を忘れて泣きながら手や足や胸を必死にマッサージし続けた。1時間もすると疲れて、ああ、ダメかも。と何度も思った。
心電図の線は一直線で、マッサージをすると少しだけピコと山を見せる。
今思えば、息をしているかしていないかわからなくなって、最後に3分に1度の割合くらいで、3度ほど口をつぐんだ。
最後の1回の後、ぴったり私の背後に看護師がついたので
「えっ、もしかして、死んじゃったんですか?心臓とまっちゃってるんですか?うそっ、やだ・・・」
そこからは号泣で、よく見るテレビの風景みたいに決まった動作のように主治医が瞳孔を確認してあっさり「ご臨終です。」といった。
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ここまでが、産まれて一番悲しく切ない時間だった。
葬儀は終わり、自分にできることは、すべてやったように思う。
いつか、時間がたったら、葬儀の写真は公開するつもり。
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これまでの長い間、心温まるお言葉をくだった方々、それぞれの形でサポートしてくださった方々、本当にどうも有難うございました。
皆さんのおかげで、この私は活かしていただいております。
心から感謝申し上げます。